こどもホスピスの建設に邁進し、いま思うこと 6歳の娘をがんで失って

取材・文●髙橋良典
写真提供●田川尚登
発行:2023年4月
更新:2023年4月


「こどもホスピス」の存在を始めて知る

2010年、看護師が主催している小児緩和ケア研修会で、イギリスのホスピスを視察したという人の報告を聞いた田川さんは、そのとき始めて「こどもホスピス」の存在を知ることになる。

その頃、日本で初めてこどもホスピスを作る運動が神奈川県大磯町であり、その計画はある程度まで進んでいたのだが、途中で頓挫してしまった。その中心にいた看護師の石川好枝さんが、自身の動脈瘤の手術を前に自分が亡くなったときの財産の遺贈先を検討していた。

「彼女の本心としては、全額をこどもホスピスの建設に充てたいという思いがあったようですが、プロジェクトが頓挫したため、2,500万円が『スマイルオブキッズ』にいきなり入金されたのです。事前に何の連絡もなかったので、びっくりして石川さんの代理人の弁護士にその真意を聞きに行きました」

弁護士の話では、石川さんはこどもホスピスに全額寄付したかったのだが、頓挫してしまったので仕方なくこのような形にしたということだった。

また弁護士から「もし、田川さんたちがこどもホスピスを作ってくれるのなら、石川さんの土地を売却すれば8,000万円くらいになるので、その資金も使って建設してほしい」とも言われた。

田川さんはこの話を「スマイルオブキッズ」に持ち帰り、理事たちと相談した。

「私は『リラのいえ』の活動が始まってまだ何年も経っていないので、最初は難しいかなと思ったのですが、もしはるかが闘病しているときにこの『こどもホスピス』が存在していれば、もっともっと子どもが楽しい時間を過ごせたのではないかと思い直したのです」

しかし、理事のなかには反対意見もあった。

「『リラのいえ』は、ボランティアでもある程度運営していくことができるのです。ところが、こどもホスピスは看護師が中心となるので、たとえ建物ができたとしても運営していくのは難しいだろうとの理由からでした」

当時、日本では小児科医といえども「こどもホスピス」がどういった施設なのかという理解が進んでいなかったということもあり、医療者の賛成は得られなかった。

「しかし、私は遺族の立場からそのような施設は必要だと思っていたので、私のこの思いに共感する方はたくさんいらっしゃるだろうと思いました。だから募金活動をすれば『リラのいえ』と同じように建物が建てられて、うまく運営していけるのではないか、と思いました」

理事会での採決の結果、医療者以外の賛成があり、多数決でやると決定した。

2014年8月、「こどもホスピス設立準備委員会」を立ち上げ、募金活動を開始。同時に田川さんは、このプロジェクトをなんとしても成功させるためにも2足のわらじは履けないと印刷会社を退職。2016年からNPO法人の職員となった。

また���この活動を進めるボランティアのなかには、このプロジェクトが失敗したらとの思いが多くあったため「スマイルオブキッズ」で行うのではなく、新しい法人で行っていくことが賢明であるとの結論に達した。そこで田川さんは2017年4月にNPO法人「横浜こどもホスピスプロジェクト」を立ち上げ、代表理事に就任した。

石川さんに寄贈してもらった1億500万円を元手に、2020年までに計3億円を集める計画を立て、音楽家や市議、横浜市内の若手経営者など20人が中心になって活動を始めた。

2014年8月、ふれあいコンサート

大都市にはなくてはならない施設

「リラのいえ」の建設では、神奈川県から無償で土地を借りることができた。今度は横浜市から提供してもらうために、田川さんたちは市の担当局や市議会に「こどもホスピス」を建設する意義などを説明して回った。そうした努力の結果、当時の市長だった林さんが議会で議員の質問に対し、横浜市として「こどもホスピス」の活動を支援していきたいと答弁し、その答弁が議事録に載ったことで、横浜市のバックアップが正式に決まった。

「次に窓口をどこにするかで時間がかかって、一時は頓挫してしまうのではないかと心配しましたが、医療政策課が窓口になってくれ、活動が進む流れができました」

2018年12月、予定していた3億円が集まった。建設候補地は最終的に横浜市金沢区六浦の横浜市立大学男子寮の跡地に決まった。近くに野鳥公園や干潟湾がある。

2021年11月に敷地面積727㎡、1階は鉄筋コンクリートで2階は木造建ての横浜こどもホスピス「うみとそらのおうち」がオープンした。2階は大きな窓から海を見ながら家族で入浴できるお風呂や、団欒スペースになっている。

2021年11月に完成した横浜こどもホスピス「うみとそらのおうち」

「うみとそらのおうち」の1階ホール

「うみとそらのおうち」の運営に年間5,000万円くらいかかっているが、利用者の負担は1日1,000円なので、残りは助成金と寄付で賄っているという。

「利用する家族にとっては、スタッフに看護師がいることが安心につながっています。しかし、施設では医療的なケアは行うことはできず、家族が行うという建前になっています。大きな都市にはこのような施設はなくてはならないものだと思っています。現在、建設プロジェクトを立ち上げている団体は全国で14団体くらいあります」

「うみとそらのおうち」で楽しいイベントも開催

こどもホスピスは家族を支援する場所でもある

「うみとそらのおうち」の建設完成までに並々ならぬ努力を惜しまなかった田川さんは、施設が完成したいま、どのように思っているのだろうか。

「この施設ができたことで、はるかが生きた証につながり、はるかの目に見えない力が私の背中を何度も押してくれていたように思っています。長女もいまは応援してくれていますが、この活動を始めた当初は小学校2年生くらいでしたから、はるかの病気の説明はしていたのですが、呼吸器を外すときになって初めて命が危ないということを伝えたこともあり、なんでもっと早く教えてくれなかったの、とずっと言われました。やはり彼女もいろんな葛藤があって、自分に妹がいたことを高校までは話すことができなかったといいます。ですから、私がこのような活動を始めたことで複雑な気持ちでいたようですが、大学を卒業するときに手紙をくれて、これまでは心の中に少しわだかまりがあったけど、私がやっていることをこれからは応援したいと伝えてくれました」

そして、田川さんはこどもホスピスの意義についてこう付け加えた。

「この施設は、こどもの緩和ケアを実践する場所です。そして子どもを預かるだけでなく、家族全体を支援する場所でもあるのです。まだ若い親に子どもの死に直面しての考え方とか亡くなった後のこころのケアを、それを経験した遺族が中心となって支えていく場所でもあるのです」

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