食事でがん克服それは料理人の意地を賭けたミッションだった|米山 昭さん(料理人)

取材・文●吉田耀子
発行:2012年12月
更新:2013年8月

9時間を超える大手術翌朝からリハビリを開始

手術に先立って、呼吸訓練が始まった。術後は肺に痰がたまりやすくなり、肺炎などを起こす危険がある。予防のため、咳払いをして痰を吐き出す練習や、腹式呼吸の練習を行った。

手術が行われたのは2007年1月30日。食道を約20cm切除して、細長い筒状にした胃の上部とつなぎ合わせ、リンパ節の郭清を行う大手術である。手術は朝から行われ、集中治療室で麻酔から醒めたときには、夜の8時を回っていた。

手術の翌朝、医師や理学療法士がベッドサイドに来て、「さあ、歩いてみましょうか」と言った。ベッドから起き上がり、傷の痛みをこらえて3歩ほど歩いた。翌日には30mほど歩けるようになり、痛みや痰も術後3日を過ぎると快方に向かった。医療スタッフの熱意と人柄に支えられて、米山さんは少しずつ回復していった。

「入院中はリハビリのため、点滴を持って院内を30分ほど歩いていました。リハビリをやると気分が爽快になり、気持ちが大きくなって、少々の痛みは気にならなくなる。絶対にやったほうがいいですね」

6日後に一般病棟に移ると、久しぶりに食事が用意された。食道がんの手術をすると、後遺症で味覚障害や嗅覚障害がでることがある。味や匂いがわからなくなったら、料理人として生きる道を絶たれたも同然だ。だが、重湯を口に含んでかみしめると、懐かしい味が口の中に広がった。(ああ、味覚は変わっていない……)。米山さんの顔に安堵の色が浮かんだ。

体が薬剤に耐えられず抗がん剤治療を中止

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夫人のとし子さんと。41年間2人で店を守り続けている

「健康なときは、食道のありがたみなんて感じなかったけど、手術後はいやでも実感するようになりました」

そう語る米山さん。食道がん患者にとって、とくに恐ろしいのが“誤嚥”だという。食道の手術をすると、神経や筋肉が損なわれて食べ物をうまく飲み込めなくなり、食べ物が気管に入ってしまうことがある。これを誤嚥といい、それが元で誤嚥性肺炎になることもある。

「食べ物が食道の縫合したところに引っかかって傷がつき、そこから食べたものが漏れたりすることもある。食道がんで入院すると、大抵2、3回は大騒ぎになるんです」

とはいうものの、リハビリに精を出した甲斐があって、米山さんは驚異の回復力を見せた。入院から3週間後、「トップクラスの回復状態」で退院。1週間の自宅療養を経て、化学療法のため再入院した。

抗がん剤のシスプラチンによる治療が始まったが、もともと薬剤に過敏だったこともあり、入院翌日には精神に変調をきたしてしまう。

「抗がん剤の投与が始まると、窓から飛び降りた���なったんです。発汗と不眠に悩まされ、お化けの夢を見て怯える子どものような気分でした。『抗がん剤を投与すれば、再発しない確率は10%向上する。でも、もし抗がん剤を中止すれば、その10%をあきらめることになるんですよ』――そう言って、抗がん剤治療を続けるよう説得されたのですが、やはりダメでした。癪だから、自分は食べ物を工夫することで、再発を予防しようと決めたんです」

抗がん剤は2クールの予定だったが、3日目に中止され1週間後に退院。その後、腎臓の状態が悪化したため、さらに3週間の入院をよぎなくされた。

病院食が口に合わず入院中に自炊を開始

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新鮮な材料と(右)米橋の人気メニューの「季節の会席料理」(左)

米山さんが入院中に苦しめられたのは、後遺症や副作用だけではない。味覚や添加物に敏感な米山さんにとっては、病院食も悩みの種だった。防腐剤入りのパンや加工冷凍した魚を食べるだけで、舌や胃が荒れ、腹を壊してしまう。なかでも、食道を通すための流動食は、まったくのどを通らなかった。

そこで、米山さんは主治医に許可をもらい、自炊室で料理を作り始めた。病院の売店で白飯や鰹節、塩昆布を買い求め、出汁を作っておじやを作る。妻にはツミレやふかしイモを差し入れてもらった。とはいえ、失敗がなかったわけではない。

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古典料理「うんちくを含んだ歴史献立」のコース。7種類の歴史献立からなる。予約は8名以上から

「窓を開けて焼き飯を作っていたら、醤油を焦がしたいい匂いがそこら中に広がってしまい『抗がん剤治療の患者さんに迷惑です』と、ベテランの看護師さんにこっぴどく叱られました」

米山さんが病院で自炊を始めたのは、自炊だけが消化障害や気管障害から逃れるための、唯一の方法だったからだ。食道がんの手術をすると、1口食べるだけで数10分もかかってしまう。食べ物を呑みこんでも、なかなか食道を下っていかないので、唾液を潤滑油にして食物にしっかり絡めながら、少しずつ胃のほうに落としていかなければならない。

こうした苦労に加えて、治療中は食欲が減退することも多い。だが、面倒だからと食事を取らないでいると体重がどんどん減り、気持ちが萎えてしまう。米山さん自身、手術前と比べると体重は6kgも減った。このままではがんとは闘えない――そう考えた米村さんが思いついたのが、ナスの煮びたしを食べることだった。

「体力を維持するためには、最低でも1日700カロリーはほしい。大切なのは、なんでもいいから自然の食材を口に入れることです。茹でたニンジンや小豆、ところ天など、食べやすいものなら何でもいいのです。食物が体内に入って数分もすると体が動き出す。そして、『もっと他のものも食べてみよう』という意欲が起こってくるんです」

自分の消化機能を慎重に見きわめながら、自分と相性のよい食べ物を選び、適量をとること。それが、食道がんを乗り越えるための食養法だと、米山さんは語る。

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