新たなことにチャレンジするきっかけはいつも病でした

取材・文●吉田燿子
発行:2013年3月
更新:2013年8月

両胸に乳がんが発覚ホルモン治療も効き目なし


闘病生活を支えた友人たちと

岡村さんが左胸のしこりに初めて気付いたのは、2003年ごろのことだ。「しこりは動いているから、悪性ではない」と思い込んで放置していたが、2006年ごろ、しこりが動かないことに気づいた。銀座の女性専門クリニックでマンモグラフィを受けたところ、左胸に影が映っていた。

がんだ、と直感した。

検査結果を聞いた日、岡村さんは泣きながら銀座の街を歩いた。だが、状況は岡村さんの想像をはるかに超えていた。紹介状を持参して聖路加国際病院を受診する当日、なんと右胸にもしこりが見つかったのだ。マンモトーム生検の結果、両胸にがんがあることが判明。主治医に両胸の全摘を勧められ、岡村さんは打ちのめされた。自分は過去に子宮頸がんもやっている。子宮、乳房……。女性を表す部位が次々にがんに侵され、女性としての自分を全否定されているような気がした。

「両胸を取ると言われたの。両胸がなくなったら、どうやって生きていけばいいんだろう」

友人や当時の恋人から、「命のほうが大事」と励まされ、岡村さんは手術することを決意。手術日は2007年2月と決まった。

だが、さらなる試練が待ち受けていた。1月に手術の打ち合わせのため病院に行くと、主治医からこう告げられたのだ。「年末に行ったリンパ節生検で、リンパ節に転移していることがわかりました。手術はできなくなりました」

手術ができない場合の第1選択は抗がん薬治療だったが、今後1年間は講演会の予定が詰まっている。そこで、外見が変わる抗がん薬治療の代わりに、ホルモン薬を試すことになった。2月からノルバデックスによるホルモン療法を開始。しかし、腫瘍は次第に大きくなり、リュープリンに切り替えたが、これも効き目はなかった。

さらに、ホルモン療法の副作用による激しいうつ状態が追い打ちをかける。京都に帰省する途中、自殺衝動に襲われ、新幹線に飛び込みかけたことさえあった。

残された手段は、手術と抗がん薬しかない。岡村さんは、会社を清算して治療に専念することを決めた。

ノルバデックス=一般名タモキシフェン リュープリン=一般名リュープロレリン

抗がん薬も効きにくい温存手術を選択

友人の内科医から、ドイツで行われている「寄生木療法」の話を聞いたのは、そんな折だった。寄生木療法とは、免疫療法で、抗がん薬の副作用を軽減させ、基礎体力をつける効果があるという。

主治医の了解を得て、2008年、独・シュトゥットガルトの森に囲まれたエッシェルブロン病院に入院した。ここで、岡村さんは寄生木療法をはじめ、音楽療法や精神腫瘍学の専門医によるカウンセリング、マッサージ、オイリュトミー(運動による芸術療法)などを受けながら、静かに1カ月を過ごした。

岡村さんが感銘を受けたのは、こ���での治療が、「患者が主体で、医師は伴走者」という理念に貫かれていることだった。医療ワーカーの質も非常に高く、岡村さんが「心を立て直す」のを支えてくれた。

だが、帰国後、岡村さんは再び厳しい現実に直面する。知人の勧めで、抗がん薬の感受性(効き目)を調べたところ、効きにくいタイプであることがわかった。

「抗がん薬もホルモン療法も効きにくい以上、日々の生活の中で免疫力を上げながら、がんとつきあっていくしかない。私の仕事は手を使うので、リンパ節を取ると後遺症のリンパ浮腫が心配です。それなら、がんが残ってもいいからリンパは取らないで、小さく手術してほしいんです」

岡村さんの言葉に担当医はうなずき、2009年9月、予定を変更して温存手術が行われた。

がんの手術は2回目だったが、岡村さんは再び術後苦しめられた。退院6日後、感染症による発熱と痛みで緊急入院。その後、1カ月間の放射線治療を受けた。

独り身の女性のがん患者さんを支えたい

がんの転移、次第に狭まっていく治療の選択肢―― 。岡村さんの過酷な闘病生活を支えたものは、何だったのだろうか。

「1番の支えとなったのは、私の昔からの患者さんが、治療中も変わらず、通い続けてくれたことかもしれません。細々とでも仕事を続けることで、『自分には、戻れる場所がある』と感じられましたから」

そう語る岡村さん。だが、そこには、「家族には頼れない」という現実と隣り合わせもあった。岡村さんの挑戦を応援してくれた父はすでに亡くなっており、母は脳梗塞で倒れた。家族の支えを期待できない岡村さんは、友人や顧客の応援を力としながら、独力で病気と立ち向かうほかなかった。

「1番悲しかったのは、転移の告知を1人で聞かなければならなかったことです。周りの患者さんは、家族と一緒に先生の話を聞き、苦しみを分かち合っている。『どうして、こんな話を1人で聞いているんだろう。私、間違ったかな』と思いました。『独り身の女性のがん患者さんを支える仕事ができたらいいな』と思うようになったのは、それがきっかけでしたね」

病気が人生をやり直すチャンスを与えてくれた


術後の皮膚ケアや傷跡のトリートメントも行っている「HaNA」

現在、岡村さんは月1回の定期検査を受けながら、無理のない生活を心がけている。

「がんの医療も日々進化しています。今、仕事をしながらつつがなく暮らせるのであれば、このまま生きられるだけ生きればいい。その意味では、生死ということを、逆に考えなくなりましたね」

闘病中は虚無感に襲われ、自死を考えたこともあるという岡村さんだが、母方の親戚が住む東北が震災で被災し、多くの命が奪われるのを見て、深く心に記するところがあった。

「生きたくても生きられない人がいる中で、私はこうして命を救ってもらった。これからは1日1日を大切に、人との関わりを大事にしながら生きていこう、と思いました。振り返れば、私の人生は、『病気をきっかけに新しいことを始める』というサイクルの繰り返し。『もう1回だけチャンスをあげるから、自分の人生を見直しなさいよ』と神様に言われてきたような気がするんです。その意味では、病気によって、あるべき道に戻されてきたのかもしれない。すべての経験があったからこそ今があると思えるのです」

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