やりきったと言えるなら、明日死んでもいいという気持ちで生きる 28歳で精巣腫瘍に罹患したことで起業を決断

取材・文●髙橋良典
写真提供●中村優志
発行:2023年3月
更新:2023年3月


起業するため保険会社を退職する

コロナ直前2020年1月のスペイン旅行中の中村さん

保険会社には2022年から復職したのち、半年後の6月、株式会社「リシュブルー」を創業する。

それはどうしてなのか。

そもそも、大学在学中に事業を立ち上げることに興味を持ち、将来起業するための長期人生設計を考え、会社を選んだという。まず、経営を学ぶ目的で、都市銀行の法人部に入社する。

「銀行での仕事は面白く、給料もソコソコ良くて、不満はなかったのですが、起業や経営がビジネス的に僕の目指すところだったので、次は人を動かすマネジメントの勉強をしたいと思い、転職先を探しました」

いくら管理職をやりたいと思っても、銀行では最低でも10年くらいはかかる。当時28歳だった中村さんは、それならと管理職を募集していたフランス系保険会社に転職する。

「ベンチャー企業や外資系企業など4社から声をかけていただいていましたが、転職した保険会社からは支店を作ってくれと頼まれていて、入社しました。その時点では保険会社で勉強して、適当な年齢になったら会社を立ち上げるスキルが身に付いたらいいな、といった漠然としたイメージでした」

しかし、がんに罹患したことで、考えが一変する。

中村さんにとって抽象概念でしかなかった「死」が目の前に突き付けられ、自分にとって本当にやりたいことがあるなら、「迷わず、今すぐやる」という考えに変わっていくのにそう時間はかからなかった。

保険会社に退職願いを出したが、会社からは「辞めないでくれと」と引き留められた。

それは会社にとっても、最年少での管理職の中村さんががんを乗り越えたという話は、対外的なPRになると思ったからだろう。

しかし、会社からの引き留めを押し切ってでも退職したのは、がんを経験したことで「人間いつ死ぬかわからない」、本当にやりたいことがあれば迷わず「今すぐにやる」という考え方に変わったからだ。

「妻は学生時代からの付き合いだったので、僕が会社を辞めて起業することに反対はしませんでした」

今日という日にしっかり向き合って生きる

中村さんが立ち上げた会社は、日本酒の可能性を引き出すサポートをする企業である。起業するにあたってその仕事を選んだのはどうしてなのだろう。

「学生時代から、『世の中のちょっとした不満を何かビジネスにできないか』と、常に考えていました。そして卒業後、銀行の法人部に入社して、いろんな業界を見るにつけ、『この業界はもっとプロモーションとかマーケティングをやったらいいのに』などと思うことが多くありました。

そ��なかでも日本酒の業界はチャンスがあるな、と気づいたのです。酒蔵はすごくいい商品を作っているのに、それが東京の市場に届いていない。例えば、居酒屋に置いてないからみんなその酒を知らない。これってもう少しうまいやりようがあるんじゃないかな、と銀行員時代から思っていました。

市場調査した結果、『自分もこの業界に入り込める余地がある』、と思って会社を立ち上げました。実際に立ち上げてみて、大変なこともありますが、驚いたのは思っていたより反響があったということです。本当は新しいことをやってみたいのだけれど、『自社ではやれる人間がいないので……』といったお声がけをいただけることが増えました」

株式会社リシュブルー代表取締役として自分で会社をやることの面白さを実感

「自分で会社をやることの面白さは、会社員時代と比較して自分の力でものを動かしていると実感できることです。大企業であれば、自分がどういう事業に携わっているかはわかりますが、自分がその事業に対して与えているインパクトがどのくらいなのかは見えづらいところがありますから」

中村さんは会社経営の傍ら、都立高校が昨年4月からがん教育を取り入れたことで、自身のがん体験を語る活動もしている。

「彼らには、いまやりたいことにしっかり向き合えているか。人生はこの瞬間、この瞬間しかないぞ、といった内容の話をしています」

また、精子の凍結保存をした中村さんだが、会社を立ち上げたことで多忙な日々を送っていることもあり、子どもはまだ考えていない。

中村さんはこう話す。

「というのも自然妊娠するという選択肢はなくなったので、自分が起業して大変な時期でもあり、また妻もキャリアを積んでいる途中なので、子どもが欲しくないというわけではありませんが、果たして子どもを授かることがいまの自分たちにとって幸せなのか、といったことを考える時間ができたことで、子どもを授かるタイミングがわからなくなったというのが現状です」

最後に、がんになったことでどう自分が変わったのかを改めて訊いた。

「いまという瞬間と今日この日というのに対して、しっかりと向き合って、できることをすべて注ぎ込むように変わりました。人生における中長期的な考えはもちろんあるのですが、それに向かって今日、全力で向き合い、行動し、『やりきりました』と言えるなら、『明日死んでもいい』という気持ちで生きています」

1 2

同じカテゴリーの最新記事