思いのほか進行していた病。それでも彼は、這い上がってきた 42歳の若さで浸潤性膀胱がんと激戦を強いられた元世界ミドル級王者の竹原慎二さん(43歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年3月
更新:2018年3月


膀胱温存の可能性を求めて

まず訪ねたのは北関東にある大学病院だった。竹原さんは温存の可能性を求めて、重粒子線治療が受けられないか尋ねると、応対した医師は「重粒子線では無理です」とはっきり言った。腫瘍が小さい割に粘膜の表層に上皮内がん(CIS)が広がってあるのと、がんの悪性度が高いことが、無理な理由だった。

次に訪ねたのは温存治療で実績をあげている都心の大学病院だった。応対した医師は画像資料を検討したあと、「膀胱の温存は難しい」との見解を伝えた。それだけでなく、その病院では、竹原さんのように上皮内がんが多く散らばっている状況では新膀胱造設術を行わず、ストーマをつける回腸導管という術式で尿路再建を行うことになること、また患者数が多く、手術ができるとしても半年以上待たなければならないことを伝えられた。

リンパ節転移が発覚

病院のベッドで、アフロヘアの竹原さん。「お見舞いに来てもらった仲間には本当に元気をもらった」

落胆した竹原さんは、元の病院に戻って「膀胱全摘+開腹による新膀胱造設術」による手術を受ける腹を固めた。

しかし治療開始直前になってジムの共同経営者である畑山隆則さんが、良い病院があるから1度話を聞きに行って欲しいと竹原さんに強く勧め、竹原さんは都心にある別の大学病院を訪れた。

話を聞いたところ、そこの病院では膀胱がんで「ダヴィンチ」を使った手術は始まったばかりで、まだ1人しか受けていないが、臨床試験に参加する形で受けられる可能性があるとのこと。術前の抗がん薬治療は2クールで、がんが縮小すれば手術が実施されるという。そして何より、その医師と話をすると、竹原さん自身落ち着いて色々なことを聞くことができ安心して任せられると、最終的にはこの大学病院で治療を受けることを決めた。

それと同時に竹原さんは、最初に診てもらったクリニックの医師を通して、右鼠径部のリンパ節に転移があることを知る。

「最終的に治療を受けようと決めた大学病院の先生にレントゲン画像を見てもらったら、『(リンパ節転移は)間違いないですね』と言われました。ステージはⅢだと。ここまでいったらもう駄目だろう、死ぬんだろうなと思いました」

竹原さんはすぐにその病院に入院、治療を開始した。はじめは、シスプラチンとジェムザールを併用する2クールの抗がん薬治療である。

投与中は副作用で言いようのない倦怠感に襲われソファーに横になっていることが多くつらい��々が続いたが、腫瘍はどんどん縮小。手術は6月12日に行われることになった。

シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ ジェムザール=一般名ゲムシタビン

術後の痛みに悶絶

術後の体の状態。竹原さんは傷口が小さい「ダヴィンチ」によるロボット手術を選択した

朝9時に始まった手術は、夜10時近くまでかかるという、大がかりなものとなったが、手術は無事成功。術後の病理検査の結果、リンパ節に転移していたがんも消失していることがわかった。とはいえ、術後の痛みは想像を絶するものだった。

「痛みは相当なもので、とくに術後3日目くらいまでは地獄でした。術後はカテーテルが留置されて麻酔薬が持続投与されていたのですが、あまり効かなかったんです」

新膀胱造設術の優れている点は、回腸導管のようにストーマの装着を必要としない点にある。ただし尿意を催さなくなるので、定期的にトイレに行って代用膀胱に溜まった尿を排出しないといけない。

「しばらくダダ漏れ状態が続いて、オムツをつけざるを得なかったんで、ホント、半端じゃなくつらかったです。今はある程度尿を溜められるようになりましたが、2時間おきにトイレに行って溜まった尿を排出しなければなりません。夜も目覚まし時計をかけて起きていて、たまに寝過ごすと、パットに漏れ出してしまう状態です」

「有意義な病気にしたい」

精神的につらかった時期はいつだったのだろうか。

「がんを告知されてから抗がん薬治療をするまでもきつかったし、手術が終わって病理検査の結果が出るまでも、精神的には相当つらかったです。どの治療法にするか色々調べて、この治療法だったら良いのではと、希望を持って病院に行くのだけれど、ことごとく『無理です』と言われて、病院からの帰りはいつも泣いていました。それに、手術が終わって、もしリンパ節にがんが残っていたら、自分自身もうダメだと思っていたので、病理検査の結果で大丈夫だったことを知って、かなり精神的にも救われました。もし結婚していなかったら投げやりになっていたと思います。女房がいて支えてくれたから、最後まで治療を続けることができたんです」

ジムの経営者、マルチタレントとして、新しいビジョンもしっかり描いており、やってみたいことを尋ねると止まらなくなる。その口調には、少し前まで大病で苦しんだことをみじんも感じさせない力強さがある。

「病気になって、色々なことに対して優しくなることができました。このまま命が助かるのであれば、これからは色々な人のために頑張ろうと思っています」

支えてくれた家族、友人のためにも、今度は自分が人のために何かしたいと話す。

「有意義な病気にしたい」

竹原さんからは、そんな力強い言葉も口に出た。今後は一回りも二回りも大きくなった竹原さんの姿が見られそうである。

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