患者は医者を選ぶべき。そして、明るく元気に乗り切ろう 大腸がんから23年、第一線で活躍する喜劇役者・大村 崑さん
薄いみそ汁と大盛りサラダ
回復と元気を強調し、知識を蓄えた大村さんだが、自分のからだに不安が消えたわけではない。
「とくに5年は要注意だと言われました。どこに出てくるかわからないと。検査を続けました」
今でも不安はある。昨年と今年始めの検査では肺や喉頭系に異常な数値が見られた。しかし、精密検査をしてみると、結果は異常なしということだった。そのようなこともあるので、日常生活には気を配る。奥さんの料理が象徴的だという。
「味噌汁にしてもすごく薄いんです。野菜サラダはというと、大きな皿に山盛りでいろいろな野菜が乗っているけど、ドレッシングも何もつけないで食べさせられるんです(笑)」
病院へのかかり方も変わった。
「実は、東京の医師には『先生だけですよ』と言って診察してもらいながら、大阪では若いお医者さんに同じ血液検査をしてもらうんです。東京の医師は『肉ばかり食べて……』と言うけど、大阪では『肉もいいでしょう。神経質にならないで』と言うんです。僕はその中間をとっています。大げさに言ってくれる医師もいたからこそ、これだけ元気にやってこれたと思います」
病院には「愛」や「情」を持ってほしい
舞台やテレビを離れれば、医療関係のシンポジウムなどに招かれることも多い。そんなときにはこう言うことにしている。
「がんは決して怖くないよ。早く見つけて。早く処理すれば、もっと人生を幸せにやっていける。告知も軽い時期に行うべき」
そして、現在の医療界について苦言も呈する。
「僕はフェースブックをしていますが、そこに集まる情報では、医師ともめている人や医師に傷つくことを言われた人たちがたくさんいます。つまり愛の少ない病院もあるのです。病院には愛や情がたくさんなければいけないと思います」
どうすればいいだろう。
「患者が医師を選ぶべきです。しかし、病院のことも医師のことも知らない人がいっぱいいます。みなさん、元気だからです。そのような人たちが患者という立場になったときにサポートする人が必要だと思います。『あの病院がいい』とか『内視鏡はここがいい』とか『ベッド数ならあそこ』とか」
いざというときにかかれる病院を
病院を知らない、ということに大村さんは“痛い”思い出がある。若いころ、地方で仕事をしていたある日、激しい腹痛に襲われた。救急車で近くの病院に運ばれたが……。
「病院では私がすごく苦しんでいるのに、何もしてくれないんです。診察���もちろん、検査も。何をしていたかと言うと、付き添いの弟子に『本名は何ですか?』『住所は?』とか延々と聞いている。弟子だってよく知りませんよ。助けてくれ! って叫んでも、何もしてくれない。本当に死ぬかと思いました」
もしかすると住んでいる町でも起きうる問題ではないか。大村さんは考えた。
「病院の診察券があれば、緊急な場合でも、そこですぐに対応してもらえる。待合室の長い椅子に座って苦しまなくてすむのです。情の通じる医師にめぐり合うことにもつながるので、みんなに勧めています」
続けて、
「僕は診察券を100枚も持っています」
と、笑った。医療関係者への“忠言”は続いた。
「私の体験ですが、あるとき病院に行って『風邪気味なんですけど……』と切り出すと、医師はこちらの顔も見ないで『自分で決めないでください』とはねつけました。コンピュータのモニターだけを見て話す医師もいました。人の話を聞きなさい。聴診器もあてないで何が医者だ、と言いたいですね」
明るい気持ちを持つことの大切さ
改めて闘病を振り返った。
「23年前に大腸がんの処置をしてもらって、役者としてやってくることができました。あれがなければ1年半から2年で命がなくなっていたと言われ、ゾッとしました。あれを起点に、健康診断を肝に銘じてやるようになりました。脳から足から眼から、どこに関してでも」
身近な人々も病院にお世話になることが増えた。そのようなときの体験も打ち明けた。
「同年輩の知人が入院すると、手術の前にお見舞いに行くんです。そこで、生きて帰ってくるか、帰らないかがわかります。『親も兄弟もならなかった病気になってしまった。もう、あかん。俺はだめだ』と言う人がいました。『大丈夫だよ、医学を信じて』と声をかけるのですが、数日後にファックスが届いて、亡くなったことを知ることになりました」
逆のケースもある。
「反対に胃を全て摘出するような人を見舞ったときには『よく来た。絶対へこたれないぞ。胃は全部取っても生きて行けるそうだから。元気になったらゴルフにも行こう』と明るいんです。手術は無事に終わりました。その人は退院して1年したら、僕と同じ速度で食べているんです。胃がないのに。精神状態の大切さを知りました。人は病気やけがはするものです。でも、絶対にベッドから出て自分の家に帰るという明るい気持ちを持っていたら、絶対帰れる。僕もそれで戻って来た」
81歳の喜劇役者は人を笑わせるだけではなく、自分をも明るく元気にしているようだ。
「喜劇役者はみんながんで死んでしまった。生きているのは僕だけ。どこに行っても『若いね』って言ってもらえることを勲章にしています。『老けたね』って言われたら、辞めなきゃと思っている。『崑ちゃんは明るくよくしゃべるね。それがいいのかな』と言ってくれる人もいます。僕がしゃべらなくなったら、病気なんだろうな」
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