若くして乳がんになっても、私は、生・き・る

取材・文:吉田健城
発行:2010年7月
更新:2019年7月

初発34歳
34歳で乳がん、脳転移。主人が支えてくれました
田中泰美さん(47歳)

平成9年、都内のがん専門病院で炎症性乳がんと診断される。大きさは13センチで、全摘手術を受ける。翌年、脳転移が見つかる。放射線治療の効果で、病巣はボールペンの先くらいにまで縮小

手術の前日に主治医がサポート

田中泰美さん
田中泰美さん

都内のがん専門病院で炎症性乳がんと診断されたのは平成9年6月のことで、当時、私は34歳でした。乳房が腫れてブラジャーが痛くてつけられなくなったので診察を受けたところ、かなり進行した乳がんであることがわかったんです。

大きさは13センチもあったので、最初、お医者さんから遠隔転移している可能性が高いようなことを言われ、凄くショックでした。

幸い、検査で遠隔転移も鎖骨転移もしていないことがわかったので、病期は4期ではなく、3B期ということになりました。

このときは、抗がん剤(CAF療法)でがんを小さくしてから全摘手術を受けました。

乳房を失うことには、それほど抵抗感はありませんでした。

母を胃がんで9歳のときに亡くしているので、父より先に死ぬことはできない。とれば治るんだから、乳房にはこだわっていられないという気持ちでした。

とは言え、34歳です。手術の前日、主治医が心理面のサポートをしっかりしてくれたおかげで、『乳房をとらなきゃ死ぬ』という覚悟ができました。また、手術痕についても思っていた以上にきれいで驚きました。手術後の入院中、隣のおばあさんに「手術痕がきれいね」と言われたほどです。

初発の翌年に脳転移

その後も抗がん剤を受け続けていたのですが、翌年の夏、脳転移が見つかりました。

病巣が脳幹部に近いところにあったため、『手術は無理。放射線で治療するしかない』ということでした。

しかし、脳転移したのにいまもこうやって元気で生きているのは、再発を予防する抗がん剤と放射線治療がよく効いたからでしょう。放射線治療が終わったあと、大きかった病巣がボールペンの先くらいになっていると言われました。

年上の主人に支えられている

放射線治療に対する不満はただ1点、「脱毛してもまた生えてくるから」と言われていたのに、いつまでたっても髪の毛が生えてこないことです。現在もウィッグ(かつら)が欠かせない状態です。

治療中は乳がんの患者仲間にも、ずいぶん助けてもらいました。がんに罹患した当初は同世代に相談することもなく、若年者乳がんの会ひろばへは3回目の集まりのときに呼ばれました。

34歳での乳がん、再発という2度の危機にも悲観的にならなかったのは、主人が暗くなるような人ではなかったこと、支えになってくれたことが大きいと思います。

ただ、再発のときは、主人もショックだったようです。病院で付き添っていたときは暗い顔を見せませんでしたが、家に帰って私が電話で大阪で麻酔科医をしている兄に脳転移のことを伝えていると、途中で代わって、泣きながら「ちゃんと最後ま���面倒見るから」と兄に約束していました。その様子を見て、主人も内心では凄くショックを受けているんだと思いました。

仕事は主人がやっている内装関係の仕事を手伝っていますが、体が動くまで続けたいと思います。とくに、年上の主人には、『若い嫁をもらったんだから、もっともっと仕事を頑張ってほしい』と思っています。


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