お笑いがあったから頑張れた 33歳で直腸がんステージ3に
肝臓に転移。新たな試練が
ようやく復帰も叶って「さぁこれから」と思っていた矢先、尾形さんに新たな試練が襲いかかってきた。肝臓に転移が見つかったのだ。
8月に抗がん薬治療は終了したのだが、その際、血液検査の結果、それまで安定していた腫瘍マーカー(CEA)の数値が、ほんの少しだけ高くなっていた。
そこで、念のためCT検査をすると、肝臓に少しだけ影らしきものが見つかった。
さらにMRI検査をした結果、肝臓に転移が認められた。
「肝臓に転移していることが、わかった段階で、さすがにダメだと思いましたね。手術や抗がん薬治療で結構つらい思いをしてきたのにこれかよ、と思いましたね。相方に再発したことを伝えると、冗談交じりに『また、ふざけんなよ!』と言われました(笑い)」
肝臓の転移に対しては抗がん薬治療を行うという話も出ていたが、主治医からは「尾形さんはまだ若いから、がん専門病院で診察してもらったほうがいいのでは」と、がん研有明病院を紹介される。
「私の主治医が、抗がん薬治療を続けるという方向で紹介状を書いてもらっていたので、がん研有明病院でも抗がん薬治療の先生のところに紹介されて行きました」
医師は「これまで使用した抗がん薬をすり抜けて新たに転移しているのだから、このまま抗がん薬治療を続けるのは少し違うと思う」と話し、肝・胆・膵外科に回され、診察を受けた。
その医師は「尾形さんはまだ若いから、体力もあるし一度手術して様子みてもいいかもね。抗がん薬治療をやるにしても、その武器は最後まで取っておいたほうがいい。精密検査をしてどのくらい転移しているか、細かく調べてみましょう」
精密検査の結果、大きいのは2㎝、小さいので1㎝ぐらいの腫瘍が12個見つかったが、そのすべてが肝臓の表面近くにあり、肝臓をそんなに傷めず腫瘍が切除できることがわかった。
前の病院から紹介された約3週間後、2021年10月20日に手術することが決まった。
手術は6時間の大手術で、入院期間は10日ぐらいだった。
術後は、抗がん薬治療は行わず経過観察することになり、現在は3カ月おきにCT検査を受ける予定になっている。
「手術前のMRI検査で肝臓に腫瘍が12個あることがわかっていたのですが、手術してみるともう2~3個腫瘍が増えていたらしくて、『手術で取り切ったとしてもまた再発しないわけじゃない』と主治医からも言われて、それを考えると憂鬱になるのでなるべく考えないようにしています」
お笑い芸人を目指して上京
がんとの闘病中の支えは、自分にはお笑いがあったことだという尾形さん。なぜお笑い芸人を目指したのだろか。
「漠然とお笑い芸人になってみたいと思ったのは、中学1年の頃からです。お笑い番組が好きで、そんな番組ばかり見ていましたね。お笑い番組を見て、笑っているときがなんにも考えなくてすむので好きでした。だから、自分も人を笑わすことができるお笑い芸人になりたいと思いました」
しかし、そう思ってみたもののどうしたらなれるのか、まったくわからず時間だけが経過していった。
そんなある日、テレビでお笑いの養成所の話をしている番組に出合う。
尾形さんは、自分ではお笑いをやりたいといってはいるものの、人前に出てワァーキャーやるタイプではなかった。だから、その番組で紹介していた吉本の養成所NSC向きではないと思ったという。
そうしたとき、尾形さんがもともと好きだったお笑いコンビ「おぎやはぎ」が別の番組の中で人力舎の養成所の話をしていた。
「それを見てすぐに資料を取り寄せ、その養成所に行こうと決めました」
それはプロダクション人力舎が1992年に開校したスクールJCAという養成所だった。
2005年、高校卒業後に上京。スクールJCAに14期生として入所した。
養成所卒業後、人力舎に所属し、2014年1月1日にスクール14期生の長谷川さんと「パシフィックオーシャンパーク」というコンビを結成したが、ほどなくしてコンビ名を現在の「ザ・ギンギンマル」に改名して現在に至っている。
それでもお笑いにこだわる
その尾形さんの芸名にも遍歴がある。
尾形さんは当初は「マイケル・J」の芸名で活動していた。するとコンビを組んだ相方の長谷川さんが、自分が長谷川だと地味で目立たないからと、芸名を「長谷川デビルマル」に変えた。ところが相方がデビルマルで自分がマイケル・Jだとつり合いが取れないからということで、尾形さんの芸名が「ギンギンくん」に決まった。
しかし、後輩がコンビ名の「ザ・ギンギンマル」を「ギンギンさん」とか呼んでくるので、自分のことかコンビのことかややこしくて仕方ない。そこで芸名を変えようと、相方に相談したところ、「お前が芸名をギンギンくんに変えてからよくないことが起こっている。お前はがんになったし、おれは離婚した」と。
「そういわれればそうだな、といことで2度目の手術が終わったときにオガタ。に改名しました」
最後にがんになる前となった後では、何か変わったことがあるのか、いくつか質問をぶつけてみた。
お笑いの内容に変化は?
「手術する前はわりと体をぶん投げられたりしていたのですが、いまは体が本調子ではないので、あまり動かないものに変わりました」
お笑いをやめようと思ったことは?
「相方とコンビを組んだときに、もしやめるとしたら相方がやめると言ったときだな、と思っていました。相方が続ける気持ちでいてくれるなら続けていきたいとは思っています。また、お笑いをやめたら病気が悪化するような気もしていますので、ここまでやってきたので続けていきたいというのが本音ですね」
尾形さんがそこまでお笑いにこだわるのはなんだろうか。
「人のネタ見て笑ったり、自分でも人を笑わせたりすることができたのが、この闘病生活の中では大きかったです」
生き方に変化はあったのだろうか。
「がんになる前は、ダラダラ生きていたというか、お笑いに対する姿勢もどこかで区切りを考えたりしなければならないのに……、別にサボっていたわけじゃないですが、ダラダラやっていた感じではありましたね。病気になってからは、どこかで勝負を賭けなければと思うようになりました。例えば、賞レースでも確実に上にいくことを考えるように半年後、どうするか、なるべく考えるようにしています」
病に負けず、お笑いに人生を捧げる尾形さんのこれからの活躍を見守りたい。
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