〝前へ〟進む商品を開発! 子宮頸がんⅠB2期で子宮と卵巣全摘手術を乗り越え
自分は本当のことを知らされてないのでは?
しかし、抗がん薬治療が終了したあと、水田さんは大きな精神的ダメージを受けることになる。それは12月の定期検診のときのことだった。
主治医が入力している電子カルテの画面を何気なく見てしまったとき、画面には水田さんがまったく聞かされてなかった事実が書かれていたのだ。
「『○○細胞がん』という、見慣れない言葉が書かれていました。インターネットで検索してみると、非常に発症数が少なく、予後も大変悪いもので、発症後2年以内に再発して亡くなることが多いという論文が出ていました」
自分だけがこの事実を知らされてなくて、隠されているのではないかと疑心暗鬼になった。主治医からは「治療はうまくいった」と説明されているが、それも全部嘘で、近いうちに再発して死んでしまうに違いないと思い込むようになってしまった。
せっかく治療が終了したのに、気持ちが塞ぎ、復職の意欲も湧かない日々が続いた。
「2年が経過したとき、『これは大丈夫なのかも』とやっと思えるようになって来ました。そのときが精神的に一番落ち込んだ時期でしたね」
「これはストッキングじゃない、ギブスでしょ」
術後の後遺症として排尿障害とリンパ浮腫が起きる可能性があるので、病院でそのための指導は受けていた。
治療が終了した翌年(2013年)の1月ぐらいから足の付け根の鼠径部に水が溜まっているような感じで、左右の大きさが違うといったリンパ浮腫の症状が始まり、リンパ浮腫専門のクリニックで3時間くらいレクチャーも受けた。
そこで「リンパ浮腫は一生治らない慢性疾患だけど、このストッキングを毎日まじめに履けば仕事もできるし、普通に暮らせますよ」と言われて、何種類かのストッキングを出された。しかし、それらすべてが衝撃的なものだった。
「これはストッキングじゃない、ギブスでしょう」と思ったくらい分厚く不自然な見た目で、履くのにも本当に大変な代物だった。
「私がそのストッキングを勧められた当時は『朝起きたらトイレに行くよりも何よりもベッドから足を下ろす前にストッキングを履き、お風呂に入るその瞬間まで絶対に履いていなさい』という指導でした。こんなものを一生、毎日履かなくてはいけないんだ! せっかく治療が終わって髪も生えてきたのにと思い、すごい衝撃を覚えました」
そんな中、いつまでも休んでいるわけにもいかず、復職する直前にリンパ管静脈吻合術というリンパ浮腫の外科手術を受け、2013年7月に職場に復帰した。
「復職した当時は、仕事に対してモチベーションがまったく見いだせなく、『60歳の定年まで窓際族でいいんだ』とまで思い詰めていました。同期が次々に管理職に就いていくなかで、自分は休職で昇格試験も遅れたりしていて、仕事で価値を発揮したいとはまったく思っていませんでした」
そんな気持ちを転換させるきっかけとなったのが、2016年夏にがんにかかわるボランティアを始めたことだった。
会社を立ち上げ独立する
ある患者会で、乳がん体験者の鈴木美穂さんと知り合ったことがその転機となった。鈴木さんががん患者とその家族のための〝家〟「マギーズ東京」をオープンさせようと、クラウドファンディングにチャレンジしているそんな時期だった。
彼女から「マギーズ東京のファンドレイジングの一環で、チャリティグッズを開発したいので手伝ってくれないか」と頼まれたことが転機となる。
「仕事で培ってきたスキルが使える、ということが発見でした。それまで『会社に行けばがんのことは忘れて働かなくてはならない。仕事と自分の人生に起きたことは分けて考えなくてはいけない』と考えていたのですが、『自分のスキルをがんのために役立てることができるんだ』ということがすごい発見でした。また鈴木さんが自分のがんの経験を生かして前に進んでいるのも私には衝撃で、『忘れずに、生かすという手段がある』と気づかされたのが大きな体験でした」
それまで水田さんはがんを早期発見できなかったという後悔もあり、「せめて後遺症のリンパ浮腫については、何とかして進行を食い止めたい」というストイックな気持ちがあった。
「だから弾性ストッキングを履き続けなければいけない。そうするとそれまでの自分の好きなファッションはもう無理、友達と旅行に行くのも無理だし、蚊に刺されたらダメ、日焼けしたらダメ、正座したらダメ、太ったらダメ、もうなんにもできない状態。でもリンパ浮腫を悪化させたくないから、『私はもう脚のために生きるしかない』そんな感じになっていました」
それは人生で、病気が大きな割合を占めていたときの志向で、1年経ち2年経つうちに、『この脚中心の生活を一生続けるのか?』と、自身に問いかけてみたりするようになっていた。
そして『このストッキングを一生履き続けるのは無理』という気持ちが年単位で大きくなっていった。そんな時期に鈴木さんと出会い、刺激を受けた水田さんは、3年後の2019年、会社のグループ全体として行っている新規事業コンテストに応募して、その仕組みを使って親会社から出資を受けて、別会社として(株)encyclo(エンサイクロ)を立ち上げたのだ。
ストッキングと保湿クリーム

「いままでの弾性ストッキングは医療機器なので、機能のみが重視され、見た目や気分といったエモーショナルな部分は取り入れてないように思えました。だからMAEÉ(マエエ)いうブランド名にも込めているように、治療しながらでも気持ちが『前へ』向かうよう機能と同時におしゃれをあきらめなくてもいい、その両立が叶う商品開発を目指しました」
水田さんはポーラの商品企画部に約10年在籍し、多くのファンデーション開発を担当してきた。1つのファンデーションでも6~7色を揃え、微細な色の差に拘ってきたという。
「ですからストッキングも同じ肌に乗せるものなのに、『どうしてこんなに不自然な色が多いのだろう』というのが不思議でした。私の会社は小規模に始めたので、ファンデーションのときのように6色も7色も用意できないので、どんな人もきれいに見せるような究極の1色を化粧品会社ならではのアプローチで作りたいと思いました。幸いポーラには日本人の肌色のビッグデータがあるので、1色でなるべく多くの女性の肌を健康的に美しくみせる色をビッグデータから導いて、それをストッキングに反映させたのです」
水田さんの会社の商品には、ストッキング以外にラインアップがもう1つある。それは昨年新たに発売した保湿クリームだ。
リンパ浮腫には4つ大事なケアがあるという。1つは弾性ストッキングを履くということ。2つ目は軽い運動をして筋肉のポンプ機能を動かす。3つ目は医療者にマッサージをしてもらって流してもらう。最後の1つがスキンケア。
「リンパ節は外界からの刺激をブロックする免疫の機能を持っていて、リンパ節がないと炎症や感染を起こしやすくなって、リンパ浮腫も悪化してきます。ですから肌が常に潤って外部からの刺激がないようにしておくことが必要なのです。保湿が一生続くものなのに『従来のいかにも医療用の保湿剤といったものでは、前向きな気持ちでケアを続けるのが大変』というのがモニターの方たちから見えてきました。そこで私たちは母体が化粧品会社なので、化粧品会社ならではのきちんと保湿機能があり、さらに毎日進んで使いたくなる商品を作りました」
「自分っていいね」
「私たちストッキングのみのメーカーになったつもりはなく、リンパ浮腫という一生気を使って生活していかなくてはいけない人たちに向けて、それでも気持ちが少しでも『前へ』進むような、いろいろをラインアップしていきたいと思っています。そしてリンパ浮腫の方ばかりではなく、人生の中で思いがけないことが起きて、自分らしく装うことを諦めている人にも対象を拡げたいと思っています」
「それまで自分はなにも考えず幸せに生きてきたんだな、と思い知らされました。混雑する病院の待合室で、こんなに病気の方がたくさんいらっしゃるのに気づかされました。若くして子どもを持てなくなる、一生治らない後遺症を持った人がいる、それまでそんな人がいるなんて想像すらしたことはありませんでした。ただただ『元気な人を基準に人生を生きてきたんだな』と思いました。だからいまは広い意味での『ビューティー』、それは顔に塗る何かということではなく、その人が『自分で自分をいいね』と思えることに私は関わりたいんだな、と自分の領域が拡張されたような気がしています」
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