患者5人による“わたし的”副作用克服記 苦しみを乗り越えた先輩患者たちの副作用に負けない極意
忘れることが1番。人とかかわることで、病気を忘れる
齊藤興二さん(69歳)

精密計器会社で開発・設計の仕事をし、65歳でリタイア。直後、電気管理技術者の資格をとり、個人事務所を設立。07年、上顎洞がんと診断され、手術と術後化学放射線治療を受け、現在に至る
精密計器会社で電子機器の開発設計を担当し、会社をリタイア後、資格を取り、工場やビルの電気保安管理を請負って、楽しみながら働いていた齊藤興二さんが、上顎洞がん2期と診断されたのは07年6月のことだった。国立がん研究センター東病院を訪ね、80日間入院し、「手術+術後の化学放射線治療」という、上顎洞がんの標準治療を受けた。
手術で上顎洞部分を切除し、2週間後、5-FU(一般名フルオロウラシル)の投与を開始。土日を除く4週間、続けられた。抗がん剤は少量で、ほとんど副作用はなかったが、大量の放射線(60グレイ)を30日間に分けて照射する放射線治療の副作用は大きく、「治療のない土日祝日はほっとした」ほど。
副作用は、放射線を照射する顔の左半分に集中した。口内左側の口内炎、左頬の炎症と腫れ、皮膚の赤み、左後頭部の脱毛。唇も左半分がタラコのように腫れた。さらに、ひどい鼻づまり(1センチぐらいの塊りが詰まる)のほか、食欲不振により体重も60キロから53キロに。
「2年たった現在も左頬に痛みや腫れが出たり、涙がとまらない、鼻血が出やすい、激辛激甘以外の味がわからない、左耳が聞こえないなどの後遺症があります。1番困るのは、顔の左側にできるできもの。抗生物質も効かないし、乾かすと中に膿がたまるので、ほうっておくしかない。また、手術のため左歯茎のつけ根に開口部をつくりましたが、食べ物が入るし、洗浄が大変なのでふさいでほしいと頼みましたが、メンテナンスのため開いていたほうがいいと、そのままになっています。でも、多くは我慢の範囲内。気にしないようにしています」
2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ時代。年を取れば、がんになることもあるさと前向きに考える。だから、外へ。仕事も再開した。絶対に事故を起こせない厳重な現場なだけに代行制度がある。体調が悪いとき誰かが変わってくれるので、安心して取り組める。
日本書紀や漢詩作りなどの講座にも出席。出会った講師の先生や仲間たちと中国旅行にも行った。月に2回は地元・神奈川県川崎市の民家園で、ガイドや囲炉裏当番のボランティアを。患者会「どんぐりの会」には08年1月から参加し、編集補助や旅行幹事も引き受けるようになった。今では、仲間と癒しを求めてくる患者さんに向けて、体験を発表する役割も担っている。
「病気は忘れるのが1番。そして、人とかかわっていると、病気を忘れます。私自身、家族をはじめ、とにかく人に助けられてきましたから」


仕事が抗がん剤治療の精神的な支えに
春日俊彦さん(55歳)

2008年11月、膵臓がんが見つかると同時に、肝臓に転移していることもわかる。病期は4b期。現在は、働きながら、ジェムザールとTS-1による治療を続けている。趣味は山登り、野球観戦(巨人ファン)
早朝ウォーキングにいそしみ、人間ドックも欠かさず、健康に人一倍注意してきた春日俊彦さんにとって、「肝転移のある膵臓がんでステージは4b」との診断はあまりにもショッキングだった。国立がん研究センター東病院で、春日さんは手術も放射線治療もできないと知らされ、治験によるジェムザール(一般名ゲムシタビン)とTS-1(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)の併用療法を提案された。
これがよく効いた。ほっとしたのもつかのま、今年7月、「効果がなくなった」と投与が打ち切りに。春日さんは有効な治療を求め、杏林大学病院の古瀬純司医師を訪ねる。
そして現在、ジェムザールとTS-1という組み合わせは同じだが、定速静注という投与方法が異なる治療を受けている。同じ薬剤を今までの4倍時間をかけて投与する方法だ。
「状態は良好。医療用麻薬が12時間効くので、勤務時間中は『どこが悪いの?』といわれるほど。周囲にも迷惑をかけずに済む」
と春日さんは笑う。副作用も、「体毛が減って、鼻血が出やすいことくらい」。こんなふうに病気を受け入れ、淡々と治療を続けられる最大の活力源は仕事だ。
「私の場合、見たところピンピンしている。仕事もデスクワークで、口さえ動けば何とかなる(笑)。仕事を続けていることが、じつは私にとって精神的にも大事なんです。大学時代に『働くことは、傍を楽にすること』と教わり、なるほどと思いました。趣味もいいけれど、とにかく人や社会の役に立ちたい。仕事の内容は資産管理です。会社の所有する、土地、建物等の不動産の境界・建物や柵の保全等と、活用方法が最有効使用であるか検討実施する仕事ですが、分譲地を開発するとき、『こんな家庭が生まれればいいな』と立案するなど住む人の夢を叶え、社会の役に立つように考えるのは楽しいです」

幸い、会社も職場の人々も、「治療第1で」と非常に理解がある。プライベートでは高校時代の山仲間と日帰り旅行に出かけたり、年1度の温泉つき1泊登山に出かけたりと、充実した日々を送っている。
医師との関係も良好だ。
「古瀬先生は膵臓がん治療の第一人者なのに、人柄が温かい。巡りあえて良かったです。先生は、新しいがん治療はギャンブルと同じ。以前の春日さんには効いたのだから、定速静注はギャンブルよりはるかに高確率。やってみる価値は大ですよ」なんていう。
春日さんは職場の近くに建設中の東京スカイツリー(高さ世界1)を眺めながら、今日も仕事に没頭している。
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