「積極的な夢」そして「人任せにしない知識欲」 子宮頸がんも糧にしたマンガ家・里中満智子さん
「元気になれば」と何でも試す
里中さんの積極的な姿勢は、がんからの回復についても同じだった。
「健康になれば、元気になれば、と何でも試しました。いろいろな民間療法にもトライしました。『何かを煎じて飲んだら治った』という体験談も聞きましたが、実際はそれが効いたのか、ほかの療法が成功したのかわかりません。でも、自分で信じてやり続けるのは大切だと思います。私は西洋医学と東洋医学の“合体”が理想と思っています。悪いところは切除する、そしてそのあとは体力をつける」
里中さんの持論である「積極的な夢、生きる意欲」に向けて、頑張り続けるということのひとつの現れだろう。
里中さんは、自分だけでなく、周りの人々にも元気になってほしかった。告知後に読んだ体験記で自分が勇気づけられたように。機会があるごとに、自分の体験を話した。
しかし、こんなことをいう編集者もいたという。
「作者ががんというとイメージが悪いので、伏せてほしい」
里中さんは強く反論した。
「私はがんを経験したことを言いふらします。そして『がんになったけど、今は元気になったよ、大丈夫ですよ』と。がんを恐ろしいと思っている人々に、少しでも前向きな気持ちになってもらい、元気になってもらう励みになれればと思っています」
医療現場も心の配慮を
いろいろな患者さんと話してみると、医療現場の配慮の足りなさも痛感したという。告知が珍しかった時代とは変わり、今は患者さんに告げられることが多くなった。
「お医者さんからいきなり『余命告知』を受ければ、どんな人でも落ち込むのは当たり前です。そのあたりの心のケアを考えてほしいですね」
里中さんは退院の1年ほど後、ある女性から相談を受けた。卵巣がんだと告知されたという。余命についても言われたらしい。里中さんは笑顔で答えた。
「余命には幅があるんですよ。お医者さんは最悪の場合を考えて言うんです。3年と言われて6年間生きた人も知っています。そのうちに新しい薬や治療法がうまれるかもしれません。できるだけのことはするべきです」
無理に明るさを押し付けることはしないが、生きたいという希望を見出してくれるような話を心がけている。
相次ぐ病魔乗り越えられたわけ
このような里中さんだが、がん以外の体の不調に襲われ続けた。手術から10年後の41歳で子宮筋腫に見舞われた。このときも部分切除で乗り切った。
そして50歳では、以前から感じていた胸の苦しさ、血液が逆流するような感触が強くなり、24時間の心電図検査を受けた。原因は���生まれつき心臓弁が小さく、若いころは力強さでカバーしていたが、その力が弱まったため」と説明された。
「薬で心臓のリズムを付けましょう、ということでやってきました。続けていれば、そのうちいいペースメーカーが開発されるかもしれないという希望を持って」
そのまま15年が経つが、症状は悪化していない。
仕事に前向きに取り組み、周囲をも励ます一方で、毎晩のように死の不安に襲われるという。しかし、それを乗り越えられるのは、確固とした人生観と医療への信頼だ。
「人間が生まれる確率というもの自体、とても低いのですから、生きていること自体が奇跡のようなものなんです。それを大切に思えるかどうかです」
手術後に医師に言われたとおり、ひんぱんな検査を続けていることも心強さにつながっている。
「まめに腫瘍マーカーによる検査もしています。(次の対応は)数字が上がってからでいいと思っています」
「知ること」で将来も描ける

がんに悩む患者さんたちに改めてひと言。
「女性の中には『抗がん薬の副作用で髪が抜けるのは嫌だ』『乳房を切除されたら女でなくなる』というように、体を機能で考えて治療に二の足を踏んでいらっしゃる方々も多いようです。しかし、何事も命あってのこと。理不尽があってこその人生なんです」
そのような悩みで治療を遅らせることはぜひ避けてほしいという。そして、
「『知識を持つこと』をお勧めします。がんの方と話していると『難しいことは分からない』『医師に任せている』という言葉を聞きますが、これはよくありません。自分で知ろうとすることが大事。今の状態を把握して、治療について知る、そうすれば将来も描けるでしょう」
普段から自分の体に興味をもち、「いつから、どこが、どう痛いのか」をたとえ拙い表現であっても記録しておくことが将来の治療にもつながるという。
「人間は長い歴史を経験してきました。医療が発達して、多くの病気で命を落とさなくても済むようになりました。死にいたる病が減ってきたから、消去法でがんが残ったのです。しかし、治療法は100年前と比べれば、たくさん増えました」
☆
大学の教授や政府機関の委員など多彩な活動領域を持つ里中さんだが、マンガ家としての仕事に一番のやりがいを感じている。「人が生きていてよかったと実感するのは、『感動すること』だと思います。創作活動を通じて、その一端にかかわれることを誇りに思っています」
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