「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(3)

読者投稿:小川嘉子さん
発行:2006年3月
更新:2013年12月

これからが私の正念場

こうして、内科や外科の沢山の先生方の協力で手術は無事成功した。これからが私の正念場。治そうという強い意志をもって、術後の回復に努力すること。まだまだ死ぬ訳には行かないもの。一致団結して頑張ってくれた家族のためにも、一生懸命努力して下さった先生のためにも、もちろん自分のためにも。

1月31日(土)術後1日目

6時起床。いつ抜いたのか、鼻のチューブがない。背中に入っているチューブは、痛み止めの薬らしい。左の肩からぶらさがっているビンから細いチューブを通して常時薬が硬膜外腔に注入されている。座薬も入っているので、傷口の痛みはそれほど強くない。2~3日はうんうん唸るだろうと覚悟していたが。虫垂炎のときのほうが痛かった。医学の進歩は目覚ましいと感心する。いつの間にか尿管もはずされているので、トイレは自力で行かなければならない。看護師が付き添ってくれるが、ベッドから起きるのがつらい。立つと傷口が痛い。トイレも遠いが更に遠い体重測定にまで連れていかれた。「歩いたほうが早く治るから」と。このときばかりは看護師が鬼に見えた。でも、自分のためだからと頑張る。午前中病室で腹部と胸部のレントゲンを撮る。

昼過ぎ主人と次女が来てくれた。1人でトイレに行くのを見てびっくり、娘が付きそってくれる。廊下で内科の研修医に会う。「手術前と変わらないじゃない。元気そうで良かった」と喜んでくださる。

内科のY医師、S医師もHCUまで見舞いに来て、元気な私を見て喜んでくださった。心遣いがうれしい。もうT字帯もはずせた。喉が渇くがゆすぐだけで水はまだ禁止。唇が荒れるので娘がリップクリームをつけてくれる。私が元気そうなので2人ともほっとしたようだ。もっと痛がっていると思ったらしい。

K助教授の回診あり。主治医もよく見に来てくださり「順調です」とのことで、2人も安心して夕方帰った。でもはしゃぎすぎたのか夜吐き気がした。夜はポータブルトイレを置いてもらった。

写真:「エリザベート」のパンフレット
「エリザベート」のパンフレット

2月1日(日)術後2日目

朝、交替した研修医が採血に来た。私の血管は余程採りにくいのか、なかなかできない。上手だった内科の研修医が恋しい。熱が37.6度ある。私の平熱は35.5度、少し高い。歩いてレントゲンを撮りに行く。今日は日曜日なので一般の撮影室は休み。救急用の部屋まで行く。古い建物なので廊下の継ぎ目に、点滴の車が引っかかるたび傷口に痛みが走る。もう1人は車椅子なのにと恨めしくなるが、これも早く治るためと思い直す。

午前中K助教授の回診。大名行列ほどではないが、5~6人付いてくる。私の顔を見て「大丈夫のようですね」と安心した様子。

主治医の“治療”があった。ガーゼ交換と消毒である。全てピンセットで、決して指で触らない。頭を持ち上げて傷口を見る。乳房の間からお臍の上まで、続いて左脇腹まで見事にL字に縫ってある。ピンク色の線の上にずらっと縫合の糸が並んでいる。縦横15センチずつ位。何針縫ってあるのだろう、30針位かな。自分で言うのも何だが痛々しい。

ドレーンが2本お臍の上と左下腹に入っている。傷口とドレーンを消毒し、ガーゼと腹帯を交換する。安全ピンを止めるのもピンセットで。「先生器用ですね」と言ったら「良く見てますね」と笑っていた。

珍しく昼間休みとかで、午後長女が来てくれた。貴重な休みなのに悪いと思いながらも嬉しい。痰が絡んできたが、出すのに傷口が痛くて苦労する。看護師が「こうすると楽よ」と後ろからお腹をぐっと押さえてくれた。確かに楽だ。枕を当ててやってみる。娘が介助してくれる。

水分を取れるようになり、娘がラブボディを買ってきてくれた。久々の水分でおいしい!

昨日は話しかけすぎて疲れたから「すこしほっておくよ」と娘は「エリザベート」の台本に取り組む。そういえば、あの「がん告知」の日に「エリザベート」のチケットを取りに行ったんだっけ。3月23日行けるかなぁ、でもこうしてここにいることに感無量になる。5時頃娘は仕事場へ。

熱が37.8度になったので「解熱剤を」と言ったら、38.5度を越えなければ氷枕で大丈夫、術後はこの位はでると言われ、氷枕で頭を冷やす。傷口が少し痛いので座薬をもらう。HCUは暗いし何もすることがない。やはり疲れたので9時前に寝てしまった。

2月2日(月)術後3日目

熱は36.5度に下がった。今日から食事が出た。5分がゆ、人参と里芋の味噌汁、キャベツと人参の煮物、はんぺんの焼いたものとずいぶんある。半分は食べてもいいと言われたが用心して4割ぐらいにする。

午前中またレントゲン室へ。男の人3人と点滴を引きずり、お腹を押さえながらそろそろと歩く。みんな術後なのだろう、妙な光景だった。

昼食も4割ぐらいにする。急に食べ物が入ったので腸が刺激されたのか下痢になった。うとうとしていたら、内科のK医師に起こされた。「顔色もいいし、元気そうで安心した。経過はいいそうですよ」と、心遣いがうれしい。

昼休みに次女が来た。ベッドから上手に起きあがれるようになったのを見て安心したようだ。

夕方6時半頃K助教授の回診。主治医が「レントゲンはきれいです」と報告。「順調ですよ、大丈夫です」いつも優しい笑顔だけれど、私の体を胸からL字型に、ばっさり切った人だ!? 医師がガーゼ交換してからインスリンの注射をした。血糖値が170と下がらないから。肩からぶらさがっているビンに痛み止めの薬を追加してくれた。「命綱みたいなものですからね」と私。安心して今日もよく眠れそうだ。

そうそう、今日ガーゼ交換のとき医学生が1人付いてきた。医者の息子とか。見学らしいがぼうっと立って見ているだけ。もっとも何をしていいのかわからないのだろう。主医師に「そこのガーゼ取って」とか指示されて恐る恐るピンセットで掴む。大学病院は「患者の治療は勿論第1だが、医学の研究・医療者の育成にもご協力ください」という所なのだと思う。偉大な知識や技術を持つ先生も、こうして育っていくのね。

2月3日(火)術後4日目

写真:2004年2月 入院中に咲いたシャクヤク、次女が守ってくれた
2004年2月 入院中に咲いたシャクヤク、次女が守ってくれた

採血。相変わらずうまくいかず先が思いやられる。まあ、これも研修医を育てるためと諦める。HCUは4泊5日の予定だから、今日から病室に移るはず。午後次女が来てからやっと部屋を教えてくれた。B棟5階。5年前に入院したあの旧病棟だ。A棟とあまりに差がありすぎる。5年前は6人部屋だったが今は5人になっていた。荷物を片付けながら「やっぱり暗いよね」と次女が言う。

食事は普通食になった。朝食はパン、昼と夜は全がゆ。でも食べるとお腹が痛くなるので3~5割ぐらいしか食べられない。朝、大量に下痢をした。腹痛があり座薬を1本入れてもらう。夕方主人がきてくれる。B棟なので少し不満そう。

K助教授の回診あり。相変わらず順調とのこと。食べるとお腹が痛いと言うと「手術のあとは必ず癒着するので若干癒着があるのでしょう」と。

主治医は「盲腸のところにも癒着がありました。腸閉塞さえ起こさなければ徐々に痛みは軽くなりますから、それだけ気をつけましょう」と。25年経っても癒着って残っているんだ、手術のときそこまで調べたのねと妙に感心する。血糖値126~174。まあまあらしい。「あまりがっかりするなよ」と言いながら2人は帰った。

2月4日(水)術後5日目

体重45.2キロ、手術前と殆ど変わらない。取った臓器の分は減ってもいい筈よね。主人の話では、切除した臓器は500グラムあると思うと言っていた。それに食事だって碌に食べていないのに。

血糖値を自分で調べる。やり方は昨日教わった。朝食前53に下がった。点滴の中にインスリンを入れたそうだ。低血糖で、グラニュー糖を60グラム舐めさせられた。とくに気分は悪くない。午前中のレントゲンは車椅子で移動、やはり楽である。今日は3時頃腹部が痛いと言ったら点滴の中に痛み止めの薬を入れた。何となく頭がぼんやりして6時になっても夕飯が食べたくない。主人と次女が来たのでプリンを買ってもらう。主治医がエコーを撮り「とくに変わったことはない」と。ガーゼ交換のとき、脇腹のドレーンを5センチほどカットする。順調に押し出してきている。内科のK医師もよく見に来て下さる。

8時頃主治医が手術のときの写真を見せて説明してくれた。生々しい。写真はよく見たような気がするのに、あまり覚えていない。何故か鶏肉の皮みたいと思ったのだけ覚えている。(後日長女が言ったのと一致した)9時頃2人が帰ったあと、やっとプリンを食べた。体重減っちゃうかなと思いながらいつの間にか眠った。

2月5日(木)術後6日目

インスリンをやめたら血糖値が135と落ち着いた。やっぱり体重変わらず、どうして? レントゲンに歩いて行く。看護師がびっくりしていた。回復を早めるには歩くこと、と1階の販売機まで牛乳や水を買いに行くことにした。よく喉が渇く。夜中にも何回か起きて1日に300ミリのボトル2本ぐらいお茶を飲む。

午前中主治医がガーゼ交換のとき、肩のチューブをはずす。テープを剥がす勢いで硬膜外腔に入っていたチューブがすっと抜けた。全然痛くなかった。首の周りの点滴もはずしたので、楽になった。ドレーンをまた5センチカット。エコーを撮って、「問題ないのでそろそろシャワーを浴びてもいいです」と言われ、腹帯を巻いたまま、看護師がシャワーで体を洗ってくれた。さすが手慣れたものと感心する。シャンプーもしてくれさっぱりした。まだ6日目なのにシャワーが浴びられるなんてと、びっくりした。少しお腹が痛くなったので座薬を入れてもらう、傷口は全然痛くないのに。

K助教授の回診のとき、「少し食べるとお腹がいたくなるので食事が進まない」と訴えたら「徐々に回復するが、とりあえず消化を助ける漢方薬を出しましょう」と言ってくださる。水分は固形物より早く腸に行って痛くなるのかと思い、先に固形物を食べて水分は後回しするようにしているのだが。明日からご飯をまたお粥にしてもらおう。

そんな私を見て、主人たちが心配する。でも次女は私の体力を少しでもつけようと、来るたびに「ママこれ一口でいいから」とおかずを食べさせようとする。生活連絡表に毎回食べた量を記入するのだが、実際には4割位しか食べない私が「5割ぐらいだよね」と言うと、「じゃあ、これ一口食べたら5割って書いてもいいよ」と次女。お陰で少しは食べている。毎日の見舞いで主人が少し疲れているようだ。心配になり明日は来ないでと言う。

2月6日(金)術後7日目

今日で1週間経った。午前中脇腹のドレーンをまた5センチ、胸のドレーンも2センチカット。エコーも撮る。

午後食後の腹痛がいつもより強いので座薬を2本も使った。今日はあまり調子が良くないので散歩をせず、昨日次女が買ってきてくれたマンガ「王家の紋章」を読む。なかなか面白くてお腹の痛いのも忘れた。専ら読書。

2月7日(土)術後8日目

午前中レントゲン、もう1人で十分。ガーゼ交換のとき、縦横3分の1ずつ抜糸する。思ったより痛くなかった。脇腹のドレーンが抜けた。結構回復が早いとか。昨日1日休んでまた主人が来た。3人の姉や甥が来てくれる。「もうそろそろ話をしてもいいかなと思って」と。元気に歩いているのを見て安心したようだ。主人がA棟の喫茶店でみんなに術後の経過などを話したそうだ。

夕方次女が来て「もう抜糸? 早いね」とびっくりしていた。お腹の痛さとは別に、傷口の回復は順調らしい。まだ、ベッドを起こしてからでないと起き上がれない私を見て「介護用のベッドをレンタルしたほうがいいねとパパと話している」と言うので看護師に話したら、腹筋に無理な力を入れずに起きるやり方を教えてくれた。手と肘を使って上体を起こしていくと、手すりに掴まらなくともうまく体を起こせた。1人で起き上がる練習をする。

2人が帰ったあとマンガを読みふける、消灯時間を過ぎても枕許の電気をつけて。おもしろくて、はまりそう。(続く)

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