「撮った日が記念日」今度はみんなの笑顔を届けたい 大腸がんで音楽ユニットからフォトグラファーに転身
一番素晴らしい日は何でもなく過ごしている日
YUTAさんは現在、実家のある熱海でフリーのフォトグラファーとして活動しているが、何故その道を選んだのだろう。
「音楽活動を始める前から、カメラが好きで写真は撮っていました。しかし、専門的な勉強をしたことは一切ありません。音楽の仕事をする中でSNS用に撮影したり、自分の撮影した写真の展示会をさせてもらったりしていました。ファンクラブのコンテンツに使ったり、配信ライブに差し込む映像なども担当していました。趣味の撮影が、音楽の仕事の中でミックスできる機会が増えていきました。自分がアーティストとして音楽活動をしてきたこの10年間の歴史は、CDや映像に綺麗に残っています。それが自分にとって財産だと思えたのです。ですから、誰かにとって一生残るようなものを、今度は自分が届けてあげたい。いままでは自分が注目される側、今度は逆にみんなの笑顔を一生残るものとして届けていけたらと思い、この道を選びました。レコード大賞や20代でのがんなど、普通ならあまり経験しないようなことを多く経験してきた自分が撮影することに意味があると思うんです」
YUTAさんは現在、採血、CT撮影、内視鏡とそれぞれ年1回、合計3回の定期検査を受けている。
「ポリープは体質的にできやすいみたいで、毎年取っています。主治医からは『20代でがんがあそこまで大きくなって、かつ遺伝性でもないのにポリープができやすいのは体質的にできやすのではないか』と言われました」
YUTAさんがいま一番気をつけているのは、とにかく無理をしないということだという。
「睡眠時間も充分取るようし、早ければ9時前遅くとも12時前には眠るようにしています。とにかく音楽活動をしていたときは不規則な生活が続いていましたからね」
そしてS状結腸がんになった原因をこう振り返る。
「上京した最初の2年くらいはとにかくお金がなくて、養成所に通うお金はローンを組みました。今後プロを目指して活動して行くのにローンを返し続ける生活は嫌だなと思って、養成所在学中の1年間で完済できるようローンを組んだのです。そうすると連日アルバイトと授業の連続で1日2時間くらいしか寝れず、食事はコンビニの廃棄弁当をもらったりして、2日に1食で済ませたりと無茶な生活をしていました」
最後にYUTAさんは、撮影するにあたって心がけていることとしてこう語ってくれた。
「2週間の入院中全身を管で繋がれ、とにかく不快でトータル10時間も眠れませんでした。お腹が張ってド���ーンを持ってトイレに行くのだけど、出ない。でも排泄したいのでトイレに座っていると、いつの間にか朝になっていた、そんな日が何日も続きました。退院したら手ぶらで普通にトイレに行ける。そのことを楽しみに入院生活を送っていました。こうした経験が、いま写真を撮る中で大切にしているテーマに繋がっています。
いま自分が大事にしている言葉は、『撮った日が記念日』『一瞬を一生に』です。皆さん撮影に来てくれるのは、記念日か行事ごとが大半です。もちろんその日に撮る写真も大事です、でも一番素晴らしい日は何でもなく過ごしている日なんですね。だから何でもない日こそ写真に残す意味があるので、その言葉を撮影に来てくれたお客さんに伝えていて、『撮影したその日が新しい記念日になる』ということを大切に撮影しています」
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