「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(5)
初めての1人歩き

病院の最上階より上野不忍池方面を望む
10時に病院を出る。靴を履いて歩くとやはりお腹に響く。JR御茶ノ水駅は階段しか無いので、手すりにつかまって降りる。乗り換えの東京駅の人混みの中で、人にぶつかられないようお腹をかばいながらゆっくり歩く。普段は人混みをかき分けて歩くタイプなのに、立ち止まって人を避けながら歩く。お腹を押さえソロリ歩く姿は、傍から見たら変だと思われるだろうなと思いながら……。エスカレーターでほっと一息。いつもなら階段かエスカレーターを歩いて上がるのに、なんとも情けない。でもお弁当を買って1人で帰れるなんてすごい回復である。だってまだ1カ月経ってないのだから。
家に帰ると花が気になった。先日退院したときは小さなじょうろで水をやるのが精一杯だった。今日は鋏で少し手入れをしたが、しゃがめないのでフラワースタンドの分しかできなかった。やりたいことに体がついていけないギャップにとまどい、1時間ほど外にいただけで疲れてしまった。
おやつに紅茶とお煎餅をいただく。間食なんて久しぶり。夕食は簡単な物だが手作り、主人は味噌汁を喜んでくれた。こんなささやかなことでも、喜んでもらえるなんて。私の存在が必要とされていることがうれしい。
今まで抗がん剤の副作用は、吐き気、嘔吐、食欲不振、体がだるいなど大変つらいと聞いていた。しかし、ジェムザールは抗がん剤の中でも副作用が軽いとの先生の言葉通り、自覚症状は今のところ何もない。ただ、髪の毛は少し抜けるかもと言われているので、いつ頃からどのくらい抜けるのか気になる。カツラを買わなければならない程かしら。
2月29日(日)わが家で

私の机の上に並べたがん関連の本
やっぱり朝寝坊した。朝食はパンとメロン。昼食はサンドイッチ、おやつに苺大福を食べたが腹痛は起きなかった。午前中から午後にかけてワープロを4時間ぐらい打つ。さすがに疲れた。座っているだけなのにスタミナがない。
帰りも1人で病院へ戻ることにした。夕方主人が駅まで送ってくれ、次女が病院で食べるお弁当を買ってくれる。ふと見ると心配そうな娘の顔があった。まるで1人で子供をお使いに出す母親のような顔をしている。でも1人で帰らなきゃ。付き添いは不要と断った。いつまでも甘えていると自立できない。強くならねば! これからが私の頑張りどころなのだ。
日曜日の夕方、上り電車は余り混んでおらず、座れたのでほっとした。階段しかない御茶ノ水駅はやはりつらい。自宅も寝室が2階なので、退院前に病院の階段を上り降りして、練習はしていたのだが、まだ足に力がはいらない��お風呂に入ったとき、太股の肉がげっそり削げて、座って膝を合わせると拳が2つも入るほどだったから、筋肉が衰えたのだ。これからしっかり鍛えなければ。
誰もいない病院の食堂で娘の買ってくれた巻きずしを食べたが、お腹は大丈夫だった。8時頃主治医が見に来て「大丈夫でしたね」と安心していらした。先生は遅くまで大変だなあと感心する。本を読みながら、疲れたので早く寝た。病院に戻ると早寝早起きになる。いいことだ。
3月1日(月)6日目
今日から月替わりで研修医が替わった。まだ朝の7時半だというのに主治医が見える。「副作用、大丈夫のようなので、予定通り水曜日に2回目のジェムザールをしましょう」と。今朝は講師の回診だったが、とくにコメントなし。
午前中にシャワーとシャンプーをしてさっぱりする。何だか病院でのんびりさせてもらっている。こんなことが言えるのも、抗がん剤の副作用がないからだけど。そして苦しみを1つ乗り越えた今、自分より弱い人にとても優しい気持ちになれているのに気が付いた。同室の重症の方たちに、売店で買い物をして来て、差し上げたりして喜ばれた。
次女が来て「お姉ちゃんがもらったお雛様、飾ってあげるね」と紙のお雛様とお菓子を棚の上に置いてくれた。見ているだけで心が和む。
夜8時半頃主治医が「2回目のジェムザールのあと、何もなければ木曜日に退院の予定です」と、退院療養計画書を渡してくださった。朝早くから夜遅くまで先生も本当によく面倒を見てくださる。副作用の自覚症状としてはとくにはないが、3日目あたりに少々食欲不振があったような気がする。『ベルばら』を読みながら寝る。
3月2日(火)7日目
朝K助教授の回診があり「ジェムザールは1週間に1度、3週続けて1週休む、4週を1クールとして行うのが基本です。来週から外来でジェムザールを続けましょう」と言われた。
昼間は日記を書き、おやつに喫茶店でココアを飲んでみる。量が多かったのか濃すぎたのかお腹が張った。まだ無理なのかな。夕食後にまた強い腹痛があった。K助教授の回診(今日は2度)があったので腹痛のことを聞いてみた。
「食後まだお腹が痛くなるのですが、ここは何があるのでしょうか」と下腹部を指す。主治医がレントゲンでは異常はないが、ずっと前から腹痛を訴えていると説明すると「腸ですね、癒着しているのでしょう」とのこと。癒着そのものは治らないが、とくに異常はないので時間をかけてで治すしかないようだ。お腹を切ったんだもの、しばらくは仕方がないかと諦める。
3月3日(水)8日目
朝6時に採血。3回も刺されてしまった。点滴は午後だというのに8時に早々と点滴の針を設置されたので、シャワーを浴びそこなってしまった。
検査の結果が良かったので、午後からジェムザールを投与する。やはりジェムザールになると痛いので、少しゆっくり流してもらう。大分楽になる。朝と夜、次女が寄ってくれる。明日は早くも退院だ。「これで本当の退院ね」と2人ともほっとした。
3月4日(木)9日目
*今日は退院。車はお腹に響くので電車で帰ることにし、荷物があるので主人に来てもらった。9時半、主人と出勤前の次女が来てくれた。仲良くなった同室の人に便箋セットを渡してお別れのご挨拶をした。Mさんが見えなくなるまで手を振ってくれた。みんないい人たち、早くよくなってね。主治医とは廊下でばったりお会いし、お礼が言えたが、お礼を言い忘れたK助教授には会えなかった。
バスと電車を乗り継いで帰る。大丈夫だった。途中御茶ノ水で喫茶店に入り、術後初めてのカフェオレを飲みながら「生きていたなあ」と実感する。「またこうしてパパとお茶を飲めるのね」としみじみ……。いつまで平穏でいられるかわからないが、こういう時間を大事にしたいと思う。
電車の乗り降りのときや人混みの中で、主人が私のお腹の前に手を出してかばってくれる。ずいぶん気が付くようになったと感心する。いや感謝する。
家に帰るとソファーに毛布が置いてあり、いつでも横になれるようにしてあった。主人だろうか、私を気遣ってくれる気持ちがとてもうれしい。主人にはずいぶん心配をかけた。早くよくなって安心してもらうことが、いま私のできる一番の恩返しだと思う。
午後休み休みワープロを打つ。夕食の支度も1人でできた。主人も次女も久々の私の手料理を喜んでくれた。「妻の味、母の味、思い知ったか!」なんて少々自慢。
私の机の上に本や資料が山ほど積んである。膵臓の病気の本が2冊と『抗がん剤のすすめ』『病院の検査がわかる』『がんの代替療法』『がんは自分で治せる』『免疫力は笑顔で上がる』。健康食品では『海草パワーでがん細胞を自滅に導け!』『がん細胞自然退縮!闘う昆布フコイダン』『水溶性アガリクスでガンを治す大百科』『がんを攻略するフコイダンの威力』『AHCCを科学する』などの本。資料はインターネットで調べた。膵臓がん、ジェムザール、AHCCなど私の入院中娘たちが集めた物だった。次女はこれらの本を殆ど読み尽くしたそうだ。「いざというときは一家団結しなきゃね」と言う。私のことをこんなにも心配してくれる家族がいて幸せだなあと思わずほろりとした。最近どうも涙もろい。
*2月25日~3月4日迄の抗がん剤治療の入院費 103,410円
今までの生活そして、これから

日航ホテルで開いてくれた退院祝いの席で
今までの私の生活は猪突猛進型。何かやりだすと止まらない、仕事でも遊びでも……。がんも生活習慣病の1つだという。今後は生活のパターンを変えなければいけないと主人に釘を刺される。
●夜型の生活を改めること(長年の習慣、できるかな)
●生活のリズムをゆったりと(「ご飯を食べて、すぐガタガタと動き回る・食器を洗いだすのはだめって言ったでしょ」と娘たちにも叱られる。いつも「食事の後は一休みして」と言われるが、やることが残っているとゆっくりできない性分なので)
●ストレスを貯めないこと。カッカしないこと(じゃあ、殿下ならいいの? と言ったら主人は爆笑していた)
●1日でも早く回復するには、無理しない程度にできるだけ体を動かすこと
●気持ちを明るく持つこと(転移・再発を心配してくよくよしないこと)
●今後やりたいこと、やり残したことは計画を立てて徐々にこなしていこう(身辺整理も少しずつ)
●家族との団欒、親しい人たちとの交流を大切にしていこう(みんなのお陰で生かしてもらったことを感謝し、私ができることは、積極的に行動しよう)
●「死を意識した時」をとおり過ぎた者として、こうして「生かされている」ということは、私はまだこの世で必要とされているという使命感(ちょっと大袈裟かしら?)で周りの人達のために手を差しのべていこう
今を、そしてこれからを、もしかしたら短いかもしれない時をどう過ごすべきか、私は模索している。(続く)
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