骨肉腫を生きるための軸にしない プロサッカー選手を目指していた17歳の夏に発症
右肺の4割を切除してサッカーを断念 フットゴルフとの出会い
だが、がんは柴田さんを解放してはくれなかった。
その後も毎月定期検査を行なっていたが、8月末に行った定期検査で右肺に転移が見つかったのだ。そして、卒業間際の3月に右肺上葉部摘出手術を行ったのだが、その7カ月後に再び右肺に転移が見つかり手術、またその1年後に3度目の転移があり手術を行った。
「最初の手術で右肺上葉部摘出を行ったことで右肺の4割近くを失ったときに、自分はもう世界一のサッカー選手を目指せない体になったなと思いました。今までサッカー一筋の人生だったので、人に迷惑をかけたり、心配されながら本気のプレーができない自分が嫌だったというか、サッカーに対して失礼だと感じたのでここは決断しなければいけないとき、という思いが湧いてきてサッカー人生を終わりにしようと決断しました」

そう決断したとき当時、お世話になっていた神奈川県厚木市にある、はやぶさイレブン(現厚木はやぶさFC)の代表や当時の監督からフットゴルフへの誘いがあったのだ。
柴田さんはそもそもフットゴルフという競技の存在は知らなかった。
フットゴルフはサッカーとゴルフが融合したスポーツで、欧米を中心に約40カ国で楽しまれている。それはゴルフコースをサッカーボールを蹴って18ホールを回り、蹴った回数の少なさを競う競技のことだ。
フットゴルフをやらないか、と誘ってくれた彼らは、はやぶさイレブンのチーム内にフットゴルフ部門を立ち上げてくれたのだ。そこに2019年5月に所属すると、早くも2020年暮れの大会でツアー初優勝を飾るなど、その後も優勝を含め上位に食い込む目覚ましい結果を出していった。
柴田さんは2021年4月に、はやぶさイレブンを離れフリーになる。
今年(2023年)5月27日~6月6日にまで米国で行われたフットゴルフワールドカップ2023の日本A代表に選出されるまでになっていった。
そんな柴田さんはフットゴルフに対する夢をこう語ってみせた。
「現在はフットゴルフだけで生活していくことは厳しい。だから個人にスポンサーが付いて生活していくことができるよう、私はその先駆者になりたいと思っています」
さらにこう続けた。
「がんに限らず現在、闘病している人たちは病気を乗り越えることが目標になっていますが、私は、それを乗り越えた先に何をしているか、ということを求めたいと思っていたのです。そのようなとき、フットゴルフと出会い、そこでプレーする自分の姿を通して皆さんに見ていただくことで自己表現ができるのだと思っています」
そしてフットゴルフの魅力についてこうも語る。
「フットゴルフは競技志向の人も楽しいし、趣味でやるのも楽しい、どちらも楽しいです。また老若男女だれでもが楽しめる��ポーツです」
部員全員が丸坊主、これは絶対死ねないな
柴田さんには入院中に忘れられない出来事がある。2016年9月に化学療法開始のため初めて入院したときのことだ。
同学年のサッカー部員34人全員が柴田さんの病室を見舞いに訪れたときのこと。彼らは5~6人ずつ病室に入って来たが、みんな坊主頭だった。それを見て彼らが何か失敗をやらかして罰として丸坊主にされたのかなと思った。しかし、次のグループもその次のグループもみんな丸坊主。さすがに「あれ? これは罰則で丸坊主にされたのではないな」と気づかされた。そして全員の丸坊主姿を見て悟った。この丸坊主姿は自分を励ますためだと物凄く感動し、その光景はいまでも目に焼き付いている。
ところが、柴田さんの髪の毛は化学療法前でまだ抜けていない。そこでみんなで共用のシャワー室に行って、相撲の断髪式さながらに1人ずつにバリカンで頭の毛を刈られ柴田さんも晴れて丸坊主になり、みんなで写真を撮ったことだ。
そのようにサッカー仲間に励まされ、骨肉腫の治療がスタートした。
「自分はこの病気で死ぬとは考えたことはありませんでしたが、仲間たちのこの姿を見たとき最初に思ったのは、これは絶対死ねないな、でした。とくに私たちの同期はここだというときに一体となれる。当時私たちは先輩からもあまり文句を言われなくなり後輩もできて髪型も遊びができる時期に差し掛かっていたにもかかわらず、そういう思いを振り切って自分のためにもう一度、丸坊主にしようと思ったことを考えてみると感慨深いものがあります」
17歳で悪性上腕骨肉腫に罹患したことで、柴田さんにはすごく大事にしているモットーがある。
「それは、この病気を生きるための軸にしないということです。病気だから私これできない、という言い訳をしないということです。病気が主語になっていては、自分の人生を歩んではいないのです。病気だろうが、自分がやりたいと思ったことならやるし、やりたくないならやらない。そのベースは全部自分で考えるという姿勢で闘病中もやってきていたので、いま改めて病気を生きるための軸にしないという信念が強くなりました」
終始爽やかな対応でインタビューに応えてくれた好漢、柴田晋太朗さんの今後に応援のエールを送りたい。
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