「また1年生きることができた」と歳を取ることがうれしい 社会人1年目で発症した悪性リンパ腫

取材・文●髙橋良典
写真提供●GON
発行:2024年3月
更新:2024年3月


ある場所での出会いが闘病中の支えに

心の拠り所となった電子機器実演販売の会場で

GONさんは抗がん薬治療中の1週間だけ元気が出る期間に、できるだけ体力をつけようと、家の周りを走ったり、筋トレをしたりしていた。

そんなとき、近所のスーパーの駐車場にプレハブを建てて、電子治療機器の実演販売を行っている会社の人たちに出会った。この出会いが、GONさんの闘病生活を支える大きな要因の1つとなった。

そこでは電子を用いて血管に溜まっている汚れを取り除くといううたい文句で、電子機器の実演販売を行っていた。GONさんは、「この機器を使用して体温が上がったよ」と話す体験者の話を聞いても、最初の頃は疑っていたという。

しかし、会社の人たちが自分の身の上に起こったことを、親身に話を聞いてくれて、いつの間にか、30分の説明会に毎日通うのがGONさんにとって心の支えになっていった。

「ラジオ体操みたいに1回参加すると1つスタンプがもらえて、いつの間にかその会場で仲間ができました。その機器に座って説明を受けることを毎日続けていたら、抗がん薬の副作用の便秘が改善してきて、自分の中で変化が現れてきたように感じられたのです」

そのうちGONさんの存在自体が、会場の中で注目されるようになってきた。

「正直、体のことはどうでもよくて、その説明会の会場にいることが楽しかったのですね。闘病中という暗い世界にいた自分を、いつの間にか忘れさせてくれる環境がそこにはありました」

結局、GONさんはその会場に4カ月間、毎日通ったという。

「会場に来ていた中に脳腫瘍の少年がいて、彼と『元気になったら一緒にごはん食べたい!』と話したりして、このように誰かに元気を送れたり、笑顔が共有できる場所ってすごくいいなと思いました。そして僕もその輪の中にいたので、それがすごく心地良かったのです。会社の人たちが次の場所に移動することになったときは、みんなで食事をして涙の別れになりました。だからいまでもその人たちとは繋がっています」

なにか社会に貢献できるものはないか

GONさんは結局、その電子治療器を購入してもらった。

当時、彼は祖母、母、兄の4人で暮らしていたのだが、離婚した父親が彼の病気の話を聞きつけて、出張先の熊本県から会津若松まで帰ってきてくれたのだ。

「父も最初は疑っていたのですが、一緒にやっていくうちにもしかしたら効果があるかも、少しでも可能性があるなら使ったほうがいいと思ってくれたみたいで、購入代金110万円を出してくれました。いまも使用していますが、父には感謝しかありません」

このことを主治医にも話したのだが、主治医は「ふ~ん」と言ったきりだったという。

つらかった6カ月の抗がん薬治療がやっと終わった1カ月後、復職した警備会社に2年間勤務したのち、2016年1月に退職した。

もともとGONさんはパティシエになる夢を持っていて、パティシエになるための学校に通う費用を捻出するために警備会社に勤めていた。

しかし、がんに罹ったことで、治療費などなにかと出費が多くなり、パティシエの学校に行ける状況ではなくなっていた。

また、当時付き合っていた彼女との結婚も考えたのだが、子どもがいて自分がいるという将来の像がどうしても見えなかったという。

「彼女のことはすごく大切に思っていたし、できることなら結婚も、とも思ったのですが、彼女のご両親にお金の面で協力することはできても、健康面はどうしようもできないから、というお話を伺ったときに、自分でもそう思いました。彼女と僕の中ではそれでもいいからという思いはあったのですが、一緒にいることが相手にとって本当に幸せなのか、と思い一方的に突き放してしまいました」

資格もなにもない自分になにができるのか模索していたとき、友人から「カラオケうまいよな」と言われていたことを思い出した。

「歌ならちょっと自信あるかも」。そう思って、ただただその場の勢いで東京の芸能事務所にオーディションを受けに行き、そのまま音楽活動を始めることになった。GONさん22歳のときだった。

「矢沢永吉さんが100万円貯めて東京に行ったことを知っていたので、なら自分も100万円貯めて上京しようと思いました。完治して体が楽になって社会復帰できたら、自分でもなにか貢献できることはないかと捜して、現在の音楽活動にたどり着いたのです」

自分が元気や希望の目印になることを目指して

2016年5月、maigoさんと2人でBUBBLE POSTを結成。ライブハウスなどを中心に音楽活動を続けている。

音楽ユニットの名前は、溢れんばかりの(BUBBLE)エネルギーが、みんなの目印(POST)になりますようにという願いを込めてmaigoさんが名付けた。自身のGONという芸名は、一番愛している亡き愛犬の名前からもらった。

2016年5月、maigoさんとBUBBLE POSTを結成。ライブハウスで

「病院の待合室などに置かれているパンフレットに、闘病生活を終えてマラソン大会に出場したとか、元気な姿を伝えている記事を目にしたときに、闘病生活が終わったら、髪の毛は生えてくるし、彼らのように元気で活動することができるんだと、思えたのです」

闘病中は、治療前の自分に戻れるとはどうしても思えなかったのだが、「その記事を目にしたときに凄く勇気と希望を貰えました。僕がいま音楽活動を続けていく中で、自分が元気で発信を続け、僕と同じような経験をしたことのある人や、現在闘病中の人たちにとって、自分の存在が元気や希望の目印になれたらいいな、と思っています」

そしてこう続けた。

「悪性リンパ腫を告知された当時は、生に対しての執着はあまりなかったのですが、いまは『とにかく生きよう、生きなくちゃ』と思っています。歳を重ねることをネガティブに捉える人が多いと思いますが、僕はあぁ1年歳を取れたな、また1年生きることができたな、と思うと、歳を取ることがうれしいのです」

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