〝生まれてくれて〟本当にありがとう 結婚前25歳で精巣がんに

取材・文●髙橋良典
写真提供●土田龍之介
発行:2022年1月
更新:2022年2月


広報をやらせてください

会社で情報発信している土田さん

2016年2月にがんかどうかハッキリさせるための開腹手術が行われた結果、がんと判明し右睾丸摘出手術が行われた。

入院期間は10日程度だったが、会社は2カ月間、休むことになった。

術後は1回目のときと同じように体力の低下が甚だしく、全盛期の4割程度の体力しかなくなっていた。休職が明けても、会社にはただ通っているだけという状態が続いた。

「体力が戻らない状態で、現場に出ることも叶わず、できることといったら会社のゴミ拾いくらいで、給料は以前と同じようにいただいているという状態が半年ぐらい続きました」

何かしようにもどうしていいかわからず、また何かしようとしてもキャパオーバーになってしまうといった状態が続いた。

例えばトラクターに乗るとその振動で気分が悪くなり、5分以上乗っていることはできない。トラクターに乗れない、肉体作業はできないとなると、農作業員としては厳しいものがある。

「とにかく、いまの自分の体力に合った新しいスタイルの仕事を見つけなければならないと思うようになりました」

そこで自分はこの会社に入社する前は、この会社のことを何も知らなかったということに思いあたり、社長に「会社の広報をやらせてください」と願い出た。

生まれてくれて本当にありがとう

土田さんは2016年7月に結婚したのだが、2度目の手術をするにあたって婚約者とは、精子の凍結をしておこうという話し合いはしていた。

「もともとが、その治療の最中に2度目のがんが見つかったということです。

彼女がいてくれて結婚する話になっていたので、がんが早く発見できたのだと、妻に感謝しています。不妊治療は妻が勧めてくれたのですが、睾丸を両方とも切除して、これで本当に子どもができるのか自分としては自信がありませんでした」

「私は人生に爪痕を残したいと思い、広報活動などもしてきましたが、ゴールがなかなかありませんよね。1つ結果を出すと、また次の結果を求められてくる。『どこまで進めば爪痕を残したことになるのだろう』、と焦りながら日々仕事をしていたのですが、その焦りが私の表情に出ていたみたいで、あるとき妻から『子どもをつくりましょう』と言ってくれました。それまでは原因は自分にあるので、妻にはなかなか子どもを作りたいとは言い出せませんでしたから」

不妊治療の結果、土田さん夫妻は2020年7月に男児を授かる。

「妊娠した後も、本当に生まれてくるのか、不安もあったので、無事生まれたときには『本当にありがと』」の一言でした」

いまは本当に幸せなのだと土田さんの穏やかな表情が物語っている。

「ありがとう」の言葉を忘れない

ソチオリンピック開催期間中に〝金〟を取ったとき

「がんになって���周りからは『大変だね』と言われたのですが、私は自分の人生、こんなもんだと思えばそんなものなんじゃないかな、という風に自分は思っています。

私の場合は1度目の睾丸切除手術を受けたときは丁度、2014年ソチ冬季オリンピックが開催中だったので、『オリンピック開催中に金を取りました』と見舞いにきてくれた友人たちに話をするとドッと受けて、それが当時の私の鉄板ネタでしたね」

土田さんは現在、1年に1度のCT検査などの定期健診のほか、10日に1度、病院に男性ホルモン注射を打つために通っている。

「現在はそうでもありませんが、2度目の切除手術のあとの定期健診で、何もなかったとしても、次の定期健診まで生かしてもらっているといった気持ちが拭えませんでした」

多くのつらい体験を乗り越えてきた土田さんに、がんになったことで日々思っていることを語ってもらった。

「会社の代表から、私が精巣がんで入院していている旨の話を会社のみんなにされ、休職期間中も給料は払い続けるからと話されたそうです。私がこのように社会復帰ができたのは、私を暖かく見守ってくれていた代表をはじめ、みんなの応援があったからだと思っています。

また、これは後から知ったことですが、私が精巣がんだと伝えたとき、妻は『この人を何とか支えなくてはと思った』と地元のテレビの取材に答えていました。

このように私は、たまたまいろんな人の支えがあって自分が今日あると思っていますので、支えてもらった方々に『ありがとう』という気持ちは忘れないようにしています」

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