「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(4)

読者投稿:小川嘉子さん
発行:2006年5月
更新:2019年7月

入院中のバレンタインデー

次女が来たのでA棟の売店でチョコレートを2つ買う。明日はバレンタインデー。研修医にあげよう。主人の分は通販で古伊万里のカップ付きのチョコを買ってある。実は「がん告知」の前に買って、内緒にしてあったのだ。まるで入院を予感していたみたいで、これも守護霊さん? と不思議な気がする。夕食後もまだ下痢。何が悪いのかなぁ。ちょっと疲れたので“読書”をして早めに眠る。

2月14日(土)術後15日目

朝採血にきた外科のM研修医にチョコをあげる。嬉しそうなチョッと照れたような顔をして受け取ってくれた。今日はK助教授ではなく講師の回診だった。主治医の説明を聞きながら「もうちょっとですね」とおっしゃる。ドレーンからも悪いものは出ていないとのこと。また2センチほどカット。

午後日記を書いていると次女が来た。誰にあげるのかチョコを3つも持ってきた。「パパには朝、ママからって渡しておいたよ」と。A棟11階のスタッフセンターで内科のM研修医を呼んでもらう。チョコを渡すと「わぁありがとう。元気そう!」とさわやかな声で嬉しそうに受け取ってくれた。S先生と廊下ですれ違う。「K先生から聞いていましたけど、手術前と全然変わらないですね」と声をかけてくれた。でもS先生は女の子だからチョコはあげないよ。折角3つも持ってきてくれたけれど、主治医の治療は終わってしまったし、K助教授の回診ももうないし。仕方ない、自分で食べちゃおうというわけにはいかないのだ。一体いつになったらチョコ食べられるのかなぁ。

2月15日(日)術後16日目

写真:王家の紋章
夢中になって読んだ『王家の紋章』

午前中日記を書く。だいぶこの姿勢に慣れてきた。毎日A棟までお茶を買いに行ったり、B棟の廊下をぐるぐる歩いたりして体力を付けるようにしている。

3時頃M教授の回診。いつも休日で休みはどうなっているの? 付いてくる先生方も大変だなぁと思う。次女がチョコを買ってきてくれていたが、1日ずれているしなぁと躊躇している間に行ってしまわれた。

ドレーンを2センチカット。明日あたり全部抜けるかもと言われた。3時過ぎ次女が来たので、2人で喫茶店へ行く。娘はサンドイッチとロイヤルミルクティ、私はフレッシュジュース。サンドイッチをちょっとつまんでみた。美味しかった。ジュースも美味しかったが半分にしておいた。先生は

「ご家族と外食をしてもいいですよ」と2~3日前からおっしゃるが、食後のお腹の痛みを考えるとなかなか踏み切れない。もう少し病院の食事で我慢しよう。

すでに『王家の紋章』を40冊以上読んでいる。続きが近くの本屋になかったとかで、娘が東京駅のブックセンターまで行って買ってきてくれた。我が儘もほどほどにせいと自分に言い聞かせながらも感謝する。

2月16日(月)術後17日目

徐々に食べられる量が増えている。まだ腹帯をしているけれど、シャワーも1人でできるようになった。午後日記を書いていると、ひょっこり長女が現れる。昨夜は泊まりで仕事をして今日は早く終わったからと。思いがけなく来てくれるのも嬉しい。喫茶店で仕事のことや、妹のことを話し合う。

「こ��していると病人じゃないみたいね」と娘が言う。点滴も付けていないし、パジャマでなく服を着てお化粧をしていたら“普通”の人と同じだって。それほどやつれていないということなのね。よかった。入れ違いに次女が来る。有難いことだと感謝しつつも、毎日でさぞや疲れているだろうと娘の体を心配する。「ママは自分のことだけ考えていればいいの!」と言われてしまった。十分自分勝手させてもらっている。

退院日が決まる

K助教授の回診が7時半頃あった。結構遅い時間にある。主治医に「もう殆どふさがっているので、水曜日頃ドレーンを抜いて木曜日に退院できる」と言われた。娘と入れ違いだったのですぐ家に電話をして、退院の予定を伝えると早いねとびっくりしていた。何となく不安な気もするが、家に帰れることは嬉しい。

『王家の紋章』全48巻読んでしまったので、今度は『ベルサイユのばら』を買ってきてくれた。旺盛な“読書欲”に娘はたじたじ。

2月17日(火)術後18日目

今日はドレーンを全部抜いて、エコーを撮る。抗がん剤はいったん退院してから改めて再入院して行うことになる。姉2人が来てくれる。上の姉は昨年の9月に胃がんの手術をしたあと、食事があまりとれないのでずいぶん痩せてしまった。でも元気そうにしている。木曜日に退院と聞いて「えっ、もう?」と驚いていた。術後20日だものね、私だってびっくりしているのだから。7時半頃内科のK医師が来る。抗がん剤の話のついでに「今度はあちら(A棟)ね」と言う。主治医の計らいなのだろう、話が通じている。

K助教授の回診。相変わらず遅い時間だ。先生方も“残業”大変ねと主人と話す。木曜日の退院が確定する。さあもうあと2日だ。みんなのお陰でこんなに元気になって退院できるなんて、感無量。「ママもよく頑張ったね」と言ってくれる。2人が帰ったあと、この3週間の出来事を思い出してしばらく眠れなかった。

2月18日(水)術後19日目

毎朝定期便のラブコールをしている。いつものように電話をすると、電話機の向こうで主人の弾んだ声がした。「おう、待っていたよ。合格したぞ!」「えっ合格?何処に?」「大学院だ」

娘の入試を忘れる

私は絶句した、何てドジだったのだろう。次女が受験中だったことをまったく忘れていた。T大学の秘書の勤務は2人で交替して週3日にしてもらい、今年初めて設置されたロースクール(法科大学院)の受験に挑戦していたのだ。ちょうど受験勉強の1番大変なときに私の「がん告知」。入院前まではそのことを認識していた筈なのに、命をかけた手術に夢中で、すっかり忘れていた。私の「がん告知」、のあと、娘は受験のことをおくびにも出さなかった。受験日も、発表の日も言わなかった。心配かけまいとしたのね。試験は2月7日だったそうだ。毎日のように見舞いに来て、勉強どころではなかった筈……。

ごめんなさい。「母親失格だなぁ」と言うと「まあいいじゃないか。受かったんだから」と主人が慰めてくれた。大学の文学部を出て、OL。しかし考えることあって再び大学の法学部へ学士編入、そしてしばらく“司法浪人”をしていたのだ。何年間か、受験生を抱えて、結構気を遣って“上げ膳、据え膳”していたが、そんなものはいっぺんにお返ししてもらった。本当によかった!

お風呂に入っていいと言われた。が「明日退院だから」と渋っていると「今日入ってみてなんともないかどうか、試してみたほうがいい」と言われて入ることにする。若い看護師がお臍の上の傷口にバンドエイドを貼って「わぁ可愛い!」と喜んでいる。約1カ月ぶりの入浴。温かいお湯の中で手足をいっぱいに伸ばしてみる。入院前夜の入浴を思い出し、涙がこぼれそうになった。あのときはまたわが家のお風呂に入れるだろうかと思って涙がこぼれそうになったが……。

入浴後熱も出ず順調。今日は誰も来ない。明日退院なので荷物をまとめる。今晩が最後と思うとB棟も名残惜しい気がする。退院は嬉しいような不安なような。でもいずれ近々抗がん剤のため再入院。すっかり仕事のことを忘れていたが、帰ったら頑張らなければ。

看護師が退院後の薬を持って来て「おめでとう。よくがんばりましたね」と言ってくれた。みんなみんないい人達だった。先生も、看護師も、同室の人達も。そして研修医の“ドジ”も懐かしい。ありがとうと心から感謝する。みんなのお陰で生かしてもらった私。

2月19日(木)術後20日目

写真:2月19日退院、後ろが入院していた古いB病棟
2月19日退院、後ろが入院していた古いB病棟

今日は退院! 朝食後に殆ど荷造りはできてしまった。10時頃次女が来た。荷物をみて案の定、

「私がやるのに、無理しないで」と怒った。病院の駐車場が混んでいて主人は1時間ぐらいかかるという。新しい駐車場ができているが、まだ使えないらしい。

「あなた、ママに何か言うことあるんじゃない?」「えっ?」「法科大学院受かったんでしょ?」「パパに聞いたんだ。そう、昨日通知が来たの」「おめでとう、よかったね」と抱き合った。「もし、何処にも受からなかったらママ何と言ってお詫びしたらいいか、ゴメンねこんな大事なときに」と謝ると「ずっと勉強してきたんだもの、このくらいのことで受からないようならそれだけの実力なのよ」と笑ってくれた。私の気を楽にしてくれてと涙が滲んだ。家族っていいなぁ。後日娘に聞くと、入院中に1度も受験のことを聞かなかったそうだ。私の頭の中から完全に欠落していたとは……。

「こんなことってあるんだねぇ、やっぱり術後の痴呆症かなぁ」と大笑いした。

10時40分頃やっと主人が来る。入退院センターで手続きと精算をして病院を出る。2人とも何か感無量といった感じ。久しぶりに靴を履いて土を踏む。新鮮な感じだったがあまり力が入らない。ふわふわとした歩き方になった。高速を使って帰路に着く。ゆっくり走ってくれているが、高速道路横羽線の継ぎ目がガタンガタンとお腹に響く。ずっとお腹を押さえていたが、かなり痛かった。まだこんなものだと自覚する。(続く)

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