100まで長生きしたい! 3度の乳がんを乗り越えて欲が出てきた

取材・文●髙橋良典
写真提供●川上いづみ
発行:2023年9月
更新:2023年9月


〝これはまたがんになる〟

2015年7月、ランウェイを颯爽と歩く川上さん

がんを2度も経験した川上さんは、どうして自分ががんに罹患してしまったのか知りたいと思うようになり、講演会などに熱心に参加するようになった。

「最初のときには私の周りには乳がんを経験した人は誰もいませんでしたので、自分のがんについての相談はできませんでした。2度目の乳がんになったとき、自分の経験を活かし同じ、境遇にある仲間をサポートするピアサポーターの研修を2013年12月に受けました。そこで同じ乳がんサバイバーの友人ができ、その方の紹介で高田馬場で行われている乳がんの人のためのヨガにも出会いました。その中で知り合った友人は『自分の家庭も滅茶苦茶なの』という話もできて、相手も離婚の話しが出るなど同じ境遇だったので余計に話が合うようになりました」

同じ時期、離婚問題で悩んでいた川上さんは、2014年4月には家を出て母親と一緒に暮らすことになった。すったもんだした末、2014年5月に離婚が成立した。娘さんが大学を卒業するとほぼ同時のことだった。

「5月に正式に離婚が成立するまでの1年間のストレスは、半端なものではありませんでした。離婚調停を頼んだ弁護士さんが私の味方になってくれなくて、その事務所に行くと具合が悪くなるのでその弁護士とは縁を切り、向こう側の弁護士と交渉しました。心身ともにおかしくなり、離婚しました。とにかく3カ月ぐらいは泣きっぱなしのような状態でした。そこで一生分の涙を流したような気がします。そのとき〝これはまたがんになるな〟と思いました」

そして、その予感は的中する。

2015年6月に定期検診で行ったエコー検査で、右胸が微細胞石灰化しているのが見つかったのだ。

「これはがんだ!」と思った川上さんは、4つの石灰化をマンモトーム生検してもらいその結果、予感通り新たながんが発見された。見つかったがんは非浸潤がんで0期だった。

1度目のがん手術後、「残りの人生、やりたいことをやろう」と決めていた川上さんは3度目のがんが発見された最中の7月5日、東京有明で開催された日本乳癌学会主催のファションショー「Run&Walk for Breast Cancer Survivors」に参加、ランウェイを歩いた。

「乳がんになった人のファションショーをやるという話があって出演しました。そこで多くの乳がん仲間と知り合うことができました」

乳房再建したことで

今度はクリニックの主治医が東京高輪病院に出向き、2015年8月19日に右乳房全摘手術と同時に乳房再建をしてくれた。

「温存して2度乳がんになった左胸のこともあり、また乳房再建が保険適用になったのでこの際、思い切って温存手術ではなく全摘手術をすることにしました」

28日に退院した。術後はホルモン治療のみで、それは現在も続いている。

3カ月に1度血液検査、半年に1度採血、尿検査、胸部X線、腹部・胸部のエコー検査とゾメタ注射を行う。

1年に1度、再建した乳房の検査を行なう。それは挿入したインプラントが別のがんを誘発するという報道があり、その検査のためだ。

川上さんはその後、乳房再建関連の手術で都合4回入院する。

まず、2016年2月右乳房に挿入した仮のインプラントとしてのエキスパンダーを、インプラントに入れ替える手術のため入院。

2016年3月には左乳房を再建するため背中から皮弁移植を行い、エキスパンダーを挿入。8月にはエキスパンダーからインプラントに入れ替える手術を行った。

そして2017年には左胸乳頭再建手術を行った。

「左乳房を全摘したときには、もうそのままでいいと思っていたのですが、右乳房を再建したことや保険適用になったことで左乳房も再建をしようと踏み切りました。再建前は肌着にパットを入れたり、温泉に行っても大浴場は無理でしたが、再建したことで普通の肌着も着られますし、大浴場にも気にせず入れるようになりました」

100まで生きたいと思っています

川上さんは乳がんを3度経験したことで、自分が変わったとこう話す。

「乳がんを3度経験して、乳房再建をしたというお話をすると、私の話が聞きたいという方が多くて、少しでも役に立てたらという気持ちが湧いてきました。それまでは自分のことしか考えていないような人間でしたけど、他人を思いやる気持ちが出てきたことで〝自分も少しは成長できたかな〟と思うところがあります」

「がんになったことでつらかったこと悲しかったこと苦しかったこともありましたが、新しい出会いもたくさんありました」

その言葉通り、川上さんは若いときからの知り合いの方と2015年に再婚する。

また2019年には、娘さんと念願のヨーロッパ旅行に行くことができた。

「娘の成人式の晴れ姿を見るまでは生きていたいと願っていましたが、その娘の晴れ姿を見ることができ、また念願のヨーロッパ旅行ができて、生きていて本当に幸せだと思いました」

娘さんと念願のヨーロッパ旅行。南フランスのウェール・ホン・テュ=カールで

そして最後にこう結んだ。

「今、私が明るく過ごせるのも、情緒不安定な時期も一緒に乗り越えて支えてくれたいまの夫、苦しいとき、つらいとき、私を笑わせてくれた友人達、そして同じがんサバイバーとの出会いがあったからこそだと思っています。本当に感謝の念に堪えません。3度のがんに罹患しましたが、その都度、それを乗り越えて欲が出てきました。100まで長生きしたいと思っています(笑)」

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