なるべく楽しく生きること 田舎暮らし6年目、手術後S状結腸がん3a期と診断されて

取材・文●髙橋良典
写真提供●大友和紀
発行:2022年5月
更新:2022年5月


S状結腸がんステージ3aで、術後補助化学療法を勧められる

退院前。直前に抗がん薬治療の話を受けて、浮かない表情に

18月24日、S状結腸がん切除と同時に側方リンパ節郭清(かくせい)が行われ、手術時間は7時間に及んだ。

9月1日、退院の前日、大友さんは主治医からCT画像検査と郭清したリンパ節の病理検査の結果についてこう説明を受けた。

「腹部から27個のリンパ節を切除し、そのうちの2個からがん細胞が見つかりました。この結果、S状結腸がんはステージ3aで術後補助化学療法を行うことをお勧めします」

これを聞いて「退院して終わりじゃないんだ」と、再び打ちのめされた気持ちになった。

もともと抗がん薬治療に強い抵抗感があった。周囲から抗がん薬治療について、いい話はひとつもなく、「副作用がつらい」「あんなつらいものするもんじゃない」など多く聞かされていたからだ。

さらに主治医の説明では、抗がん薬治療を受けたとしても再発率は10%程度下がるだけだという。

〝たった10%のためにつらい抗がん薬療法を行う必要があるのか〟と迷っていると、主治医は「いますぐ結論を出さなくていいので、よく考えて決めてください」と、大友さんに判断をゆだねられたため、抗がん薬治療をやるべきか、大いに思い悩んだという。

そんなある日、事業を担当していた町役場の方に抗がん薬治療を受けるべきか、相談してみた。

「ギャンブルの世界では、確率が10%上がるというのはすごいことですよ」と、パチンコやスロットなどが好きな彼はギャンブルを引き合いに出して話した。

この言葉に背中を押され、大友さんは抗がん薬治療を受ける決断をする。

人工肛門から解放されて嬉しかった!

9月30日から通院での抗がん薬治療が始まった。初日にエルプラット(一般名オキサリプラチン)を点滴投与し、2日から14日までゼローダ(一般名カペシタビン)を服用後、1週間休薬の3週間を1クールとし、これを8クール、約半年間続けるXELOX療法が始まった。

「心配していた、副作用は最初の1クール目にはまったく出ませんでした。しかし、2クール目になると、点滴中に左手にしびれが出て動きにくくなってきました。最初のうち、しびれは1週間ぐらいで取れていましたが、徐々に取れなくなってきて、5クール目にはまったく取れなくなってきました。6クール目にはひざから足の裏にかけてしびれが出始めました。5、6クール目は季節が冬だったので、より寒冷刺激があってつらかったですね」

そこで、この副作用について主治医と相談して、エルプラットの投与は6クール目までとし、残りの2クールについてはゼローダ単独で行うことにした。

抗がん薬治療を始めて一部に変更があったものの、半年後の2017年4月20日に予定していた8クールを終了することができた。

「これでがんから解放されるのだと思って、ホッとした気持ちになりました」

と、同時に主治医から人工肛門閉鎖の話があった。主治医に、人工肛門が取れるようなら早めに取ってほしいと頼んでいたので、その希望がやっと叶ったのだ。

「本当に嬉しかったですね!」

いきなり卒業は少し怖い

5月17日、人工肛門閉鎖のための手術を受けたが5時間もかかった。

「がんを切除したときよりも、人工肛門閉鎖の手術を受けたときのほうが、痛みなど体への負担が大きくて、しばらくは大変でした。また1カ月半から2カ月ぐらいは便が細く出にくいなどの症状がありましたが、その後は普通に排便できるようになりました」

人工肛門閉鎖後には頻繁な便意や下痢、便秘といったさまざまな後遺症が出るといわれているが、大友さんの場合はそういった症状が少なかった。

「ラッキーだったと本当に思います。同じぐらいの時期に人工肛門の閉鎖の手術を受けて、いまだに調子が悪いと言っている知り合いがいますから」

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人工肛門閉鎖後は、経過観察を3カ月ごと続けていった。

抗がん薬治療を終了して8カ月目の2017年12月の検査で、腫瘍マーカーが上昇し始め、2018年2月の検査では、わずかだが、基準値を超えた。

しかし、1カ月後の3月の検査では、腫瘍マーカーの数値は基準値内に戻っていた。

「正直、ホッとしました」

現在、治療終了から5年が経過して、主治医からは「これで卒業ですね」と言われた。

「でも、いままでは3カ月ごとに検査で病院に通っていて、医療の傘の下にいるという安心感があったのですが、『もう来なくていい』と言われると〝少し怖いな〟と思い、先生にお願いして1年に一度、検査をすることにしてもらいました」

現在、手のしびれは冬場の寒いときなど多少残るもののほとんどなくなったが、足のしびれはずっとそのままだという。

入院前、猫4匹と暮らしていた大友さんは、入院中の気持ちの支えの1つが早く退院して猫たちに会いたいということだった。現在は奥さんが貰ってきた犬や猫など数が増え、犬2匹、猫5匹、計7匹のペットたちと共に暮らしている。

大友さんは坂本家のマネジメントのほかデザイナーの仕事や、奥さんがやっているパン屋の手伝いもすることがあり、なかなかに忙しい生活を送っている。

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なるべく楽しく生きること

そんな生活を送るなかで、大腸がんを経験したことでそれまでの生き方と何か変わったことがあったのだろうか。

「私はワーカーホリックなところがあって、以前はプライベートな時間を割いても仕事を優先するようなところがありました。ですから退院当初は日々を大切に感じるように生きていこうと思い、プライベートな時間を大切にしていこうと思ったのですが、手術から6年経ったいま、以前と行動が変わることなく、元に戻ったような気がしています。ただ、仕事を整理したりして多少は断ることも出来るようにはなりました」

徳島県勝浦町に移住して今年で11年目。移住して後悔はないのか、尋ねてみるとこんな素直な答えが返ってきた。

「それはあります。嫌な人に会ったときなどですね(笑い)」

都会で生活していると田舎暮らしに憧れるが、田舎暮らしは田舎暮らしで人間関係が都会より濃密だけにその分、難しい点もあるようだ。

大友さんは、自身が大腸がんに罹患した原因についてはこう話す。

「ストレスじゃないでしょうか(笑い)。がんが見つかる前は仕事のストレスからか、飲酒量がかなり増えていました」

また、続けてこうも話してくれた。

「マラソンしているとランナーズハイなどあって自分の体調を冷静に判断できないことがあります。がんでマラソン仲間のひとりが亡くなったんですが、その少し前、すごく痩せられていたので、『えらく痩せましたね』と話しかけたのですが、『走り込んでいるからね』と一向に意に返さないようでしたから。そう言えば、ぼくもがんと診断される前、便秘が続いていたのですが、走ると腸が動くので出やすくはなるので、別に気にも留めていませんでした。また、腸閉塞になる1カ月前に受けたがん検診で要再検査になって気にはなっていたのですが、忙しかったこともあって見て見ないふりをしていましたね」

インタビューの最後にいま一番大事にしていることは、と尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「なるべく楽しく生きること」

ストレスのない生活を送るのはなかなか難しいことだが、人生そうありたいものだ。

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