AYA世代のがん患者の悩みや不安を軽くするために 22歳で脳腫瘍の若者が立ち上がった
若い年齢でがんを経験した者同士の交流の場を

退院後、益々その思いが強くなった桑原さんは全国組織の若年性がん患者団体に登録すると、東京で開催された交流会に島根県から参加した。
「そこで人生で初めて同じ若年性がん患者と交流することができました。家族や友達にも言えないような悩みを同じ病気ではなくても、若い年齢でがんを経験した者同士だからこそわかり合える悩みをお互いに話し合うことで、こころが楽になりました」
島根に戻っても、当時、自分のようなAYA世代が交流できる場所は見つからなかった。
「ですから自分で開催してみようかな、と思いましたが、最初はまず話だけでも聞いてみようという気持ちで大学病院内にあるがん相談支援センターに相談に行きました。2018年のことです」
そこで相談すると、支援センターのスタッフから「一緒にやりませんか」と誘われ、AYA世代を対象にした交流会を2019年4月に初めて開催することになった。
その後、何度か交流会を開催してはみたものの、何となく違和感があった、という。
「部外者を交えず、もう少し主体的に患者たちだけで交流会を開催してみたいという気持ちが強くなってきて2022年4月に『AYAむすび山陰若年性がん患者会』を立ち上げました。
支援を受けられない分、大変なこともありますが、誰からも縛られることがないので、楽しいこともあります。自分自身もそうですが、同じAYA世代の孤独感や寂しさを取り除くことができたら、という気持ちでやらせてもらっています。いまは島根・鳥取あたりのAYA世代を対象にオンラインで交流会をしています。コロナが収まれば対面で交流してみたいと思っています」
がんになったことで体験に幅が

現在、桑原さんは再発の可能性はあると、医師から言われていることもあり脳の定期検査を1年に1度を行っていることに加え、脳腫瘍の後遺症で、下垂体の機能不全という難病を患っていて、毎日薬を服用しているという。
下垂体は、成長ホルモンや甲状腺刺激ホルモンなど様々なホルモンを分泌する内分泌器官で、生体の機能維持を司っている。
「下垂体近くに腫瘍ができていたため本来、人間の体から自然に分泌されるホルモンが出てこなくなっていて、毎日薬を飲んでホルモンを補充しなくてはいけないという煩わしさがありますね。ですからそんなこともあって生きづらさを感じています」
そんな桑原さんだが、一方、仕事はもちろん、患者会代表としての世話役の他にこんなこともしている。
「現在、がん教育の外部講師として、小学校と高等学校にお伺いしてお話する機会をいただきました。がんを経験していなかったらできなかった体験もできているので、今の人生は充実していると思っています」
では、彼らに桑原さんはどんな話をしているのだろうか。
「主に自分の体験談です。がんになったからといって人生は終わりではなく僕みたいに元気でいられるといった姿を見てもらいたい、といったような話です。僕のように22歳の若さでもがんになることも知ってもらいたいと思っています」
もともとそんなに行動的ではなかった桑原さんだが、このように活動的になったのは苦しいがん治療を乗り越えてこられたことで自分に自信がついてきたからだという。
がんに罹ったことで何か変わったことはありますか、という質問にこのように答えてくれた。
「1日、1日を大切に生きようという気持ちに変わりました。後悔のない人生を送りたいと思うようになりました。がんに罹ったことは決して良かったことではありませんが、がんを経験した今の人生のほうが充実している気がしています」
これからも大いに充実した人生を送ってもらいたい、また自身の体験を生かしAYA世代のがん患者さんを支援する患者会活動に期待したい。
同じカテゴリーの最新記事
- 病は決して闘うものではなく向き合うもの 急性骨髄性白血病を経験さらに乳がんに(後編)
- 子どもの成長を見守りながら毎日を大事に生きる 30代後半でROS1遺伝子変異の肺がん
- つらさの終わりは必ず来ると伝えたい 直腸がんの転移・再発・ストーマ・尿漏れの6年
- 家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に
- 子どもの誕生が治療中の励みに 潰瘍性大腸炎の定期検査で大腸がん見つかる
- 自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
- 自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
- 死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
- 今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って