乳がんも再建乳房も私の個性 前よりも元気になりました 非浸潤乳がんで乳房を全摘 同時再建したお笑い芸人・小林アナさん(32)

取材・文●西条 泰
撮影●向井 渉
発行:2014年4月
更新:2018年3月


中2で知った がんの怖さ

乳がん治療を乗り切る大きな力となった母・早苗さんと

小林さんは、長野県佐久市の出身。「まじめで負けず嫌いだった」といい、勉強も剣道もバスケットボールも頑張った。中学2年生の時、家族団らんの場で早苗さんが「胸を触ってごらん」と言った。大きなしこりがごりごりしていた。

後日、父が小林さんと姉を呼んで、「お母さんががんだった」と言って、初めて泣いた。ことの大きさに気づかされた。

早苗さんは、1カ月後に退院してきた。すぐに元気なお母さんになるだろうと思っていたが、ある日、がん治療の厳しさを知った。

「お風呂に入っていた母が『ギャー』と叫んで出てきました。手にはバッサリ抜けた髪の毛があった。泣いていました。抗がん薬の副作用でした。髪が抜けるのががんの怖さ、と植えつけられました」

アナウンサーから お笑いの世界へ

通訳になりたくて上智大学の外国語学部に進んだ。難しいとされたロシア語を選んだ。しかし、「まじめにおとなしく過ごしてきた反動でしょうか。大学では目立つことがしたくなりました」

就職活動もその路線に舵を切った。日本各地の放送局のアナウンサー試験を受けまくった。足かけ2年、103回もアウトをもらった。新潟のテレビ局の面接では、開き直って真っ白なワンピースで松田聖子のものまねをしてみたら、“バラエティ要員”として採用された。

ニュースも読んだが、レポーターやバラエティが面白かった。コスプレをしながらダイエットに頑張る「フィット姉さん」というキャラクターで人気が出た。そんなころ、元プロ野球選手のパンチ佐藤さんと番組で共演した。

「リアクション芸が素晴らしくて、私の負けん気に火がついちゃいました。この気持ちはアナウンサーじゃないな、よし、芸人になろうと」

東京に出て、お笑いの学校で勉強。オーディションに受かってデビューした。25歳だった。始めはアナウンサー経験を活かそうと、ヘンなニュースを読んだり、早口言葉をやったりしたが、先輩たちからは「守りに入っているね。アナウンサーを抜けられない」と言われた。

3年ほど前から、殻を破るように自分を崩していった。リズムを取りながらトークをまくしたてたり、歌を歌いながらギャグを連発したりした。

「私は『魂の叫び』と呼んでいます。お客さんにウケなきゃいけないと思っていましたが、ウケなくても自分が楽しければいいな、と発想を変えました」

お笑い界のコンテストなどで評判が上がっていった。

「全摘はしたくない」からの転換

仕事で一皮剥むけたところで、乳がんの試練を迎えた。

「全摘を勧められても、おっぱいを温存できる方法があるはずだと、病院回りをしました。早期のがんなのに、全摘をすることにどうしても納得がいかなかったんです」

病院は5つ訪れた。しかし、小林さんの期待に応えてくれる情報はなかった。医師は口をそろえたように「非浸潤がんだけど、全摘したほうがいい」と言った。

早苗さんと一緒に患者会にも参加して、意見を聞いた。早苗さんも乳がん経験者として積極的に発言した。南雲クリニック(東京)で開かれた患者会に出た時、様々な医療機関で治療を受けた患者さんが集まっていて、実際に同時再建手術を受けた乳房を見せてもらった。

「すごくきれいだった。こんなにきれいになるのなら再建していいなと思えてきた」

たくさんの医師の説得よりも、患者仲間との触れ合いが“百聞は一見に如かず”となった。

病院回りをしていたころ、米国女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、遺伝性の乳がん発症を危惧して、予防的に乳房を切除したことがニュースとして伝えられた。

「症状が出ていない段階なのにすごい勇気だなと思いました。私はがんになってもおっぱいを切ることに躊躇していました。私も勇気を持たなければ。カッコいいと思えば前向きになれるな、とね」

胸がある!「おっぱいすごくない?」

南雲クリニックで右の乳房全摘と同時再建、そして、バランスを取るために左の乳房への豊胸手術を受けることにした。

仕事関係者に、レギュラー落ちはもちろん、引退も覚悟でがんのことを話したが、返って来たのは「ほかのメンバーで穴を埋めて待っているからね」という温かい言葉だった。

5月31日、長野から上京した早苗さんと駅で待ち合わせ、「数十年ぶりに」手をつないでクリニックに向かった。

手術室に入って3時間。麻酔から覚めた小林さんは歩いて病室に戻った。看護師さんに開口一番、尋ねた。

「おっぱい、何㏄入れました?」鏡を使って胸を見せてくれた。おっぱいがあることに感動した。右に400㏄、左には150㏄のシリコンが注入されていた。

「本当は左を175㏄分豊胸してほしかったんですがね(笑)。『お母さんおっぱいすごくない?』と言うと、母親も全摘手術直後に胸があることに感動していました」

手術は1泊2日、1カ月後に芸能界に復帰した。

その時点では、小林さんは公表を迷っていた。職業柄、言わないほうがいいのかもと1カ月考えた。しかし、患者会で仲間と話し合って勇気づけられたことを思い出した。

「私が発信することで、同じような状況の人を救えることもあるのではと思いました。自分も話すことで元気を得られると思いました。乳がんを含めて『私』なのです。きれいな胸を手に入れられたことも、とても大きな自信になりました」

何事にもプラス思考 飾らずに、正直に

事前に所属事務所の先輩であるカンニング竹山さんに相談した。「いろいろな意見があるだろうけど、芸人は自分の生きざまを見せるのも仕事。俺はカッコいいと思うよ」と言われた。自分は間違っていないと確信できた。長文にわたるまじめながんのレポートがブログに掲載された。

反響は大きかった。

「励まされたという方々からたくさんのメールをもらいました。私も励まされました」

がんは〝芸の肥やし〟になったか。

「これまでは舞台でスベッたり、しゃべりで失敗したらどうしようとか、考え過ぎていましたが、何事もプラス思考になれました。いい意味でいい加減になれた。自分に正直に話せたり、飾らずありのままで仕事ができるようになれました」

がん検診への呼びかけを続けていきたいと言う。

「乳がんは早期に治療すれば怖くない。怖くて検診に行かない人がとくに若い人に多いけど、私のブログ読んで行ってくれた友人もいます。輪が広がればいいなと思う。私はがんを経験して前よりも元気になりました」

母・早苗さんにひと言。

「一心同体です。産んでくれてありがとう。恥ずかしくて言えないけど、母の子でよかった。娘ががんになったのは自分のせいだと思っているかもしれないけど、そんなことはありません。いつもたくさんのことを教えてくれてありがとう」

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