自分がときめくもの細胞が生き生きすることを見つけよう 胃がんで手術、再発を経験しながら芝居に打ち込む俳優・佐藤B作さん

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2013年11月
更新:2019年7月

人間って何だろう24時間考える

以来、独自の演技を追求してきた。そのポリシーは。

「頂いた役をどうやって面白く表現するかを一番に考えます。セリフがどこまで深く読めるか、脚本・台本をどれだけ“行間”を含めてちゃんと読めるか、作家が描こうとする世界と自分に与えられた分担を正確に読み取ることが一番大事だと思います。

次の段階で、自分のセンスが入ってきます。自分なりの色を出すようにします。1つの役をもらうと、その役のことだけ24時間考えている、風呂でも酒席でもトイレでも、いつでも頭から離れない。ふと、『こういうことだ』と気づくときがあるんです。すごくうれしい。人間ってなんだろうって考えるのが楽しい。人間が大好きなんです」

溜まるストレス50歳過ぎて痛感

闘病を支えた妻・あめくみちこさんと(撮影・加藤孝)

演劇を通じて、人間の姿を追い求めてきた佐藤さん。舞台やテレビでの深みのある演技で、主役だけでなく脇役であっても存在感をアピールしてきた。しかし、負荷も大きかった。

「自分へのものを含めて、いろいろな不満がストレスになって体によくない状態が続きましたね。本番が始まれば、集まったお客さんの雰囲気で芝居が違ってきます。

芝居とは、そのとき集まったお客さんと稽古してきたことをぶつけ合っていくコミュニケーションによってできてくるものだと思います。昨日のほうがよかったなというときもあるし、今日がよかったなら、明日は大丈夫かと心配になる。どっちにしても、ストレスが溜まります」

稽古、本番の後にお酒は欠かせない。「酒は強くない」というが、ビールのあと、ワインか日本酒か、調子がよければもう一軒、打ち上げのときは朝まで。「いい歳なんだから早く帰って寝なさいと思うんですがね……」

50歳を過ぎたころから、めまいやギックリ腰に悩まされるようになった。そんな矢先の胃がんの宣告だった。がんの手術は2008年5月、都内の大学病院で行われた。

病室で覚えた舞台のセリフ渡り切れない横断歩道

手術は8時間に及んだ。「開けてみなければわからない」と言われた手術だったが、妻の女優あめくみちこさんは、予定よりかなり延びたことに心配を募らせたという。切除は最初の予想よりも広範囲の3分の2に及ん��。佐藤さんは病室で目覚めた。

「目を開けたときには『また生きちゃったんだ』と思った。生きていくのは大変だなと思いました。正直」

芝居への意欲は手術室に入る前と同じだった。直後に予定されていた芝居のセリフを病室で覚えたが、周囲からはすぐの復帰を猛反対された。

「セリフ覚えは暗記ではない。それを捨てるのが悔しかった。次から次に説得され、最後は親友の角野卓造に『今回は本当に辛抱しなよ』と言われて、『君が言うのなら』と納得した」

「また生きていく」ために、妻の力は有難かった。女優業で忙しい中、3食の料理を作ってくれた。そして、横に並んでのウォーキング。

「妻が体を支えてくれて、歩くのを手伝ってくれました。横断歩道の信号が青になって渡ろうとするのに、渡り終わる前に点滅するのにビックリしました。こんなにゆっくりしか歩けないんだって」

食道に転移苦痛だった副作用

2009年3月に食道への転移が見つかった。すぐに内視鏡で切除した。しかし、最初の治療ではなかった放射線と抗がん薬治療を勧められた。佐藤さんは受け入れ、毎日のように通院して放射線治療を予定通り30回こなした。しかし、抗がん薬治療は厳しかった。

「最初はどうっていうことはないのですが、だんだん体にこたえてくる。生きている心地がしないんです。つらくて、すぐにどこでも横になりたくなる。食欲はなくなる。便秘になる。がん細胞をやっつけるような薬だから、他の内臓もダメになってしまうんでしょう」

佐藤さんは、抗がん薬治療の中止を求めた。

「予防のための治療はいやだ、芝居やりたいんで、と。止めたらすぐに元気になった」

劇団50周年も元気に迎えたい

劇団東京ヴォードヴィルショー
創立40周年記念興行第四弾
「その場しのぎの男たち」(作・三谷幸喜、演出・山田和也)
2013年10月18日~31日、本多劇場(東京・下北沢)

がんと闘う“同士”への言葉をもらった。

「がんというのは、すごくしつこい。根気で負けないことです。生きている限りがんと闘うつもりで、ある意味、友だちのような気持ちで付き合うしかないのかなとも思います」

2012年暮れ、突然の訃報に驚いた。胃がん治療のきっかけを作ってくれた中村勘三郎さんが食道がんでの闘病を経て、亡くなった。

「会うたびに『オレは命の恩人だよね』なんて笑顔で話していたのに、自分で先に逝ってしまうなんて……」

50歳を過ぎて、健康に、仕事に改めて向き合うことになった。

「本当にやりたい芝居を見つけて、やらなければと思います。自分がおもしろいというものをやれば、細胞も生き生きすると思う。ふさぎ込んで生きているとがんが来ちゃうなという気もします。自分がときめくもの、楽しいと思うことを見つけることです。

今年40周年を迎える劇団ですが、50周年もやりたい。それまでは健康でいないと。身体が健康だからこそ、おいしいものも頂けるし、好きな芝居もできるんです」

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