納得して治療を受けるそのサポートを続けていきたい

取材・文●吉田燿子
発行:2013年6月
更新:2013年9月

定位放射線療法との出合い

左から放射線技師顧問の福井さん、植松医師、桑原さん、櫻井看護師(総勢70名余の治療経験者が熊本に集合した同窓会にて)

結局、ご主人の希望を聞く形で術前化学療法を受けると決めた。7月から術前化学療法がスタート。3カ月間、4回にわたりAC療法が行われた。その結果、約4.5cmあった腫瘍は1cmまで縮小した。

10月から、タキソテールの投与が始まった。だが、1回目の治療の後、「背中に強力接着剤をつけたみたいに」布団から起き上がれなくなってしまった。ひどい倦怠感や便秘に悩まされ、表情がうつろになっていく。

「1日も早く手術をしたい」という思いで頑張ったが、気力体力が目に見えて失われていった。そのつらさを訴えると、担当医は突き放すように言った。

「どなたも通院で抗がん薬を打って、仕事も家事もこなしています。あなたが言うように副作用がひどかったら、そんなことはできないでしょう」

鎖骨や副作用の体の痛みを「気のせい」だと言われ、無力感だけが募っていく。知人夫婦から、UASオンコロジーセンターの定位放射線治療に関する資料をもらったのは、そんな折のことだった。

この治療の最大の特長は、「スーパー・フォーカル・ユニット」を用いていることだ。

これは、リニアック(放射線治療装置)とCT(コンピュータ断層撮影)を一体化させた装置で、座標軸のブレを防ぐ設計となっており、呼吸で動く腫瘍を追いかけて照射する「チェイシング・ビーム」が搭載されている。これによって、がん細胞に狙いを定めた正確なピンポイント照射が可能となり、正常細胞への悪影響を最小限にとどめることができるという。

「乳がんの治療法については調べ尽くしたつもりだったのに、この治療は知らなった。でも、植松先生の本を読み、ホームページの先生の言葉で半信半疑の気持ちが消えた。この治療法なら、がんと共存できるかもしれない―― そう確信したんです」

それはあたかも、厚く垂れこめる雲の隙間から一筋の光が射してきたかのようだった。植松医師にメールを送ると、返信はすぐに届いたが詳細がわからなかった。詳細の返事を待つあいだに、K大学病院の受診予約があり、待合室で携帯電話をいじっていると、ツイッターの画面にアニメ『ワンピース』の台詞が流れてきた。

「状況は最悪だ。だが、最悪な事態には、必ず相応のチャンスが眠っているものだ」

その言葉は、絶望の淵にある桑原さんの心を深く射抜いた。手元の携帯電話が鳴ったのは、そのときだった。

「せっぱつまった状態だと思ったので、お電話しました」

植松医師の言葉に胸がいっぱいになり、桑原さんはこう訴えた。「先生、私、抗がん薬が嫌なんです!」

「抗がん薬はやらなくていいかもしれな���。1度、お話にいらっしゃいませんか?」

AC療法=アドリアシン(一般名ドキソルビシン)+エンドキサン(一般名シクロホスファミド) タキソテール=一般名ドセタキセル

治療のかたわら鹿児島で温泉三昧

「がんは古くからのよき友を再認識させ、新しきよき友を与えてくれた」と桑原さん

11月、桑原さんは、品川にあるUASオンコロジーセンターのカウンセリングルームを訪れた。植松医師と30分ほど面談し、その場で治療を予約。カウンセリングルームを出たときは、雲の上を歩いているような、フワフワした気分だった。

「それまでは、『どんなふうに死のうか』と思っていたんです。でも、面談が終わった瞬間、『どうやって生きようか』という方向に変わった。一か八かの勝負。さて、治療費をどうやって捻り出そうかな、と(笑)」

自由診療のため、治療費は滞在費なども含め総額200万円に近い。貯金は店のリニューアルにすべてつぎ込んだので、手元に余裕資金はない。姉に頼み込んで資金を工面してもらい、桑原さんは1人、鹿児島へと旅立った。

11月中旬~12月中旬、UASオンコロジーセンターで放射線治療を実施。センターでは今まで指摘されなかった鎖骨への転移も発見され、治療は25日間にわたって続けられた。

1回の治療は照射時間を含め30~40分で終わる。治療の後は鹿児島観光を楽しみ、夕飯前に温泉につかるのが日課となった。桜島という活火山の裾野にある鹿児島では、銭湯で気軽に温泉を楽しむことができる。これは、うれしい発見だった。

「最初のうちは温泉もいいでしょう。でも、治療が続くと皮膚が痛んだり、白血球の値が下がって感染症の恐れも出てくるから、温泉は控えるように」

医師にはそう注意された。

1カ月間の治療の結果、原発巣とリンパ節、鎖骨への転移が消失。副作用で皮がペロリとむけたが、5日ほどで回復した。

放射線治療をした右腋は今もときどき痛みを感じるが、生活に支障はない。現在、半年に1度のPET検査を続けているが、今のところ異常はないという。

まっすぐに真っ当に正直に生きていきたい

現在、桑原さんはブログに自らの体験を綴り、患者さんの相談にものっている。今でも、患者さんのサポートを続けているのは「誰もが納得した治療を選択できるようになってほしい」ゆえだ。

「納得できないまま勧められた治療を受けている人もいる。この治療に出合って自分は抜け道を見つけてしまったような気がした。その違いが情報格差であってはいけないし、運だなんだと片付けてしまうのも、どうしても嫌だったんです」

桑原さん自身にとっても、ブログは闘病の大きな支えとなった。ブログを読んだ地元の友人が、落語のCDやビワの葉を送ってくれたこともある。もともと、どんながん治療も「博打みたいなもの」だと思っていた桑原さんが鹿児島に転院が決まり、「大金かけて博徒になります」と書き込むと、たくさんの応援が寄せられた。

「がんになってから出会った方々も、本当に親身になってくださった。がんは古くからのよき友を再認識させ、新しいよき友も与えてくれたのです」

がんを経験する前と後とでは、人生観も大きく変わった、と桑原さんは言う。

「大病を患うと、よくスピリチュアルや宗教に走る方がいらっしゃいますよね。私は逆で、がんになってから、スピリチュアルには一切興味がなくなりました。自分で納得したもの以外は信じない。他力本願なところがなくなり、まっすぐに真っ当に、正直に生きていきたい、と思うようになりました」

これからも、すべてのがん患者さんが納得して治療が受けられる世の中を目指して、情報提供を続けていきたい、と桑原さん。自分に合った治療を求め続けた苦闘の果てに、つかみ取った新しい人生。その歩みは、確かな自信に満ちている。

桑原さんの経過

2011年  6月 乳がん告知
K大学病院に転院。確定診断(右浸潤乳がん、Ⅲ期a、腫瘍グレード3、トリプルネガティブ)
7月 術前化学療法(AC療法)開始
10月 タキソテール投与開始も、副作用に苦しむ
11月 セカンドオピニオン → UASオンコロジーセンターへ
転院、リンパ節・鎖骨転移発見
放射線治療開始(11月中旬~12月中旬)→ 原発巣・リンパ節・鎖骨のがん消失
現在 半年に1回のPET検査
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