死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
がんサバイバーとしてメイクセミナーの講師も
術後は4年間タモキシフェン(一般名)によるホルモン療法を最近まで行っていた。
「仕事が忙しくなってきて病院に薬を貰いに行かなくてはと思いつつ面倒くさくなって、あれよあれよという間に時間は経ってしまい、薬を飲まなくなってしまいました。時間が経って受診すると、これだけ空いたのだからホルモン薬は飲まないほうがいいという先生の判断で飲まなくなりました。しかし、ホルモン薬のせいかストレスなのかわかりませんが、シミが増えて、濃くなりました。現在、甲状腺辺りにシコリがあるので、半年に1度検査しています。再発の心配はありますが、それを考えて生きていてもしょうがないし、そのことを私が選べるわけではないので、半年に1度の定期検診に行くときしか、再発のことは考えないようにしています」
池内さんは化粧品メーカーのベアミネラルやキャンサーギフトと組んで「がんと向き合うためのメイクセミナー」の講師を務めている。
「シミの隠し方であったり、どのようにスキンケアをするのかなど、がん患者さんの悩みを掬い取りながらお話させてもらっています。このようなセミナーは、がん経験者だからこそ伝えられることもあります。初回は間口を広くしてがんに罹患されていない方の参加も自由だったのですが、2回目からはがん体験者の方に絞ったセミナーになりました」
生き方やメイクへの考え方が変わった
池内さんは自身が乳がんに罹患したことで、ヘアメイクに対する考え方、生き方に変化があったという。
「もともと自分の胸がそんなに好きではありませんでした。小さい頃、身長が高く、発育が早かったこともあって、他の女子と比べて自分の胸の大きさが気になっていました。それで胸の大きさを隠すような服を着ていました。でも、全摘手術で右胸がなくなって、乳房再建をしましたが、どうしても左右非対称になってしまうのです。形の変わった右胸を見て、私の本来の胸は左右対称で美しい胸だったんだな、と初めて気づいたのです。
そんなことにも気づかず、ずっと自分の胸を隠して生きてきたのだ、と自分自身を大切していなかったことが悲しくなったのです。なくして初めて自分は素敵なものを持っていたんだな、と気づく人生は嫌だ、と思うようになりました。本来自分に備わっている美しさに目を向けていく生き方のほうが幸せだ、と気づきました」
「そういった考え方がメイクの仕事にも反映され、変化が起きました。それまでは、美人は標準顔といわれるメイクの世界で、その人の突出した部分をカバーしていくことがメイク、と勝手に思い込んでいました。そうではなくて、その人が欠点と思い込んでいるものこそがその人の個性であり、それを輝かせてあげることこそがメイクの本質であり、その人の人生を変えるエッセンスになるんじゃないかと信じています」
そして最後に清々しい表情でこう付け加えた。
「生きることに貪欲になりました。がんになって死を意識したことは、私の人生を豊かにしてくれました。その点では、がんになってよかったとも最近思えるようになりました」
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