がんで立ち直るたびに生きる自信を持てるようになった 大腸がん、膀胱がん、食道がん、胃がんを経験しながらも、芸能界の第一線に立つ俳優・歌手の黒沢年雄さん(70歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2014年11月
更新:2019年7月


坊主頭になったことで深刻な風評被害

この大腸がんの手術を機に、黒沢さんはこれまでとは違う「第2の黒沢年雄」を見せてやろうと決意した。しかし、すぐに新しい仕事が次々に舞い込むような展開にはならなかった。坊主頭にしたことで、実際は治療していないのに「抗がん薬をやっている」「先が長くない」など、あらぬ噂が立ち、風評被害に苦しむ状態がしばらく続いたからだ。

しかし、その状況が一変したのは、手術から5年目の平成9年(1997年)のことだ。その年の秋に始まった『踊る!さんま御殿!!』に出演するようになり、ちょっと天然ボケしたキャラクターがお茶の間に大受けするようになったのだ。

それまで「映画俳優」としてキャリアを積んできた黒沢さんが、いきなりバラエティ番組に出演したことは、視聴者にとって大きな驚きだった。

どうせ1度は死を覚悟した身。つまらないプライドは捨てよう、全ての自分を見せよう――。黒沢さんの新たな才能が花開いた瞬間だった。

友人医師の勧めでわかった膀胱がん

黒沢さんの2つ目のがんである膀胱がんが見つかったのは2008年のことだ。発見のきっかけになったのは血尿だが、それがすぐにがんの発見につながったわけではなかった。

「血尿が出たのは6月なんですが、かかりつけの医師に診てもらったら『異常なし』と言われたんです。しかも血尿は1度あっただけで、そのあと全く出なかったんで、自分では過労で血尿になったんだろうと勝手に解釈していたんです。それでも膀胱がんの発見に至ったのは、ゴルフ仲間に泌尿器科の専門医で大学病院のH教授がいて、1度血尿が出たあと、ずっと出ていないことを話したところ、『1回で血尿が止まってしまうのは、かえって良くないこともあるので、CT検査を受けたほうがいい』とアドバイスされたからなんです」

助言に従ってCT検査を受けたところ、膀胱の2カ所にがんがあることが判明した。

不幸中の幸いだったのは、どちらも膀胱の表層に限局している悪性度の低いタイプだったことだ。内視鏡で切除してしまえば完治が見込め、抗がん薬や放射線で治療する必要がなかった。

黒沢さんはすぐに入院して、内視鏡でがんを切除する手術を受けた。手術は1時間もかからずにあっけなく終了。術後5日目に退院の運びとなった。

膀胱がんが厄介なのは再発する可能性が高いことだ。2年以内に再発する割合が5~6割あるため、退院後も頻繁に検診を受けないといけない。黒沢さんも病院に足繁く通ってチェックを受けたが、幸い再発の兆候が見られないまま、6年が経過した。

がんの当たり年になった2013年

黒沢さんが3つ目と4つ目に経験したがんは食道がんと胃がん��ある。どちらも見つかったのは昨年のことで、1年間に計4回の手術を受けるハメになった。

食道がんを告知されたのは年明け早々のことである。幸いがんは粘膜層に留まっているごく早期のものだったため、内視鏡で切除するだけでよく、がん専門病院に数日入院して内視鏡で切除してもらった。

その3カ月後には、食道の別のところに微小ながんが見つかり、これも同病院で摘出してもらった。

夏場には胃に1コンマ何ミリと、0コンマ何ミリという微小ながんが見つかり、同病院で内視鏡による摘出手術を受けた。

秋には、胃の別のところに新たながんがあることが判明。胃の粘膜下層に浸潤している可能性があるため、医師から腹腔鏡下手術で胃の4分の3と周辺のリンパ節を切除することを勧められた。

黒沢さんはそれに難色を示した。「胃の4分の3を取ってしまうとガリガリに痩せて顔が変わってしまいます。3分の1の切除なら問題はないので、切除範囲をその程度にしてほしいと要望したんです。そしたら医師も承諾してくれて、12月に手術を受けました」

このように黒沢さんは古希を目前にした昨年、1年間に2つのがんを経験し、4回も手術を受けた。年齢を考えれば、かなり肉体的、精神的につらい思いをしたのではないかと想像してしまうが、ご本人はそんなこちらの危惧を一笑に付した。

「4回の摘出手術のうち3回は内視鏡によるものです。これはちょこっと病院に行ってイボで取ってもらうようなものです。最後に受けた腹腔鏡下手術も開腹手術に比べればダメージは格段に少なかったので、昨年1年間、がんに苦しめられたという思いはまったくないです」

力一杯感謝して、楽しんで生きる

4つのがんを経験したことなど微塵も感じさせないほど、黒沢さんの口調は明るい。取材後、黒沢さんご本人から編集部にメッセージが届いた。

「母の死から人生を力一杯思い切り生きてやろうと決め、無茶苦茶人生を楽しんで生きてきた。皆さんのお陰で有名になり、充実した人生を送っている。それにがんで立ち直るたびに元気になり、生きる自信を持てるようになった。それは〝つらい〟〝苦しい〟を楽しんで生きてきたご褒美だと思っている。力一杯感謝して、楽しんで生きる。最終的には、死んだらいくらでも休める。これが僕のモットーである」

そのとき、その瞬間を常に思いっきり、楽しんで生きてきた黒沢さん。その生き方はがんを経験した今も変わらない。これからどんな黒沢さんの姿が見られるのか、楽しみは尽きない。

学生のころの野球部時代。一時はプロ野球選手を目指すほど熱心な野球青年だった(黒沢さんは2列目左端)

がんで立ち直るたびに元気になり、生きる自信を持てるようになったと話す黒沢年雄さん
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