意見をたくさん聞く。そして、気持ちを聞いてもらう。 甲状腺がんを経験した女優・斉藤こず恵さん

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2013年10月
更新:2019年7月

気持ちを話すことの大切さ

8歳。勝新太郎氏主演の「座頭市」京都ロケ。ひとりで新幹線に乗り込みロケ先に向かうという過密スケジュール

その後も、再発防止のためのホルモン療法などを続けるとともに、検査も欠かさなかった。少しでも疑わしいポリープが見つかると、すぐに口から内視鏡を入れて切除してきた。その回数は11回に及んだという。

2011年11月、とうとう再発防止のための投薬治療も完了した。

「今は、とても調子がいいですよ」

思い通りの声を出せることに感謝しながら、舞台を中心に活動を続けている。

改めて、闘病の時期を振り返ると、精神的ケアの大切さに思い当たるという。

「がんを告知されれば、だれでもすごく動揺するはずです。そこで頼りにしたいのは、話を聞いてくれる人なのです」

斉藤さんの場合は、母親が認知症の父親の介護をしているという事情もあり、なかなか話し相手がいなかった。そこで巡りあったのが、ある女性セラピストだった。精神的なケアを専門にしていた。

9歳。読売テレビのドラマロケの合間に“いたずら”

「自分のことや気持ちを話せるだけでも、とても大きなことなんです。聞いてもらいたい。家族ゆえに言えないこともありますよね」

コミュニケーションの大切さを実感していた斉藤さんだが、日常のふとした会話でひどく傷つけられたこともあった。

「何気ない会話の中で、『でも、死ななかったってことは、がんではなかったってこと?』と言われたんです。もちろん悪気はなかったんでしょうが、死に対して敏感になっている時期には厳しい言葉でした。看護師さんなど医療関係者でも、すごく親身になってくれるタイプと事務的なタイプの方がいらっしゃいます。どちらがいいかは言えませんが、小さいことでも聞いてもらえる人がいると、安心しますよね」

仕事にも及んだ意識の変化

大ヒットした「山口さんちのツトム君」

そんなある日、東京の大きな病院で、芸能レポーターの梨元勝さん(2010年��肺がんで逝去)にばったり出会った。

「こず恵ちゃん、こんなところで出会うなんて、ひょっとして……?」

「そうなんです。私もがんになってしまいました」

「タレントとして“ネタ”にすることもできるだろうけど、治療が終わるまでは伏せておいたほうがいいよ。公にすることで楽になることもあるだろうけど、それで逆にストレスを抱えることにもなりかねないよ」

普段は厳しいまでに芸能人情報をレポートする梨元さんだが、このときは小さな声でやさしくそう言った。斉藤さんはうなずき、いつか、その思いに応えたいと思った。

治療が終わったことを告げられて以降、自らの体験を少しずつメディアの前で話し始めた。

「医療の尊さを知りました。心の大切さも知りました。私も他の方々の力になれればと思います。自分ががんを経験したことを言いふらす必要もないけれど、だまってもいられないのです」

いろいろな人から「どう克服しましたか」などと尋ねられるようになった。

「自分の気持ちを発散するといいですよ。それで楽になれるなら」

そう言って、とことん話に耳を傾ける。

芸能活動の現場での意識も変わった。自ら主宰する劇団では、伸び悩む若手を違った角度で見守るようになった。

「これまでは、こちらから教えてあげていたんです。でも、気づくまで待とう、と。自分でつらい思いをして、それを克服したからこそ自分のものにできることってあると思うのです」

自らを「穏やかになった」と表現して、照れたように笑った。

自分の仕事に関しては、チャレンジ精神を強調した。

「話をいただいた仕事に関しては、どんどん挑戦したい。どれだけ舞台を踏めるかチャレンジしたい。やりたくてもできない人もいる中で、私はその機会を与えられているのですから、それを大切にしなければ。そして、子役時代からお世話になった方々に会えるだけ会って、感謝の気持ちを伝えたいと思っています」

1 2

同じカテゴリーの最新記事