声が出ない日々――。廃業の恐怖と隣り合わせでした 喉頭がんで一時的に声を失ったものの、見事「笑点」に復帰した落語家の林家木久扇さん(77歳)
テレビ越しの「笑点」に複雑な思い
無事治療は終わり、がんは消えたものの、声が出る兆しは全く見られない。精神的にも不安定な状態が続いた。
「これは恐怖でしたね。この状態がずっと続けば僕の芸人人生は終わってしまうわけですから。とくに自分の出ていない『笑点』をテレビで見ているときは複雑な気持ちでした。僕の所だけ座布団が敷かれたまま誰もいないわけですから。みんなが面白いことを言っているのに、僕はちっとも笑えませんでした」
しかしそういった中でも周囲は、木久扇さんの仕事復帰に向けて準備を進めていた。
「『笑点』のプロデューサーの方が、『メレンゲの気持ち』という番組も担当していて、そこに出て欲しいと依頼があったんです。ただ僕が『声は出ませんよ』と言ったら、せがれの木久蔵と一緒に出て、『笑点』で好楽さんがやったように腹話術をしながら、司会の久本雅美さんと15分ほど話して欲しいと……。それはそれで面白いかなと思い、出ることにしたんです」
無意識に出ていた「おはよう」の声
しかし、番組収録の前日、〝奇跡〟のような出来事が起きる。何の前触れもなく声が出たのだ。
「我が家では毎朝、おかみさんがいつも『お父さん、おはよう』と言うので、僕も『おはよう』と返すのが習慣みたいになっているんです。でも声が出なくなってからはそれが出来なくなっていました。その日の朝もいつも通り、『お父さん、おはよう』っておかみさんに言われたので、『おはよう』と返そうと思ったら、ごく自然に『おはよう』って声が出たんです。条件反射的に出たので、自分でも気がつかなかったのですが、向こうがびっくりして動きが止まったので、わかりました。
おかみさんは『私、結婚してからこんなに嬉しかったことない!』って手放しの喜びようでした」
木久扇さん自身も突然のことでびっくりしたという。
「声が戻るという予感は全くなかったので、すぐにピンとこなくて、嬉しさというより驚きのほうが大きかったですね。前の晩もようやく聞き取れるぐらいの感じで『おやすみ』って言っていたほどですから。そして時間が経つにつれて、『あ~大丈夫だ。声を取り戻せた。これで仕事も再開できる、笑点にも戻れる』と実感が湧いてきました」
皆が待ち望んだ「笑点」への復帰

それから5日後、木久扇さんは家族と弟子たちに見送られて、「笑点」の収録が行われる後楽園ホールに向かった。
「楽屋に着く���入り口で好楽さんが泣きながら待ってくれていたんですよ。『戻ってくれてよかった。ダメだよ、病気になっちゃ』と手を差し出してきたので、がっちり握り返しました」
その後、木久扇さんは桂歌丸さん以下、共演者や番組スタッフに挨拶回りを済ませ、収録に臨んだ。
実はこの日の収録から木久扇さんが復帰することは、観客には知らされていなかった。そのため、挨拶の順番が木久扇さんにくると、客席からはウォーっとどよめきが起き、割れんばかりの拍手が起こった。木久扇さんは「たくさんの拍手ありがとうございます。元気になって戻って参りました木久扇です」と頭を下げると、再度大きな拍手が巻き起こった。
濃く生きることに気がついた
今回のがんを通して気づいたことは何かと尋ねると、木久扇さんからはこんな言葉が返ってきた。
「もっと濃く人生を生きないとダメだと思いました。今回のがんになる前は、疲れたらすぐ寝てしまったり、お酒で紛らわしてしまったりしていたのですが、もっと時間を濃く使えば良かったなと思っています。今は一切お酒を飲まなくなったので、1日中素面じゃないですか。すると色んなアイデアが思いつくんです」
木久扇さんといえば「ラーメン」でも有名だが、療養中に木久扇スパゲッティを考案したとか。他にも現在全国の学校を回って小中学生に「学校寄席」を行い、落語の楽しさを子どもたちに広める活動も積極的に行っているという。
「胃がんも命と隣り合わせの病気で、余命を考えたりしましたが、今回の喉頭がんは廃業の恐怖と隣り合わせでした」
その恐怖を乗り越えたからこそ、木久扇さんは、噺家として新たなことに挑戦し続けているのかもしれない。77歳にして現役バリバリ。今年で50周年となる『笑点』でも、その姿が見られることを楽しみにしたい。
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