がんになって優先順位がハッキリした 悪性リンパ腫寛解後、4人目を授かる
どうせ脱毛するなら丸坊主に
副作用は吐き気、味覚障害、末端神経のしびれ、脱毛などがあった。
「つらかったのは子どものおむつを触るだけで手の平全体がしびれる感じで、本当に不快でした」
脱毛については、あかねさんはもともと坊主頭に憧れていて、チャンスがあれば坊主頭にしたいと密かに思っていた。
「ICONIQ(アイコニック)さんという坊主頭の女性歌手の方がすごく美しくてカッコ良く、中学校時代に強烈な印象を受けました。そのときは中学生だったので、坊主頭にしようと思わずただの憧れで終わりましたが……。今回、副作用で髪の毛が無くなるとわかったときにそのことを思い出しました。髪の毛が抜けるのは嫌でしたが、わかっていたことだったので抜ける前に坊主頭にしてしまいました。また入院中から抜け始めても気にならないようにウィッグの購入も早めにしておいたので、脱毛はそこまで気にはならなかったですね」
「ただ髪の毛がないと、こんなにも寒さと暑さを感じやすいんだということを初めて体験しました。汗もダラダラと流れ、ウイッグも蒸れるのでほとんど被らずに過ごしていました」
6クールの薬物治療終了後、あかねさんは完全寛解だと主治医から告げられた。
ただ、副作用による手のしびれは消えたものの足の裏のしびれは現在も残っていて、風呂上りなど子どもが触れてくると痛くて、「触らないで」と言ってしまうほどという。
ECサイト「きせつ家」を立ち上げる

あかねさんの運営するECサイト「きせつ家」のモットーは、「生きるチカラの土台をつくる・健康に優るものはない」
「『きせつ家』は移住してきたときから、山形の自然や山菜に魅了され、ネットで販売したい、また会社に縛られず自分のやりたいことを仕事にしたいと始めました。本格的に始めたのは2023年12月からです。地域のおじちゃん、おばちゃんたちがすごく生き生きされていて、無いものは自分たちで作り、生きる力が備わっていて憧れました。私たちがしたい生き方をすでに昔からやっていて、近くにロールモデルがいる感じでした」
「『きせつ家』の一番人気商品は『よもぎ茶』です。そのよもぎ茶を始めようと思い立ったきっかけが自分の病気でした」
���かねさんは薬物療法が終わってから、体にいいと調べたよもぎ茶を購入して飲んでいた。
「そのことをお隣りのおばあちゃんに話すと、そんなのは購入しなくても、よもぎなんかその辺りにいくらでもあるし、昔は自分たちで作っていたのよ。畑にいくらでもあるから作ってみたら、と言われたことがきっかけでした。またもともと購入していたよもぎ茶はちょっと苦くて続けて飲むのが嫌になっていたので、何度も研究をして自分のために飲みやすく続けられるものを作りました。友人にお茶で出したり、SNSにアップしたところ飲みたいという方が結構いらして、それなら販売してみようと商品化しました」
今では注文も多く、ご主人もよもぎの収穫を手伝って、「きせつ家」に協力してくれている。
寛解後、第4子を無事出産
薬物療法治を行ったことで、妊娠・出産は危ぶまれていたのだが、2024年2月に無事第4子の男子を出産することができた。
妊娠・出産について1つ問題だったのは、主治医が1年ごとに代わりその意見が違うことだった。最初の主治医からは「妊娠するかどうかはわからない」。次の主治医からは「再発したときの治療が大変になるので、たとえ身ごもったとしても堕胎してもらうことになるので、妊娠しないでください」と言われていた。
「3人目の主治医に妊娠したことを告げると、『おめでとうございます。寛解して2年経過して体調もいいですし、産んでも大丈夫ですよ』と言ってくれたので、安心して妊娠期間を過ごすことができました。そのときに主治医の先生の大切さを改めて感じました」
定期検診は、最初は1カ月だったのが3カ月に1度になり現在は、半年に1度になった。
「今度、6月に検診に行くのですが、最初の先生がまた戻って来られるのです。4人目を産んでるなんて、びっくりされると思います。寛解と言われてからはがんのことは忘れて生活ができて、がんのことを気にするのは本当に検診に行くときぐらいです」
一時はがんと宣告され死を覚悟したあかねさん、がんに罹患して生き方が変わったという。
「がんになってそれまでの生き方と変わったことは、優先順位がハッキリしたということです。それまでは自分の性格もありますが、仕事柄、他人に嫌われないように生活をしていたように思います。いまは本当に大事にしたい家族と過ごす時間を1番にしようと思っています。無理してやらなければいけないこと、やりたくないことは断ることができるようになりました。心に正直に向き合うようにしています。また人はいつか死ぬ。そのときが来ても誰かの記憶の中で生きられるように愛を持って人と関わろうと、病気になって思いました」
人はがんに罹患することでそれぞれの生き方を見つけるものだ。あかねさんもその1人である。がんには罹患したが、移住してお互い向き合う時間が作れたことで夫婦関係は修復され、もう1人家族が増え、家族にも新しい仕事にも恵まれたあかねさん。これからも移住先で太く根を張り、賑やかで楽しい生活を築いていくに違いない。
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