現実を受け入れて強敵と闘う 地球を救ったミラーマンのように がんを「インベーダー」と呼び、闘い続ける元特撮ヒーロー・石田信之さん(63)

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2014年8月
更新:2019年7月


胃がんを内視鏡切除 そして、抗がん薬投与

大腸がんの手術を受けてから日も浅い3月下旬。今度は都心にある虎の門病院本院で胃がんの退治作戦が練られた。

「医師に言われました。『大腸がんとは関係ありません。まだ早期なので、早めに処置してしまいましょう』。このときも落ち込みませんでした。医師の言葉の選び方もあるのでしょう。でも、周囲は相当気を使ったようで、お見舞いの人がなかなか部屋に入れずに看護師さんに付いて来てもらった知人もいました。扉を開けると、ピンピンな私の姿があってびっくりしていましたね(笑)」

内視鏡切除術は4月1日に行われた。「もしがんが浸潤していたり、リンパ節まで行っていたりしたら、肝臓の手術まで待って対処しましょう」

という前提だったが、浸潤は見られなかったと告げられた。

秋田から家出同然で上京 運命の出会い

生まれは秋田県。高校生のとき、警察官になりたいと病床の父親に言ったら、反対された。父は命の危険がある職業には……という親心だったのだろうが、「若気の至りで、高校2年生の夏休みに家を出ました」

東京に行き、芸能学校の生徒募集の告知を見て、応募してみたら4倍ほどの倍率を勝ち抜いて合格した。「入りはしましたが、何もできなくて。成績がロビーに貼り出されるのですが、いつも下から2番でした。そんなとき、どのような経緯かわかりませんが、歌舞伎の中村芝鶴先生から『今度舞台をやってみなさい』と言われたんです」

世界が変わった。どんな役だったかも覚えていないが、無我夢中で演じていると、テレビ映画を製作していた東映関係者の目にとまり、青春ドラマ「柔道一直線」の脇役に起用された。さらにある日、大手広告代理店に用事があって出かけたとき、ある人物とすれ違った。

「新番組『ミラーマン』のキャスティングを任されている人だったんです。後で聞いたのですが、すでに主役が決まっていたのに私の姿を見て『主役は、あの子にして』と言ったそうです。それで決まった。不思議なものですね」

1971年、20歳のことだった。

「ミラーマン」の主人公を演じたころ

青春ものから時代劇、サスペンスまで幅広く活躍(1986年、土曜ワイド劇場「京都不倫旅行殺人事件」)

重厚な「ミラーマン」 さわやかに演じる

「ミラーマン」は地球を侵略しようというインベーダーが次々と怪獣を送り込み、石田さん���じる鏡京太郎がミラーマンに変身して、それを退治するというストーリー。現在のヒーローものとは少し違って、京太郎の心の葛藤を描いたり、インベーダーの怖さが強調されたりとハードな作品だった。

「映画が斜陽時代に入ったので、映画のスタッフがテレビに流れてきました。映画撮影のような雰囲気で、現場は怖かった。私も役作りに悩みました。そんなころ、監督が『君の好きな芝居をしなさい。それが君だ』と声をかけてくれて、吹っ切れました」

重厚な作品の中、主人公には爽やかさが求められた。石田さんはその爽やかさをカメラが回っていないときにも発揮し、現場のムードメーカーともなった。

作品は評判を呼び、平成になって続編が作られるなど特撮ヒーローもののエポックメーキング的な位置づけをされている。

その後は推理ものから時代劇まで幅広い役を演じ続けてきた。

抗がん薬で肝臓のがんを小さく そして摘出手術へ

さて、胃がんの摘出に成功した石田さんだが、大腸がんの肝転移というインベーダーが残っている。医師の方針は、抗がん薬でがんを縮小した後に外科手術を行うことだった。抗がん薬については副作用の説明を丁寧に受けた。

「ミラーマンにディフェンスミラーという防御や反撃に使う技があるのですが、抗がん薬のイメージを重ねています。DVDをもらって副作用について勉強しましたが、実際に服用してみると、吐き気などはありませんでした。あるとしたら、冷たいものを触ったときのしびれくらいでしょうか」

治療の効果を見ながら、手術のスケジューリングに入る。

それでも続ける俳優業 伝えたいこと

「がんを悲観しなかったのは、それで仕事ができなくなるわけではないということです」

その言葉通り、精力的な活動が続いている。10月には舞台があり、11月には自身が脚本と演出を手掛ける芝居が待っている。

「私は俳優しかしたことがないし、ほかにやるものもありませんから、40数年間やってきたと思います。とにかく、続けること。好きこそものの上手なれ、で。学芸会は誰でもできますが、その先の次元の高いところでは才能だけでなく努力が必要です。芸能学校での講義でいつも話すのは、『基礎がなければその先はない』ということです。発声や呼吸の練習は皆嫌がりますが、それをしないと先は望めない。富士山も土台がしっかりしているから美しいのです」

悩める若者から相談されるときにはこう言う。

「出来なかったら、悩む前に考えろ。悩んでも何の結果も出ない」

今、発信したいメッセージを聞いた。

「今回の闘病で得た教訓は、『絶対に我慢しないこと』。そして皆さんには、1年に1回は必ず健康診断を受けることをお勧めします。そして、家族の協力がもらえるならそれが一番。病院に行くとなっても、家族の中で一番楽天的な方と一緒に行ってもらうといいですよ(笑)」

「好きこそものの上手なれ」と笑顔で語る石田さん
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