待ち構えて受け入れたがん 準備にも治療にも悔いはなし 父親に続く前立腺がん、全摘出を選んだ一橋大学元学長・石 弘光さん(77)
入院中からの克明な記録
放送大学学長として、様々な会議や講演で国内外を駆け回っていた。忙しいスケジュールをぬって、手術は2010年1月19日に決まった。入院と自宅療養を合わせて3週間で仕事に戻れると計算していた。
手術入院中、石さんは克明な記録をつけ続けた。来院の電車で話しかけられた同じ病院に向かうお年寄りとのやり取りや、病棟12階の部屋から見える東京の街並みから始まり、医師の細かな説明、病院から渡された分単位の日程表、手術の模式図まで、様々なことが記されている。この「日記」は退院後に、三次郎さんの闘病や自身のがんへの考えなどと合わせて『癌を追って ある貴重な闘病体験』(中公新書クラレ)として出版されることになる。
手術当日、冷静に手術室に入った。硬膜外麻酔と全身麻酔が使われた。9時に始まった手術は、2時間半ほどで終わった。この間の記録は、妻・真美子さんのメモが頼り。「順調に終わり、リンパ節への転移はなかった」とのことだった。摘出した前立腺も真美子さんに示された。4㎝×2.5㎝×3㎝ほどの大きさだったという。真美子さんは触ることは遠慮したが、実寸大のスケッチを描いた。術後の病理検査では病期TⅡcとされた。
歩行訓練中に倒れる
「手術後の数日間はつらかった」
さすがの石さんも、そう振り返る。尿道カテーテルに加え、お腹には2本のドレーン(排液管)、背中には硬膜外麻酔のチューブ、そして点滴もつけられたままだ。身動きもままならず、痛みも出てきた。
歩行訓練は手術後2日目から始まった。点滴スタンドにつかまって30mほど廊下を歩いたところで、目の前が真っ暗になり、突然倒れた。「もともと低血圧なのですが、麻酔のせいもあり、急激に血圧が下がったのが原因でした」
最高血圧が80㎜/Hgまで下がっていた。看護師らがストレッチャーに乗せて病室まで運んでくれたが、「あとで聞くと、ひと騒動だったらしいです。退院後は1つのエピソードとして笑顔で話しましたが……」
このあと、4日目にはドレーンが、5日目には硬膜外麻酔のチューブが外されるなど順調に回復していった。早朝の廊下の散歩で、病棟の反対側まで歩き、部屋からは見えない東京湾から上る朝日を眺めるのが日課となった。
手術から9日目には、最後のチューブである尿道カテーテルも外され、その2日後に退院した。
山登りで鍛えた体に感謝

さて、石さんが心配した尿漏れは、「排尿���誌」に自力排尿量や失禁量を記録するのだが、尿漏れはカテーテルを外してから1週間でストップした。通常1~3カ月かかると言われていたので、真美子さんと素直に喜んだ。石さんは、執刀した福井医師から言われたことを思い出した。「体を鍛えていらっしゃるから、肛門括約筋が発達している。尿漏れも短期間で解消するでしょう」
石さんは、中学時代から山登りとスキーに本格的に取り組んできた。入院直前にも真美子さんと長野県にスキーに出かけたほどだ。
そして、70歳を過ぎても週に2回はジムに通い、筋トレや水泳を行っている。これらスポーツの継続が尿道括約筋と繋がっている肛門括約筋の発達をうながし、尿漏れを短期間で克服することにつながったようだ。
「青春が山にありました。忍耐力と厳しさに耐えることが何にでも役立つ。今の若者には登山は人気がないようですが(笑)。
がんに対応するには、体を鍛えること。不摂生をせず、自分でコントロールすることの大切さをつくづく感じました」
若者よ 自己主張をしてはばたいて
一橋大学で教鞭をとっていたころは、指導の厳しさで有名だった。「ひどい目にあったという学生もいますよ(笑)。でも、今でも一緒にスキーに行く教え子もいます」
経済学での主張は、増税による財政再建。「国民に納税者としての自覚を持ってほしい。外国では、小学生のときから税の大切さが植えつけられるが、日本では逃げていますね。本来なら、政治家が国民を諭して、国の危機を訴えなければいけないのに、それを言わない。その中で、私は税調会長のときに増税を提言したのだから、随分いじめられましたよ」
〝学長〟は、若者にも一言申す。「今の若者は内向き志向ですね。留学して苦労したくないとか、国際社会で揉まれたくないなどと言って、いわば〝縮み思考〟です。私たちのころは、どんどん世界に出て羽ばたきたいという気持ちがありましたが。小器用にこじんまりとし、大人物がいなくなりました。気になるのは、人前で自己主張をしないこと。質問もしない。女性のほうが元気がありますね。男を鍛えなければという気がします」
「がんを追って」気付いたこと
「手術をして4年になりますが、今は『がんをこなした』と言っています。前立腺がんは卒業したと思っています」
自分で治療選択したことに、今でも自信を持っている。「がん患者も明るく、堂々と自分の病気のことを言う人が増えました。その前向きな気持ちで、文献もたくさんあるので自分で研究することですね。努力で根治を勝ち取ることしかない。体は自分で守るべき。医師は連係プレーでがんと闘うサポーター役です。術後にギブアップはありえません。総力戦です。気力・体力で頑張ることですね」
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