患者5人による“わたし的”副作用克服記 苦しみを乗り越えた先輩患者たちの副作用に負けない極意
激しい吐き気、重い倦怠感に負けて……。その患者経験を財産に――
多和田奈津子さん(37歳)

16歳の時に甲状腺がんを経験するが完治。97年、25歳の時に悪性リンパ腫と診断。化学放射線療法を行い、自家末梢血幹細胞移植を行う。02年に闘病記録を綴った『へこんでも』(新潮社)を出版。現在はNPO法人グループ・ネクサスの副理事長を務める
多和田奈津子さんは悪性リンパ腫のサバイバーだ。1997年に「右副鼻腔が原発のNK/T細胞性鼻型の悪性リンパ腫」と診断。翌月(97年11月)に50グレイの放射線を20回に分けて照射する放射線治療を受ける一方、98年1月~3月、ラステット(一般名エトポシド)による化学療法を受けて、移植用の末梢血を採取する。そして、同年の4月下旬に、サイメリン(一般名ラニムスチン)、ラステット、エンドキサン(一般名シクロホスファミド)、パラプラチン(一般名カルボプラチン)の多剤併用の大量化学療法を7日間行ったのち、自家末梢血造血幹細胞を移植(*)。治療当初から「非常に再発しやすく治療の効きにくいタイプのがん」といわれたが、幸いそれ以来再発もなく、まもなく12年を数える。
*自家末梢血造血幹細胞移植=血液細胞(赤血球、白血球、血小板)をつくり出す造血幹細胞を自分の末梢血から採取して冷凍保存し、大量の化学療法を行ってがん細胞を根絶したあと、保存した造血幹細胞を体内に戻す治療法
退院後にも幾度となく襲われた副作用
それにしても、きびしい治療で、副作用もあったのでは?
「いっぱいあります(笑)。まず、抗がん剤治療の副作用として強い吐き気がありました。点滴が終わっても『起き上がって何かする』なんてとんでもない。食事はまったく無理。その記憶があるから、次の治療時はさらに吐き気が強くなる感じでした。
骨髄機能が回復した後、食事制限がなくなり、最初に売店で買ったのは、『プリッツ』のサラダ味と『ぺヤングソース焼きそば』でした(笑)。なぜだかしょっぱいものが欲しくなってしまって……。味覚はすごく変わりました。退院直後は水も苦く感じました。渋くてお茶が飲めず、野菜ジュースを水代わりに飲んでいました」
こう笑ってこたえる多和田さんだが、退院後の倦怠感にも相当悩まされた。
「退院直後から体が重くて。ちょうど初夏の気持ちのいい頃に帰宅したのに、窓から入る風に耐えられず、ほとんど外に出られませんでした。見かねて母が近所の公園に散歩に誘ってくれたのですが、家から300メートル位の所で歩けなくなっちゃって……。『ちょっとそこまで行くことさえできない』。自分自身そのことにもショックを受けました」

口内乾燥を防ぐ保湿ジェル

自宅でもできる鼻洗い用の器具
放射線治療の副作用は? やはり大変でしたか。
「大変でした。まず、治療時の約1カ月間は、放射線が当たる部分の皮膚に絶対触れないでといわれました。痕がついて、治らないからと。
今も『疲れたな』と思うと、放射線を当てた部分に赤みが出ます。鼻血が出やすく、放射線のために涙腺が減って涙がすぐあふれるので、ハンカチが手放せません。においもあまりよくわからない状態です。
それに、放射線で鼻の粘膜や鼻毛がとれ、鼻の中が乾燥しやすくなりました。そのせいか、分泌物の大きな塊が岩のようになって張りつく。無理にとるととても痛いんです。ある日、検診のときに鼻の中を洗ってからはがしたら、いつもより簡単にとれて。医師に、『自分でもできるよ』と洗い方の説明を受け、病院の売店で購入しました。鼻洗いが自宅でできるようになり、やっと楽になりました」
「もう少し早く教えてくれれば(笑)。その意味でも、患者さん同志の交流は大事です。私は唾液腺もダメージを受けているので唾液が出にくく、食べ物の味がわからなかったり、のどに詰まったりするのですが、患者仲間の方に『オーラルバランスという口内乾燥を防ぐ保湿ジェルがいいよ』と教えてもらいました。これ、歯ぐきなどに塗ると、唾液の代わりになり、とても助かっています」
元気を取り戻せたきっかけ


外出するのが難しかった時期に、
妹さんに誘われて行ったディズニーランド
患者会といえば、多和田さんは悪性リンパ腫の全国患者会、NPO法人グループ・ネクサスの副理事長。同会は資生堂の協力を得て、09年度からがん患者さんの美容相談に応じる交流会を開催しているが、多和田さんはその仕掛け人でもある。その姿から、副作用に苦しんでいた頃の姿は想像できないが、元気を取り戻せたきっかけは何だったのだろうか。
「家から外に出られない状態は退院してから1~2年続きました。ただ、自分の中で『それじゃいけない』という焦りもあったんです。そんなときに10歳下の妹がディズニーランドに行こうよと誘ってくれて……。家族の支えは本当に大きかったです。それに、02年に闘病記を出版したことも大きなきっかけになりました」
闘病記のタイトルは『へこんでも』(新潮社刊)。
「アルバイトに行っても体力に自信がなく、鼻血が出ると『再発したら困る』と思って休むのですが、『鼻血くらいで?』といわれてしまう。そんな悩みをある人に伝えたら、『闘病記を書かない?』と。こんな当たり前のことを本にしても、誰も喜ばないと思ったんです。でもせっかくだからと出版していただいたら、患者さんからも医療者の方からもたくさんの感想をいただいて……。今までマイナスと思っていた経験が誰かのプラスになりえることがわかったんです」
現在はグループ・ネクサスを通して、講演会など様々な活動を行っている多和田さん。女性らしく、前向きな多和田さんに励まされている患者さんはきっと多いにちがいない。

患者経験を財産に――。
多和田さんは自身の経験をもとに各地で講演会を行っている
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