肺がん4期。脳転移、骨転移を乗り越えて がんと共に3年を過ごして
忘れられないハワイでの金婚式


子育てが終わってからの一番の楽しみは夫婦で旅行することだった。がんになってからも、入院、治療の合間を縫って、季節毎に、花や紅葉などを見に、小さな旅行を楽しんでいる。昨年も1月に早咲きの彼岸桜を観に、沖縄を訪れたのをはじめ、幾度か旅の感動があった。
1つの治療法の限界が来て少し休む間、外来化学療法時は1クールを終え副作用が回復してきた時期、検査結果の出る翌日を狙って「もし、結果が良ければお祝いに、悪ければ気分転換にしよう」などと、次の旅の計画を立てる。折角生きているのだから、また旅を楽しもうという考えだ。そんな私の気ままに、いつも体調を気遣いながら付き合ってくれる連れ合いがいる。有り難いことだと思う。旅は、2人にとってかけがえのない思い出を紡ぎ出してくれる。
昨年一番忘れられない思い出となったのは、5月末から4泊5日で行ったハワイ旅行だった。
がんの宣告を受けた時に金婚式までは生きようと心に誓った私は「ハワイで金婚式を」という夢を書いて、クラブツーリズム主催のバリアフリー旅行「鎌田先生と行くドリームフエスティバルINハワイ」のモニター募集に応募した。それが思いがけなく選ばれ、ハワイで少し早い金婚式を挙げる事になったのだった。鎌田先生ご夫妻が立会人になってくださり、牧師さんの前で「健やかなる時も、病める時も……」と再び誓いを交わしたときには、涙で眼が潤んだ。鎌田先生は誌上の対談や、往復書簡でも、又、他の著書でもお馴染みなので、関西在住の私にとっても初めてお会いしたような気がしなかった。直接お話を聞くことができ、先生の温かいお人柄にも触れられたこの旅は、貴重で喜ばしい体験だった。また、障害や病気にも高齢にも負けずに旅に出る前向きな多くの参加者の姿や、ボランティアの人達からも大きな励ましと元気をもらった。
病気になって以降初の海外旅行だったが、余り疲れもせず旅行を楽しむことができた。ハワイの青い空や海からの癒しのおかげか白血球の数値も上がった。免疫力が高まったかのようだ。
がんになって私が得たもの

煎茶の稽古に来ているお友だちと庭で
肺が���になって3年余りを経て、自分が随分したたかな強さを持つようになったと感じる。
検査で病巣の影に多少の変化が見られても、あちこちに転移の兆しが出ても一喜一憂しなくなり、とにかく美味しく食べられて歩くことができれば、それでいいと人生を前向きに捉えるようになったのだ。
昨年秋、十津川温泉へのドライブの途中、谷瀬の吊り橋を渡った。がんになる前にも何回か来たことがあり、渡ろうとしても、下を見ると目が眩み、いつも3分の1くらいの所で引き返したのだった。ところが、今回は橋の下の美しい景色や大きな揺れを楽しみながら歩みを進め、ついには初めて向こう岸まで渡りきることができた。これもがんのおかげだと思う。肺がんになってからの私は、恐れを知らず、ただひたすら前向きに人生を歩んでいる。「折角生きているのだから、今できるときに」とやりたいことを先延ばしにしなかった。この3年余りの間、私は楽しみや感動の多い濃密な日々を過ごしてきた。
以前は、焼き物や絵の展覧を観るのが好きで、その華やかな美や個性の表現に魅せられたものだったが、今は何より自然の生命力に感動する。手入れ不足の庭で、葉を虫に喰われ、折れ曲がったままに咲く残菊や、寒さのなか次々と咲く寒あやめ、昨年の朽葉や枯れた実がまだ付いているのに、もう蕾が膨らみ始める蝋梅などを見るとき、そのいじらしくも力強い生命力に心を打たれて涙が出そうになる。このような感受性も肺がんになったからこそ得られたものだろう。
私の病気のことをずっと気にかけてくれる周囲の愛にも心から感謝している。主人をはじめ、息子や嫁たち、女学校時代からの旧友、趣味を通しての友、地域での長い付き合いの友、病気を通じてできた新しい友、皆にいつも励まして頂き、何かと助けてもらっている。
発病から1年の体験記に、その感謝と共に「周囲に甘える自分を許せるようになった」と書いた。でも今は「余り甘え過ぎないようにしよう」という気持ちに変わってきている。がんでなくても、治りにくい病気は他にも多々あるし、もっとつらい難病もある。がんだからと言って甘えていては申し訳ない。折角生かされているのだから、私も少しでも他人の役に立ちたいと思うようになったのだ。
肺がんよ有難う
私は自分のなかにあるがんを憎む気持ちにはなれない。「肺がんよ有難う」と呟いたり、抗がん剤に耐性ができたときには「少しお休みをあげるから余り暴れないでね」と話しかけたりして、お付き合いしている。真っ向からがんを攻め立てる治療はなるべく避けたい思いで、抗がん剤治療も、効果が余り見られなくなったら頑張り続けないで、ワクチン療法などの免疫力を高める治療に切り替える。それを繰り返して、この3年余りを、がんと共に過ごして来ることができたように思う。そして肺がんのおかげで、頼りなかった自分が弾力のある不思議な強さを持つようになったと感じる。少々のことでは折れない、へこまない自信ができた。
仙骨への転移も、放射線とゾメタとの併用療法で大分痛みが軽減した。これをクリアした暁には、晴れやかな気持ちで春の花を観賞したい。また、今年もハワイで鎌田先生や障害に負けない元気な皆さんと再会できればと願っている。
今までの人生を自分なりに精一杯生きてきたので、いつ終わっても悔いはないという気持ちがより強まっている。延命治療を望まないリビング・ウィル(生前の意思表示)も書いた。生きることにはたくさんの感動がある。また、もう1年、がんと共に『がんサポート』と共に「肺がんよ有難う」と呟きながら生きたいと思う。
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