子どもの成長を見守りながら毎日を大事に生きる 30代後半でROS1遺伝子変異の肺がん
吉野振一郎さん 会社員

働き盛りの30代後半の会社員が、会社の健康診断で肺の影を指摘された。仕事が忙しいため、自宅近くの診療所を訪ねる。が、そこで「大丈夫でしょう」と言われて、彼の中ではその件は落着した。
それから2年。会社の40歳の節目健康診断で、またもや同じ影を指摘されたため、会社近くの病院に行くと、大学病院を紹介された。最初の健康診断での指摘から9年に及ぶ肺がんとの戦いが始まった。そのとき子どもはまだ3歳。妻と子どものためにも前向きに決してあきらめない。
健康診断で異常を指摘されるも
コロナの非常事態宣言から会社はリモートワークになり、取材もほぼリモートで今ではそれが常態化している。今回もリモートでの取材。指定された時間きっちり吉野振一郎さんが画面に登場した。まだ若々しい青年の面影を残した男性だった。
吉野さんの非小細胞肺がんとの闘いが始まったのは、9年前の2016年8月のこと。東京の情報通信会社に勤めていたが、当時38歳という働き盛り。非常に忙しくも、私生活でもサッカーや旅行にと充実した日々を送っていたさなか、会社の健康診断で「左肺下葉にちょっと異常がある」との健診結果を受け取った。自覚症状もなく、20歳のときに自然気胸で手術をしていたので、これまで何度も健康診断でその手術の跡を指摘されたことがあった。「今回もそれだろう」とまったく気にしていなかったと吉野さんは振り返る。
だから専門病院で検査を受けようとは思わず、自宅近くの夜まで開業している診療所を訪ね、改めてレントゲンを撮った。
「確かに奥のほうに変なのがあるね」と医師が言った。しかし、医師の読影ではそれが何かわからなかったようだ。「1カ月か2カ月後にまた来て」と言われたため、もう1度同診療所を訪ねレントゲン撮影をした。
「前回と大きさも変わっていないし、まあ大丈夫だと思いますよ」と医師が言ったので、これで一件落着したと考えてしまった。
それから2年ほど経った2018年11月。会社で40歳の節目の健康診断があり、「左肺下葉に異常がある」とまた同じ健診結果を受け取った。
「多分また同じなんだろうな」と思ったものの、「要再検査」なので一応は病院に行かなきゃと、前回の診療所を訪ねたらもう夜間の診療は行っていない。暇を見て会社近くのクリニックより少し大きめの病院を受診した。
「大きくなっていないから大丈夫だと思うけど、影の形がとんがっていて嫌な感じがするから、専門病院で見てもらったほうがいい」と医師は大学病院の分院へ、紹介状を書いてくれた。最初に健康診断で指摘されてからすでに3年近くが経とうとしていた。
2019年6月、大��病院分院の呼吸器内科を受診。そこでも「なんだろうね。たぶん大丈夫だと思うけど、一応組織検査をしてみよう」と言われ、肺の組織を取る胸腔鏡検査のため2、3日入院した。そのとき病名は「肺真菌症の疑い」と書いてあった。
いきなり「手術いつにしますか」と訊かれてびっくり
「がんと言い切れなくもないけれど、なんか良くない感じがするから、一応調べたほうがいいと思うので、外科に行ったほうがいいかな」と呼吸器内科の医師が、組織検査の結果を伝えたときに言った。
呼吸器外科に行くと、「手術いつにしますか」といきなり訊いてきた。
16年の健診経緯を外科医に説明したが、「大きくなっていないので、あなたの都合で手術していいですよ」と。詳しい説明もなかったので、「もう少し詳細を聞きたい」と尋ねたところ、「がんですから切ったほうがいいですよ」とその医師が言った。
「自分の場合、告知をすっ飛ばされた感じで、『あっ、そうなんですね』と、あれよあれよという間に手術をすることになった。いやぁ、がん告知のステップを飛ばされたほうがびっくりしましたね。がんを知るきっかけがそんな感じだったので、あまりショックを受けなかったというのが正直なところです」
がん告知もされず、治療方針に関してインフォームド・コンセントもしっかりされたか怪しい。これは2019年の話だ。日本医師会がインフォームド・コンセントの報告書を出したのは1991年。今ではインフォームド・コンセントは定着したと言われているため、このような対応に驚くが、医療現場では形骸化しているところがあるのかもしれない。
「がんを知るきっかけがそんなで、なんだかなし崩しの感じでした。すでに夏休みの予定があったので、9月に入って左肺下葉を切除しました」
病理検査の結果、「ステージ1b」と確定した。
吉野さんも家族も健診で早く見つければがんは治ると聞いていたので、「早く見つかって、早く手術できてよかったね」という安堵が先で、がんだったことのショックはそれほどではなかったと当時のことを述懐する。
縦隔リンパ節に再発している
術後、再発予防のため抗がん薬UFT(一般名テガフール・ウラシル)を飲み始めた。再発を10%くらい防げると説明を受け「それでも飲みますか」と聞かれ、「10%の確率でも飲みます」と、2019年9月から2021年6月まで続けた。
2021年6月で止めたのは、再発が発覚したからだ。縦隔リンパ節が腫れているので、再発だろうと言われた。そこで、「もう一度手術をするかどうか」が外科と内科の間で検討された。
「外科からはリンパ節を取ってもいかもねという話しがあったし、内科からは化学療法を行うにしても、取ったものを分析したほうが使える薬もわかるから取ってみてもいいかもという意見も出て、結局リンパ節切除の手術を受けました」
検査の結果、ROS1融合遺伝子変異陽性だった。非小細胞肺がんで一番多いのがEGFR遺伝子の変異で約50%、ROS1は約1%程度と言われている。
「当時、リンパ節切除術後、ROS1遺伝子変異と言われても全然ピンとこなくて、遺伝子変異の意味をわかっていなかった」と、当時肺がんの知識がなかったことを吐露した。
縦隔リンパ節を切除した後は経過観察のみで、「当時は、がんは切れば治ると思っていたので、自分は治ったと思っていたのです」
再々発で初めてがんの自覚
2021年12月。その年6月に切除した箇所近くの縦隔リンパ節が腫れてきた。
「自分的には、再々発ということがわかったときが一番つらかった。外科ではもう手術できる状態ではないと言われ、内科に戻ることになりました」
手術後はもし再発したとしても、もっともっと先のことだと思っていたので、「半年で出てきたのですごくショックでしたね。もう治らないから薬で延命というワードをネットで見たり、肺がんの5年生存率がすごく低くて衝撃を受けたり。そのとき初めてがんを自覚しました」
食事療法本を買いあさって実際に取り入れたり、さまざまな情報に振り回されて、吉野さんにとって一番つらい時期だったが、内科に戻ったら、「ザーコリという薬がいいと思うよ。ROS1に使えるから」と言われた。
その頃にはザーコリの薬剤耐性のことも調べていたので、「飲むのはいいんですけど、その後どうするのですか」と聞いたら、「もう1つ使えるロズリートレクという薬があるが、副作用を考えるとザーコリのほうが良いと思う」と医師は言った。
ザーコリ(一般名クリゾチニブ)は、ROS1融合遺伝子変異陽性に2017年承認された分子標的薬で、現在は2020年にロズリートレク(一般名エヌトレクチニブ)、2024年に承認されたばかりのオータイロ(一般名レポトレクチニブ)がある。
そのとき医師は「薬は始め時とやめ時が難しい。早く始めれば早く耐性がくる」と。ザーコリのPFS(無増悪生存期間)は15~16カ月。耐性になった後の見通しが立たない中、吉野さんはザーコリで治療を始めるのが怖くて決断がつかず、投与開始を保留した。
無治療でも、腫瘍マーカーの検査は月1回受けていた。
「その頃自分でできることはやってみようと食事療法や民間療法などいろいろ試していたのですが、マーカーがずっと上がり続けている状態で、さすがにもう始めたほうがいいと思って、4月に先生に伝えました」
そして、2022年5月からザーコリの服用を開始した。
「今思うと、早くやったほうがよかったと思います」
今でもザーコリを服用しているが、飲み始めたら腎臓に水嚢胞(すいのうほう)ができ、だんだん大きくなった。薬の服用は腎臓の機能に異常が出ると難しくなる。2023年6月水嚢胞がかなり大きくなったため、250mgから200mgに減薬した。しかし、薬の効果は続いていて、腎臓も薬を続けられる機能を保っている。
「いまは小康状態で、あと2つ薬があるという安心感があります」と、ROS1治療薬は増え、心の余裕を取り戻した。
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