自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
臨床検査技師を目指して

「いまもそうなんですけど、長生きできるとは思っていなくて、小学生のときは中学生になるのが目標で、中学生では高校生になるのが目標でした。高校生になってやっと将来のことが考えられるようになりました」
浦尻さんの場合は5歳のときから医療関係者がつねに身近にいたということと、再発して入院するかもしれないという可能性が他人より高いこと、などを考え、医療系の仕事がいいのではないかと思ったという。
「病気の人を助けたいという気持ちと、自分が病気を抱えていることもあって、医療従事者を目指すことが自分の病気の勉強にもなると思いました。でも最初は何をやりたいのか決まっていませんでした。病院でよくしてもらっている看護師さんとお話したときに、看護師は体力的にもきつい、というお話をしていただきました」
そして色々調べていくうちに、臨床検査技師という仕事があることを知る。さらに初発のときに自分の病気を見つけてくれたのが臨床検査技師ということを聞いていたことも進路に影響したかもしれない。浦尻さんは現在、臨床検査技師を目指して勉強に励んでいる。
大きな母の支え
浦尻さんは現在、3~4カ月に一度、定期検査を受けるため通院している。いまの一番の心配は残った腎臓の機能が低下していることだという。
「いまは1つの腎臓をいかに長く使うかという生活に専念しています。いずれ母からの腎移植も視野に入れなければいけないと主治医から言われているので、小児病院から移行する病院を探している最中です」
現在、毎日服用している薬が6種類。初発のときに左の腎臓と両方の副腎を摘出しているため、その副腎不全に対する薬を2種類。骨密度が低いのでその薬、腎機能が良くないのでナトリウムとカリウムを摂取するための2種類、それとホルモンのバランスを保つための薬が1種類の計6種類だ。
浦尻さんはそれまでにもさまざまな薬を試してきている。小学5年生の時には、母が海外で使用されている再発予防の薬を個人輸入して服用していたこともある。
初発から17年経過。その間、腸障害に整腸剤や漢方薬を何種類も試したりしたが、現在は6種類に落ち着いている。
「両親はいつも私の病気と一緒に闘ってくれています。とくに母の支えが大きかったですね。私はひとりっ子なので、共に闘ってくれている母の存在は本当に大きいですね」
浦尻さんの母親は、2014年3月に「神経芽腫の会」という患者会を立ち上げ、共同代表として、情報発信やイベントなどを開催して神経芽腫の啓発活動を行っている。また、小児がんのドラッグラグ・ロスの問題解決のための厚労省への要望書提出や、さまざまな小児がん支援活動を通していまも浦尻さんを応援し続けている。
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