つらさの終わりは必ず来ると伝えたい 直腸がんの転移・再発・ストーマ・尿漏れの6年

取材・文●髙橋良典
写真提供●佐々木香織
発行:2024年12月
更新:2024年12月

佐々木香織さん 一般社団法人ピアリング理事/ピアリング・ブルー代表

ささき かおり 1994年津田塾大学国際関係学科卒。UHB北海道文化放送で報道記者として勤務。結婚、退職後、都内の教育情報サービス会社に転職。夫の転勤に伴い7年間ブラジルに在住。2018年夏に直腸がん罹患後、YouTube「大腸がん カロリーナ」チャンネルで体験談等の配信を開始。3度の肺転移、2度の局所再発を経て現在は合併症と向き合いながら、大腸がん・消化器がん女性のためのSNSコミュニティ「ピアリング・ブルー」代表として患者の組織運営、執筆、講演等、がん啓発活動を精力的に行っている

元気な自分がどうしてがんに……と素朴な疑問から出発。

現在は大腸がん・消化器がん女性のためのSNSコミュニティ「ピアリング・ブルー」の代表として活動している佐々木香織さん。

46歳で大腸がんに罹患し、転移、再発、ストーマ、尿漏れなど度重なるつらい闘病生活を経てもなお女性のがん患者さんを支えようとしている原動力とは。

お尻からカメラを入れるなんて

佐々木香織さんは2018年春、会社の定期検診を受けた。後日、要精密検査と書かれた用紙と、精密検査を受診できるクリニックの一覧表が入った封筒を受け取る。

そこで近くのクリニックを選んで、肛門から内視鏡を挿入して大腸検査を行なったのだが、「それまでは、お尻からカメラを挿入する検査があることは知りませんでした」

肛門の近くに大きなかたまりが映し出され、そこで紹介されたのが、築地と有明の病院だった。

「『この2つの病院って、がん専門病院じゃないですか』と医師に尋ねると、『まだ病理検査の前なのでハッキリはいえませんが、悪性の可能性が高いです』と言われました」

その言葉を聞いたとき頭が真っ白になったというよりも、「えっ、そう来るんだ」と思ったという。佐々木さん46歳のときである。

「それは私のようにこんな元気な人間にもがんってできるんだ、と意外に思ったからです。それまでの自分はあまりに元気だったので、がんになるなんて考えられませんでしたから」

しかし、よくよく思い返してみると、検査の半年前くらいから、夕方、便意を催しトイレ駆け込んでも便は出なくて、トイレットペーパーでお尻を拭くと、小指の先くらいの梅干しのカスのようなものが付くことが続いたという。

別に痛くも痒くもなかったので、会社の定期検診もあるし半年近くそのままにしていたという。

「今から思えばその段階で検査に行けば良かったのかも知れませんが、そのときにはそんな大変な病気だとは思わなかったので、そのまま放っておいたのです。この症状が、がんの前触れだとは気づきませんでした」

大腸がんステージⅠと診断されるが

超低位前方切除術で直腸切除した際の入院風景

佐々木さんはもともと新卒で入社した会社がマスコミ関係だったこともあって、調べたり、裏を取ったりすることが好きな性格だった。だからまだ治療法も決まっていない段階で、かなり熱心にネット検索をかけ、もし手術をするなら内視鏡でと思い、内視鏡の名医と言われる医師も調べ上げ、その病院に下見にまで行ったという。

そうこう佐々木さんがもがいているうちに、病理検査の結果が出た。

医師に「内視鏡手術で行う病院も見てきたのですが」と話すと、「佐々木さんのケースでは内視鏡手術では取り切れないし、二度手間になる可能性が高いのでそれはお薦めしません」と言われた。

手術する病院は、眺めもいいこともあってがん研有明病院に決めた。

部位は、肛門から3㎝の箇所に3㎝の腫瘍ができていた。そんなに深く浸潤もみられなかったので、超低位前方切除術で行われることになった。

超低位前方切除術とは、肛門機能をできるだけ残すために肛門拳筋(きょきん)を切除せず、直腸を切除し、肛門に近い部分で吻合する手術。外括約筋(かつやくきん)や内括約筋は切除されないが、排便のコントロールが困難になる。

病理検査の結果、佐々木さんは大腸がんステージⅠと診断され、手術後一時的に人工肛門(ストーマ)を造設した。

「人工肛門は傷が回復するまでの臨時の処置で、3カ月程度で閉じますと医師から言われていたので、一時的なものなら問題はない、と軽い気持ちで承諾しました」

2018年8月に入院、手術を行って2週間で退院した。3カ月後、人工肛門を閉じ、3カ月おきに定期検査をしていたが、半年経過したときの検査で左肺下葉に影が写っているのが見つかった。

「そのときは、『肺転移かも知れない。3カ月後に大きくなっていれば、転移なので切除しましょう』と言われました。ですからその3カ月が、私のがん人生で一番しんどい時期でした。医師からは全身にがん細胞が巡っている可能性もあると言われ、ステージⅠの私も落ち込みました。私は、がんは切除したらそれで終わりだと思っていたから、この段階で初めてがんである自分を実感しました」

3カ月後、その影が成長していたので、切除することに決まった。2019年7月に入院手術。入院期間は1週間弱だった。

抗がん薬の副作用を医師に訴える

「ただ、腫瘍は1個だけで、部分的にとても切除しやすい箇所だったので、胸腔鏡手術を行いました。脇の下の小さな傷ですみました」

術後補助化学療法として飲み薬のゼローダ(一般名カペシタビン)と点滴薬エルプラット(一般名オキサリプラチン)を併用するXELOX(ゼロックス)療法を7クール行うことになった。

「点滴してから3日後くらいから倦怠感が強く出てきて、この症状が2~3日続いてとてもつらかったです。ずっと横になって過ごさなければなりませんでした。普段は元気な自分なのに抗がん薬を入れるだけで、2~3日の時間をパーにすることがとても受け入れられませんでした」

1クール目が終了したとき佐々木さんは医師に「このだるさ、どうにかなりませんか」と訴えた。

「多少減薬してもらったり、吐き気止めのペースを調整してもらったりしたら、だるさもそんなにひどくなくなりました。その結果、7クールやり遂げることができました。やはりつらいことは我慢するのではなく、医師に伝えなくてはダメだと思いました」

その後、右の肺、左の肺と転移が見つかったが、腫瘍が1カ所だけの限局転移だったので、それぞれ切除することができた。

あまりのつらさにストーマに

術後、ストーマを閉じたことで、今度は排便障害に悩まされるようになった。

直腸を切除しているので便を溜めておくことが出来ず、便意がきたらすぐにトイレに駆け込まないと間に合わない状態が1日に30~40回もあり、トイレが常に傍にないと生活が成り立たなくなったという。

「お尻が痛くてたまらなくて、主治医に訴えても便を緩めたり固めたりする薬や痛み止めを出してくれる程度でした。家族からは『そんなにつらいなら肛門の専門病院で診てもらえば』」と言われ、近所の肛門専門病院を受診した。

クリニックで肛門に内視鏡を入れたところ、『潰瘍があるので主治医に診てもらったほうがいい』と言われ、その潰瘍の写真を持って主治医のところに行きました」

「すると直腸膣ろうといって膣から便が出るような状態になっていて、緊急入院して手術を行いました。そのついでに永久人工肛門を造設してくださいとお願いしました。肛門の痛みがひどく自分の精神のすべてをお尻にもっていかれるような状態で、眠ることもできない毎日を送っていましたから。2021年にストーマにして本当に快適になりました。最初のうちは便漏れがあったりしたのでストーマ外来に相談に行ったら、自分に合うパウチ(装具)に替えてもらえ、漏れもなくなり快適になりました。ストーマにしたことで、私は私を取り戻せたと思っています」

このときの潰瘍らしきものは組織検査の結果、悪性だったが、CT検査では写らない形状のもので局所再発だった。念のため骨盤内放射線治療を行うことになり、定期券を購入して28日間通院した。

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