義眼についてもっと知ってほしい 小児がんで乳幼児のとき眼球摘出
眼帯を付けてない自分の写真に新鮮な気持ちに
一方、経過観察を続けながら本義眼の制作が大学院進学と同時に始まり、大学院修了の2020年3月に形成治療は終了し、長年に渡った眼帯生活もやっと卒業できた。
「それまでは眼帯を付けた写真ばかりだったので、そうでない自分の写真を撮りたいとずっと思っていました」
そこで多田さんは写真館で写真を撮ってもらいたいと方々に連絡をしたのだが、ことごとく「義眼の人にメイクをしたことがない」と断られ続けたという。
それでもキチンとした写真を撮影してくれる写真館がないかとネットで探し続けていたとき、大阪で開催される「AYA世代がん経験者のための撮影会」を見つけた。
やっと念願かなって2021年7月、AYA世代がん経験者のための振袖撮影会に参加した。
「メイクと撮影時間を入れて2~3時間だったと思います。その場で撮影された写真を見せてもらったのですが、自分の写真を見て、すごく新鮮な気持ちがしました。眼帯を付けていない自分の写真を撮る、ということが私のひとつの夢でしたので。それを叶えてもらった嬉しさと、眼帯のない自分の姿を直にみたという新鮮さと、いろんな感情が湧いてきました」
晩期合併症に苦しめられる
多田さんは念願だった眼帯生活からは卒業できたのだが、治療後の後遺症に幼い頃から苦しめられてもいる。
小児がんは治癒しても、その際使用した薬物や放射線治療などの影響で、さまざまな合併症が起こることがある。また治療後何十年も経って症状が現れることがある晩期合併症が、小児がん治療における大きな問題となっている。
多田さんは小学3年のときには「成長ホルモン分泌不全性低身長症」と診断され、ホルモン治療を開始しそれが6年生まで続いた。
また2020年9月には下垂体機能低下症と診断され、ホルモン治療を開始。さらに2022年3月には甲状腺機能低下症と診断され、服薬治療も始まった。また軽度の難聴、心臓機能の不全などもあり経過観察を続けている状態だ。
「多分同じ年代の人たちよりも疲れやすさや、体の違和感というのはあるのではないかと思っています」
現在働いている臨床心理士・公認心理師は、小学校のとき「自分は将来何ができるのかな……」と悩んでいたときに、保健室の先生から「こんなお仕事もあるよ」と教えてもらい、目指した職業だという。保健室の先生は、小学校時代にいじめを受けていた彼女のことを良く理解してくれて、悩みを相談できる唯一といっていい存在だった。
最後に多田さんは、「まもりがめの会」の今後の目標についてこう語る。
「義眼について、世間にはあまり知られていないし知識として広まっていないので、どうしても保育園や幼稚園では義眼の子どもを受け入れてもらえない状態になっています。その状況をなくしていけるように、会として働きかけていくことが一番の目標です」
もちろん、自分の��事にも意欲を燃やしている。
「私は、『自分には、まだまだ何かできることはあるのではないか』と常々思っています。自分が経験したことを困っている人に伝え、寄り添えることがあるのではないかと。
私は医療現場での臨床心理士を目指していたのですが、いまは発達障害の子どもたちを対象にしたところなので、ゆくゆくは医療関係、とくに小児がん関係の現場で働けたらと思っています。それが個人としての夢、目標ですね」
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