みんなとボールを蹴りに戻ってくる 仲間に届け! 「番長」の決意 肺がんと闘うフットサル元日本代表・久光重貴さん(32)

取材・文●西条 泰
撮影●向井 渉
発行:2014年2月
更新:2018年3月

シーズン前、不意に訪れたがん宣告

13年5月、シーズン前のメディカルチェックがあった。肺のレントゲン(X線)検査の結果を見ながら医師が話しかけた。「右の鎖骨の辺りに影があります。再検査して下さい」。大学の附属病院で検査を重ねることになった。肺の組織を取る検査はこれまでに経験したことがないような痛みを伴った。

初めは楽観的だった久光さんだが、次第に「もしかしたら……」という不安が頭をもたげてきた。診断結果を聞く日がやってきた。その日の診療の最後の順番だった。混み合う中、待合室での待機は5時間にも及んだ。

廊下の人影もまばらになったころ、ようやく母親と一緒に医師の前に座った。
告げられたのは、右上葉肺腺がんのステージⅢb。

「待つ時間が長かった分、心の準備もできていたかもしれません。動揺は少なかった」

医師から運動が体に悪影響を及ぼす懸念を指摘されたため、練習を中断した。チームメイトは「番長」のことを気にするようになった。チーム幹部には伝えていたものの、みんなにこれ以上心配はかけられない。6月、シーズン開幕を目の前にしたチームメイトの前に久しぶりに姿を見せた。そして、がんと闘っている自分の気持ちを自分の言葉で語った。

「このチームで、このメンバーとともにオレはやりたい。みんなとボールを蹴れるように頑張る」

突然の告白に、体育館は静まり返り、小さなすすり泣きが漏れる中、久光さんは続けた。

「絶対に戻ってくる」

初めて考えた「生と死」 プレーをしたいから……

久光さんは、医師と治療方針について話し合った。「いつから練習していいですか」「復帰はいつごろになりますか」――。気が急く久光さんに、医師は冷静に言った。

「フットサルをしたいのですか、生きたいのですか。生きていなければ、プレーもできないでしょ」

初めて、「生きることと死ぬこと」を考えさせられた。医師の言葉で目の前が開け、まずは治療に全力を傾ける決意をした。

11月には弟・邦明さんもベルマーレに移籍で加わった。“ライバル”のためにも絶対に復帰しなければ。

がんの広がり具合などから手術は困難とされた。EGFR(上皮成長因子受容体)遺伝子に変異があることが分かり、イレッサ服用での治療が選択された。

「医師の説明では、イレッサは進行を止める効果があるということでした。そうしている間に新しい薬が開発される可能性もあるのだから、まずは進行を止めることに専念しようと言われました」

イレッサ=一般名ゲフィチニブ

素直につづる ツイッター

――今日の夜は寒い! でも星が綺麗に見えるし嫌な事ばかりではない。綺麗な物を見て自分の身体で感じる事が嬉しい。 良い事も嫌な事もあるから新鮮な気持ちになれるので沢山の経験をしたいと思います。嫌な事から逃げずに前進していきます!

――昨日は笑顔のあふれる1日でした! そんな日の次の日にモチベーションが上がらない訳がない! 今日も充実した1日でした! 毎日新しい発見と刺激を求めてまだまだ頑張ります!

闘病前から続けているツイッターだが、内容は少し変化した。ときに、哲学的なこともつづる。

「僕は詩人でもないし、文章も得意ではないけど、その時々の気持ちを素直に表現しています。読んだ方から『私も平塚に住んでいます。がんですが頑張ります』といったメッセージをもらったりすると、つらい思いしている人々のためにも、僕はできる範囲で発信しなければと思う」

楽しく食べること それが大事

イレッサによる治療を始めた久光さんだが、一番の悩みは副作用だった。唾液が出なくなり、味覚も鈍くなった。何を食べてもおいしくない。食事をしても10分後には下痢をしてしまう。一人暮らしなので楽しさもない。体重は6キロ減り、体中に発疹ができた。

「食事を摂ること自体が嫌になってしまいました。そんなときに思い出したんです」

頭に浮かんだのは、地元をランニング中に知ったフランス料理店「メゾン・ド・アッシュ×エム」(平塚市松風町)だ。無農薬だけでなく、肥料すら使わない農家などと連携し、地産地消の野菜や魚を提供する店だ。

「あそこならおいしく食べられるかも……。早速事情を話すと、快く受け入れていただけました」

食事面で久光さんをサポートするフランス料理店「メゾン・ド・アッシュ×エム」で。右がオーナーの相山洋明さん

 開店前に、従業員とテーブルを囲んで“まかない飯”を食べることになった。味覚はないかもしれない。しかし、素材のみずみずしさや豊かな食感は久光さんの食欲を大いに刺激した。

「いろいろな野菜を食べられる。人と話しながら楽しく食べられる。しかも自然栽培。びっくりするくらい下痢が止まって、発疹も収まった。薬でだるくても、待っていてくれる人たちがいると思えば、外出も苦ではなくなります」

オーナーの相山洋明さんは、「栄養素などに固執するばかりでなく、楽しく食べてもらうことを考えています。スタッフと一緒におしゃべりして笑いながら食べてもらうのが大事なのかなと思います」


強い意志で自分の活路を見出しながら、周囲のサポートに感謝する。それは久光さんが競技生活から得たものをそのまま映し出しているのかもしれない。あるときのブログにこう記した。

――フットサルは難しい。でもフットサルは好きです。みんなが頑張るから一緒にボールを追いかけたい。
今は出来ないけど俺はみんなとボールを蹴りたい! 他に欲しい物がないから。

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