がんを経験したからこそ、自分自身の生き方に確信を持った 大腸がんと後遺症の腸閉塞を経験したシンクタンク社長で作家の青山繁晴さん(62)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2014年9月
更新:2018年3月


腸閉塞に違いないという確信

2013年、米国での講演会で。通常の業務の傍ら、青山さんは日本国内にとどまらず、世界各国で講演活動を行っている

青山さんが激しい腹痛に襲われたのは退院から間もない3月のことで、大阪のホテルに滞在していたときだった。繰り返し押し寄せる嘔吐に耐えかねた彼は救急車を呼んでもらい、信頼する医師がいる救急病院に運んでもらった。

この時点で彼は腸閉塞ではないかと思っていたが、医師の診たては違った。「手術のあとに頻出する痛みで、腸閉塞ではないと言われたんです」

そのとき処方された座薬の痛み止め(鎮痛薬)で激痛が治まったので、新幹線で帰京。翌日彼は手術を受けた病院を訪ね、執刀医の診察を受けた。しかし、ここでも「腸閉塞ではありません。様子を見ましょう」とのことだった。再度激しい腹痛と嘔吐に襲われたのは、その2日後のことだ。

「出張先の長野のホテルで寿司を食べたあと激しい腹痛に襲われたんです。嘔吐が止まらなくて、白い泡状のものが止めどなく出てくるんです。経験したことのない激しい嘔吐でした」

それでも、翌日の日曜日は昼にテレビ朝日の「サンデースクランブル」に出ることが決まっていた。生放送の番組なのでドタキャンは許されない。青山さんは座薬の鎮痛薬を挿入して新幹線で帰京。テレビ番組への参加を何とかこなした。

自宅に戻ったあとも、腹痛と嘔吐は止まらなかった。それどころかますますひどくなる一方だった。

翌日の月曜日も、関西で講演会が2つ予定されていた。しかし青山さんは、講演会のドタキャンは主宰者と聴衆に迷惑がかかり過ぎると考えた。激しい腹痛と嘔吐の中、朝8時になるのを待って青山さんは自宅近くで開業している医師に電話を入れた。事情を話してすぐに診てもらうと、医師は「間違いなく腸閉塞です。(大腸だけでなく)小腸に至るまで、パンパンに腫れ上がっています。小腸はいつ破裂してもおかしくない状態です」と告げた。

それを聞いても青山さんは聴衆らに迷惑をかけないという決心を変えなかった。自分の病状よりも、頭の中は午後2時に兵庫県・尼崎で開催される講演会のことでいっぱいだった。

「講演に行けば小腸が破裂しますよ」

この日予定されていた講演は、尼崎のものと夜に開催される別のものと2つあった。そのうち夜に開催されるほうは事情を話し、延期することができた。しかし尼崎での講演はキャンセルできない理由があった。

主宰者側の熱心な担当者から、レギュラー出演している番組でも講演会のことを告知して欲しい��依頼され、前週放送された番組の終わりに「(大腸がんの手術は終わったので)僕の無事を確かめたい方は、どうぞ講演会にいらしてください」と告げた経緯があったからだ。

青山さんは医師に「どうしても昼過ぎに尼崎に行かなくてはならないのですが」というと、医師からは「青山さん、あなた死にますよ。小腸が破裂して」と言われた。それでも青山さんの考えは変わらなかった。「テレビで来場を仰ぎながらキャンセルすることは仁義に反します。痛みだけを何とか和らげてくだされば行けます」

すると、その医師は執刀医である病院の副院長に電話を入れて善後策を相談。講演して帰京後、すぐにそのまま手術を受けた病院に入院するという方針が固まった。

痛み止め4本をわずか1時間で点滴投与し終わったとき、すでに午前10時を回っていた。青山さんはその後すぐさまタクシーで羽田空港に行き、尼崎の講演会場に滑り込んだ。

講演の冒頭、彼は聴衆に、「実は半月ほど前に大腸がんで手術をしまして、そのあと腸閉塞になったものですから、講演中に激しい痛みに襲われるかもしれません。申し訳ありませんが、最後まで講演出来ないかもしれませんが、お含みおきください」と伝えてから話を始めた。

結局予定より40分超過して2時間以上話し続けたのに、その間1度も痛みに襲われることはなかった。

しかし、その後、帰京する新幹線の中で、青山さんは地獄の苦しみを味わうことになる。「気が緩んだせいだと思うんだけど、また激しい腹痛と嘔吐に襲われたんです。車掌さんに来てもらい、事情を話してトイレにこもり、便器に顔を埋めて白い泡状の吐瀉物を吐き続けました」

品川駅に着くと、青山さんはそのまま手術を受けた病院に向かった。執刀医である副院長は、再手術だけは避けてほしいという青山さんの希望を聞いて、薬剤による治療を選択。すると、それが功を奏し、翌日には腹痛も嘔吐も嘘のように消え去った。

がんで確かめられた自分自身の生き方

愛犬のポメラニアン、繁子ちゃんと一緒に

こうして腸閉塞との闘いも山場を越え、その後は手術のひどい後遺症に苦しむようなことはなかった。腸閉塞の体験を振り返って、青山さんは次のように語る。

「痛みと嘔吐で七転八倒している間も、頭の中を支配していたのは、小腸が破裂するかもしれないという心配ではなく、講演で倒れたら主宰者だけでなく、せっかく集まられた聴衆の皆さんに迷惑をかけるんじゃないかという心配でした。

体はどんなにつらくても、心のほうは芯がしっかり定まっていて、刀を抜くのではなく、刀を脇に置いて泰然としているような感覚がありましたね。周りから見ればとんでもない無理をしているように見えたでしょうが、僕自身はそんな感覚はなく、普通に淡々としていました」

死を超克する道のりで、私を脱するという境地を実践した青山さん。私を脱して人のために生きること、それが今の仕事全てに繋がっており、そのことと無関係な仕事はないとさらりと語る。

がんを経験したからこそ、自分自身の生き方に確信を持った――、青山さんの表情からは揺るぎない自信のようなものが窺えた。

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