「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(7)

読者投稿:小川嘉子さん
発行:2006年8月
更新:2019年7月

12月(術後11カ月)

写真:池袋サンシャイン国際水族館で

病院の帰り、クリオネを見に池袋サンシャイン国際水族館へ

9日。先月末ごろAHCCを喉に詰まらせ、むせたのがきっかけで、喉にずっと違和感があった。主治医に話すと、血液検査で炎症反応が出てないので大丈夫と言われたが、耳鼻科に予約を入れてくれた。咽頭がん、肺がんのことも考えてのことだ。CA19-9は13だから大丈夫とは思うが……。

13日。内科K医師の検診。「咽頭がん、主に肺だと思うが、再発していれば小川さんの場合、CA19-9が上がるはず。現在異常がないので、心配はないと思う。早期に切除した人でも、1年以内に再発する人が多いので。もう1年たったから大丈夫」

「先生、まだ1年たっていない」

「あっ、そうでしたね」

「ジェムザールが効いているのでしょうか」

「効いているのか、術後に転移がなかったのか、小川さんの場合、わからないのですよ」

「先生が1年と言ってくださったので、来年の2月までやります。その後は、またご相談します」

先生は次の予約を入れながら

「僕はお会いしても、ただお話しするだけですけれどね」

「私は先生をセカンドオピニオンと思っておりますので」と私は即座に言った。K医師はいつも私の状況を把握している。AHCCの服用についても、ジェムザールのことも、常に相談している。主治医とK医師に守られながら、私の術後のQOLが維持されていると思っている。

16日。4週目の休み、年末年始と旅行で1カ月抗がん剤治療が空くのでちょっと不安。先生は「この間に何かあっても、急いですることはないので大丈夫」と言ってくださったので、正月旅行を決めた。正直なところ、しばらくジェムザールを打たなくて済むのは、ほっとする。不安だったり、ほっとしたり、複雑な気分である。

24日。久しぶりに満員電車で病院に行ったが、もうお腹も気にならない。耳鼻咽喉科で喉の検査。少し赤くなっているが、何も出来ていないとのことで安心。やっぱり診てもらってよかった。

27日。主人と次女の3人で、前から1度見たいと思っていた東京ミレナリオに行く。無数の電飾を、人混みに流されながらうっとり眺めた。帝劇の地下で夕食。有楽町の駅まで歩きながら、

「もうあれから1年だねえ」と主人が感慨深そうに呟いた。

28日。毎年役所に合わせ事務所の仕事納め。今年は私のために水回りの掃除とガラス磨きを業者に頼んだので、大掃除がとても楽。娘たちは忙しいし、私たちも老夫婦になったから、少し手を抜こう。

30日。甥の家族が来る。例年通り年末年始をこちらで過ごす。娘のMちゃんは2歳4カ月。私には孫がいないから、Mちゃんがとても可愛い。髙島屋へ連れて行き、洋服やおもちゃなどを買い、私のほうが楽しんでいる。ママがつわりでしんどいことがわかっているのか、私にぴったりくっついてくるのも可愛い。次女も一緒でベイシェラトンのラウンジで、「私たちの忘年会ね」と言いながらおしゃれな昼食。次女曰く「病後は少しぐらいリッチに、楽しい思いをしたほうがいいのよ」。2段になっているサンドイッチとケーキは、ハワイのホテルのアフタヌーンティを思い出した。

31日。お正月料理を揃え、除夜の鐘を聞きながら近くの熊野神社に初詣。甘酒を飲みながら、松明の下でおみくじを読む。「吉」だった。

2004年は、私や家族にとって忘れられない年となった。本当に皆に迷惑をかけ、そしてお世話になった。この11カ月長かったような、あっという間に過ぎ去ったような。でも例年通り何事もなかったかのように年末を迎え、人間の生命力の“不思議”に感無量になる。

手術が無事に済み、徐々に体力が回復したとき、あれもしよう、これもしようと考えていたのに、この1年を振り返ってみると何もしていなかったことに気づく。

主人からもらったフルセットを1度も使っていなかったから、ゴルフの練習をしよう。全くのカナヅチだから水泳の練習をしたい。ピアノをもう1度やり直そう。勤めはじめたため、作りそびれた何体かの木目込み人形を、作ろうなどと考えていたのに。

頭から再発の不安が消えることのなかったこの1年。無事に過ごせたという安堵とは裏腹に、あと何年かと思ってしまう。胸やお腹が痛くなるとすぐ(もしかして転移?)と不安になったり、自分がいなくなったあとのことを、家族の前で口走ったり……。

「ごめんね、こんなこと聞くのいやだよね」と言いながら、(吐きだしてしまったほうが楽。1人で抱え込んでいるのはつらいの)と涙が滲んだりする。この1年何につけても感謝し、涙もろくなる。「絶対泣かない!」と決めたが、少しでも気が緩めば、いつでも涙がポロポロこぼれそう。「泣くのが上手な女優」になれるかも……。いつか体験記を出したいと思っているが、タイトルは『涙はいつでもスタンバイ』なんていうのはどうかしら。もう少し自分の回復に自信がつけば、涙もろさは落ち着くのだろうか。がん患者の手記を読むと、何年たっても再発の不安から解放されないと書いてある。医師から聞いた生存率が頭から消えない限り、私もそうなるのだろうか。

乳がんのNちゃんが言った。

「おばさん、人はがんで死ぬんじゃないのよ。寿命で死ぬのよ」

同じように不安を抱えているであろうに、あっけらかんとした彼女の明るさを教本にしなくては。

膵臓がんの1年を振り返って

術後1年。正確には11カ月。検査の結果は後半の半年間も、血糖値以外は良好だった。抗がん剤を打っているから大丈夫と思う反面、正常な細胞もぼろぼろ傷ついているのではないかという不安が常に頭にまとい付く。再発より怖い副作用はないと言われ、自覚症状での副作用は我慢の範疇であったが、正常細胞のダメージがどんなものかわからないから怖い。「続けるべきか、止めるべきか、それが問題だ」と言って、娘たちを困惑させている。が、これが私の偽らざる本心なのである。

今、こうして元気でいられるのは、1つに私には仕事があったからである。退院後、目の前にある仕事が私を動かし、「私は病人よ」と言っている暇がなかったことが早い回復につながったのだ。来年も1日1日を大切に、前向きに過ごしていきたい。

生かされて

ある日突然、まるで交通事故のように私を襲った「がんの告知」。がん患者が増えていることも、がん保険も知っていたが、自分と結びつけて考えたことはなかった。5年間の膵嚢胞の検査で、ある程度の覚悟ができていると思っていたが、現実には甘かったようだ。改めてがん保険の内容を見て、(入っておけばよかった!)と思ったが、もう遅い。

がんの治療はお金がかかる。手術はともかく、ジェムザールは1回に15552円、未認可なら51840円。たとえ命と引き替えとはいえ、大変な負担である。その他にも血液検査、CTなどの検査費がかかる。私はジェムザールが認可された後で幸運だったというべきだろう。それでも通院だけで、100万円近い出費である。自費だったら軽く200万円は超えるだろう。その意味でも、新しい抗がん剤に対する早い承認を訴えていきたい。これは単にお金だけの問題ではなく、患者の生きる権利、希望の問題でもある。

私に何か、できることはあるだろうか……。

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