大腸がんのステージⅣ がんとの付き合いはもう9年になります 直腸がんの肺転移、肝転移になりながらも、ニュースの職人であり続けるジャーナリスト鳥越俊太郎さん(74歳)
中咽頭にがんの疑い?
それからしばらくは、何事もなく過ぎたが、肝転移の手術を受けた翌年の2010年秋に、新たながんの疑いが浮上した。胃カメラ(内視鏡)を食道に入れて、NBI(狭帯域光観察)という新しい高精度の装置で調べた結果、食道に異型上皮、さらに中咽頭にがんの疑いが出てきたのである。
「大腸がんの転移なのでしょうか?」
鳥越さんは医師に尋ねた。しかし医師からは、「それはない」との返答。あるとすれば、新たながんの可能性だという。
肝臓への転移で、がんとの付き合いはひと段落したと思っていたのに、がんはそう簡単には解放してくれない。元患者ではなく、やはりまだ現役のがん患者だと、鳥越さんはしみじみ思ったという。
医師は、とりあえず様子を見ていこうということで、半年後の「2011年の4月ごろに再度検査してみましょう」と提案したが、鳥越さんはなるべく早い時期に、胃カメラと生検をやってもらえるよう要望した。新たながんなのかどうか、いち早くその有無を知っておきたかったのだ。
翌2011年の年明け早々、鳥越さんは内視鏡で中咽頭と食道にある異型上皮とおぼしき組織を切除し、採取された組織は病理医に回された。
その1週間後に出た結果は「異型上皮ではなく、単なる炎症による上皮の変化」だった。肩透かしを食ったような結果に、鳥越さんはその年の6月に刊行した著作『がん患者』(講談社刊)の中で「この結果、うーん、何か複雑。あのNBIという新兵器のおかげだよ、心配させやがって」と偽らざる心境を吐露しているが、その一方で、ホッとした気持ちもあったようで、最後は「ま、疑いが晴れて、これでいいか!」と結んでいる。
肝転移手術から今年で5年経過

その後もCT検査やエコー検査で肺や肝臓に疑わしい影が見えることがあったが、PET検査などで何でもないことがわかり、転移も新たながんも見つからないまま時間が経過。今年(2014年)2月10日には、肝臓の手術を受けてからちょうど5年が経過した。いわゆる世にいう「5年生存」という1つの関門をクリアしたことになる。
「直腸がんから、肺、肝臓と、転移が想定されるところにはいったので、これで取りあえず一段落という感じです。脳とか骨とか、他の部位に転移する可能性も考えていましたけれど、検査をしていく途中で、1度もその兆候はなく、今に至っています」
これまで、4度の手術を受けている鳥越さんだが、治療を振り返ってこう語る。
「手術できることは幸せでした。がんの治療法には抗がん薬や放射線治療もあるけれど、根治を��指すには手術が1番ですから。手術ができるというのは本当にラッキーなんだとつくづく思います」
がんで知った家族のありがたさ
2005年の直腸がん発見から9年――。病気がわかってから、常にがんと向き合ってきた鳥越さんだが、がんになって1番精神的につらかった時期はいつでしたかと尋ねると、単刀直入な答えが返ってきた。
「今思い返しても、ものすごく落ち込んだり、不安でいっぱいになるようなことはなかったですね。以前から僕は、人間なるようにしかならないと思っていたので、直腸がんになったときも、時が来れば誰だって死ぬんだからジタバタしても始まらないという気持ちでした。もう1つ大きかったのは、がんになってから、常に患者としての僕と、取材者としての僕がいて、がんに対する好奇心が、つらさや痛さを忘れさせてくれたことも落ち込まなかった大きな要因になっていたんじゃないかと思います」
そして、がんになったからこそわかったこと、教えられたことがあるという。
「がんが、『家族の値打ち』というものを教えてくれました。がんになるまではまかり間違っても、自分が妻や娘たちに助けてもらうことがあるとは思ってもいませんでした。自分が常に家族を支える立場に居続けると思っていたんですね。それが、自分ががんになると、家族が見舞いに来てくれたり、手を握ってくれたりして……。いろんなことでホッとした時間を持つことができました。そういう意味では、違った関係になったと思いますね」
古希は過ぎたものの、鳥越さんは健康そのもの。2年前には72歳でホノルルマラソンに出場、見事完走してみせた。チャレンジ精神旺盛で、ときに茶目っ気たっぷりに話す鳥越さん。がんになって〝自分の時間〟というものを意識したからこそ、その後の生き方は、より一層彩りを増しているように見える。


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