がんは「ワクワクすることにしか時間を使わない」と思うきっかけに 若きラガーマンの蹉跌と膀胱がんからの再生
夢の1つ「ラジオパーソナリティ」に

「未来ノート」に書いた中の「ラジオパーソナリティ」は、愛媛県の実家で鉄工所を営んでいる両親がラジオをよく聴いていたため、憧れを抱いていたからだ。言葉を使って人を幸せな気持ちにさせたり、元気づけたりできる職がかっこよく思えた。
忽那さんは退院後、すぐ行動を起こす。全くなんの伝手もない状態でラジオ局に乗り込み、「パーソナリティになりたいです!」と自分を売り込みに行った。
「自信満々でした。どうしてもなりたかったので、しっかりアピールすればなれるのでないかと思った。この僕を採用しなかったらその会社は損をするくらいの勢いでした。もしダメでもラジオパーソナリティになる方法は教えてくれるだろう、と思っていました」
残念ながらそのラジオ局では取り合ってもらえなかったが、忽那さんはめげることなく行動し続けた。
諦めないでやってみるものである。ある人から知り合いにラジオパーソナリティがいると紹介してもらい、その方から人脈を繋げてもらったことで、三重県四日市にあるCTY-FM局を紹介され、「I am チャレンジャー~未来に生きよう~」(土曜21:30~59)を担当することが決まった。
「未来ノート」に書き込んだ夢の1つを叶えることに成功した。
「この番組では、自分が日々生活している中で胸が熱くなるような出来事や人物の話などを紹介し、リスナーに元気を与えています」
できるかできないかではなく、やりたいかやりたくないかが大切
現在、忽那さんはラジオパーソナリティの他に大学ラグビーコーチ、中学教師、メンタルコーチと4つの仕事をかけ持っている。
「周りから見たら少し生き急いでいるように見えるかもしれませんが、僕は1日が小さな一生だと思って生きています。アップルを創設したスティーブ・ジョブズがそうであったように『明日死ぬかのように今日を生きる』という考え方が好きで、自分にはやりたいことが沢山あります。今はこの4つの仕事をしていますが、将来はもう少しやりたいと考えています」
がんになったことで、命への考え方が大きく変わったという。
「僕はもともと『夕日に向かって走ろうぜ』といった熱血タイプ。それががんになったことで、さらに情熱が増した。「命の時間は有限なんだ」と感じ、人生を思いっきり生きる覚悟が決まった。『自分がワクワクすることを大切にし、そこに時間を使っていこう』と思えるきっかけになりました。僕は今、教師をしていますがそのことを子どもたちにも伝えています」
また、幼少期からラグビーをやっていたことが、気持ちの面で凄く支えてくれたと話す。
「ラグビーから、何回倒されても立ち上がることを学びました。だから、がんになったとき、倒されたままじゃなく立ち上がらなくてはと思いましたね。本当にラグビーをして良かった」
こうも語る。
「いつか全国の児童養護施設や少年院をまわって、ラグビーを通じた社会貢献活動を行なっていきたいなと思っています。自分の命の時間を使って、子どもたちに目標や夢を持つことの大切さ、命の有限さ、転がっても何度だって立ち上がることの重要性を伝えていきたい」
現在も忽那さんは3カ月に一度、定期検診を受けている。
「検査日の前日の夜は今でも眠りが浅くなります」
そう語る忽那さんだが、まだまだやりたいことが山のようにあるようだ。
「将来、どうなっているかわからない。でも挑戦し続けたいです。できるかできないかではなく、『やりたいかやりたくないか』の心の声を大切に、これからも人生を歩みたいと思っています」
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