25歳で整骨院を開業した理由 14歳で急性リンパ性白血病、17歳での再発を乗り越え
柔道整復師を目指して専門学校に
10カ月に及んだ入院生活を終え、無事に高校を卒業することができた鈴木さんは、柔道整復師を目指して専門学校に入学する。
「僕はスポーツが好きで、スポーツに関わる仕事をしたいと漠然と思っていたのですが、入院中にお医者さんとか看護師さんの仕事を見ていて、自分が人に何かしてあげることで『良くなった』とか、『ありがとう』とか言ってもらえる立場に自分もなりたいと思ったからです。父からは僕が中学、高校と青春を謳歌する時間を入院生活で送れなかったので、大学進学を勧められたのですが、この病気になったことで、人はいつ死んでもおかしくはないんだな、と気づかされました。ですからせっかく自分のやりたいことが決まっているのに回り道をして時間を無駄にしたくないという気持ちが強くあったので、専門学校に行く道を選びました」
19歳のとき特発性大腿骨骨頭壊死に
柔道整復師の資格を取るため専門学校に入学した鈴木さんだが、19歳のとき新たな試練が襲い掛かってきた。特発性大腿骨骨頭壊死症という病気である。
これは大腿骨骨頭の一部が血流の低下により壊死に陥った状態で、その部位が潰れることで痛みが出てくる。
「痛みが続いて、長時間歩くことができなくなりました。鎮痛薬は飲んでいましたが、痛みはなかなか取れませんでした。学校では柔道が必修なんですが、1年生の頃はなんとかできていたのですが、2年生でかなり難しくなり、3年生ではまったくできなくなりました」
通院していた整形外科医からは、柔道整復師になることは諦めたほうがいいと言われ、なるべく骨頭に負担がかからないデスクワークのような仕事を勧められた。
しかし、柔道整復師になる夢を捨てることはできなかった。
「僕の命は助けられた命だと思っているので、柔道整復師となって自分の治療院を訪れる患者さんのために力になりたいという思いが強くあって、なんとしても学校に通って資格を取得したかったのです」
21歳のときには、札幌に人工関節について有名な医師がいるというので、診察を受けに出かけて行ったこともある。その医師からは「いますぐにでも人工関節の手術を受けたほうがいいくらい状態が悪い」と言われた。
その当時、人工関節にすれば、20年ぐらいで再手術が必要になる。だから医師からは「いつやりましょうとは言えません。あくまであなた自身が人生の中でいまが一番重要だ、と思うときにされるのがいいかと思います」と言われた。
それを聞いて「いまじゃないな」と思ったという。
何事に対しても後悔しない生き方を
鈴木さんは専門学校を卒業後、4年間柔道整復師として都内の整形外科、マッサ���ジ院、整骨院勤務を経て、中学1年~3年の2年間過ごした北海道旭川市にもどり、東神楽町でひじり野整骨院を開業した。鈴木さん弱冠25歳のときである。
「開業した当初は本当に大変でした。施術の勉強はしてきたのですが、経営の面ではまったくの素人でしたから」
大腿骨骨頭壊死はどうなったのか。
「専門学校に通っていた3年間で骨頭が徐々に潰れていき、現在は潰れきったままです。人工関節ではなく、どうしたら痛みが薄らいでいくかと考えて、加圧トレーニングをやってみたり、サプリを飲んでみたりいろいろ試してみました。骨頭は潰れてしまって、元には戻りません。それなら周りの筋肉をつけて、そこにかかる負担を減らそうと筋肉をつける運動をしました」
現在も整骨院内にエアロバイクを置いて、週に1度は筋肉量を落とさないよう運動に励んでいる。
「現在は以前みたいな痛みは感じなくなり、鎮痛薬を飲むこともほとんどなくなりました」
32歳で結婚、現在2歳半の子どもの父親でもある。
鈴木さんは、14歳で急性リンパ性白血病に罹患したことについてこう言う。
「病気をしたことはつらかったことではありますが、決してマイナスということではなく主治医の先生を始め、命を救ってくださった方々がいたから、こうして元気に生活することができ、家族を持ち、現在の職業に就けました。きっと今の自分を形成するという意味では必要な過程だったと思っています」
そしてこう続けた。
「患者さんの痛みを改善してあげることが第一目標です。それは、自分も痛みを経験してきたからこそ、来ていただいた患者さんのために、どうしたら1日でも早く、1回でも少なくその患者さんの痛みを取ってあげられるかと常に心掛けていますね。患者さんの気持ちに寄り添えることができるようになったことは、よかったかなと思っています」
「生きている以上は何事に対しても後悔しない生き方をしよう、と自分の中では常に考えて行動しようと心がけています」という鈴木さん。
今日も、患者さんのこころに寄り添った施術に当たっている。
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