4度のがんからの生還――。自分にしかできない「がんコント」を 元ゆーとぴあホープ 大腸がん、肺がん、胃がん、小腸がんを経験し、お笑いの舞台に戻ってきた芸人・城後光義さん(65歳)
入院先から浅草演芸場の舞台へ
都内の総合病院に入院したのは12月下旬のことだが、それから1月2日までは仕事のことで頭がいっぱいだった。お笑い芸人のスギちゃんとコンビを組んでテレビ東京の『新春!お笑い名人寄席』に出演することが決まっていたのだ。がんが見つかっても仕事をキャンセルしなかったのは、最後のステージになるかもしれないという思いがあったからだ。
1月2日に浅草演芸場で行われた本番では、絶妙のタイミングで「ゴムぱっちん」が弾けて爆笑を誘い、城後さんは存在感を見せつけた。キレのある動きで舞台の上で弾けている城後さんを見て、周囲のスタッフは驚いたという。

手術が行われたのはそれから2週間後の2014年1月16日のことだった。前日に担当医から手術に関する説明があり、小腸がんは非常に稀ながんであるため、担当する医師も手術を担当するのはこれが初めてだということだった。
手術時間は8時間の予定だった。それだけでもリスクがあるのに、執刀する医師にとっても未知の領域の手術ということで、予期せぬことが起きればさらに時間がかかることは必至である。城後さんは生きて還れぬこともあると覚悟しつつ手術を迎えた。
TS-1の副作用に苦しみ中止を懇願
様々な不安要素はあったものの、手術は無事に終了。大きな安堵感に包まれたのも束の間、術後は激しい痛みに襲われた。
「術後3日間は地獄の苦しみでした。スイッチを押せば注入される痛み止めのカテーテルが留置されていたので、それを押しっぱなしの状態でした」
痛みが落ち着いてきたころ、病理検査の結果が出た。懸念された小腸がんのリンパ節転移は見られなかった。
術後、担当の医師からは再発予防のために半年間、経口の抗がん薬を飲むよう勧められた。使われたのは*TS-1である。
覚悟はしていたが、服用を続けていくうちに副作用に苦しむようになった。とくに食べ物などのにおいに反応して吐き気を催すことが多く、胃が口から出てくるような激しい嘔吐が頻発した。
「あまりにつらくて、担当の先生に『もう飲まなくてもいいですか』って懇願したことがあったのですが、『あなたの体のことだから、やめるのは構わないけど、再発のリスクが高くなりますよ』って突き放すんです。そう���われると、ここは飲み続けるしかないと思い直しました。結局最後まで飲み続けたので、先生からは『城後さんは、結構いい加減なようで優秀な患者さんですよ』って褒められました(笑)」
*TS-1=一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム
タブーに切り込む「がんコント」を
体力を早く回復したい城後さんにとって、最大のネックは思うように食事をとれないことだった。胃が半分以下になったため、美味しいと思ってカレーライスを食べると、つい食べ過ぎてもどす羽目になった。また1本のラーメンを吸い切ることができず、ハサミで短く切って食べていたこともあった。それでも少しずつ食べる量が増えてくると、多少体力が回復してくる。動けるようになると昼はパチンコに足繁く通うようになり、夜はスナックに出かけてしばし夜遊び気分を楽しんだ。
こうなると仕事への意欲も湧いてくる。6月下旬には『ゆーとぴあホープ奇跡の生還LIVE』が新宿のゴールデン街劇場で催された。このライブで舞台に復帰した城後さんは、中村ゆうじさん、西田ぼんさん、ゲストの女優陣たちと、下ネタ満載のコントを行って好評を博した。さらに8月にはお弟子さん4~5人と一座を組んで、ストリップ劇場で幕間にステージに立ち、コント嫌いが多い大阪の客の前で、昔の昭和のコントを次々に行った。これが予想外の大きな笑いを取った。
「がんをテーマにしたコントをやったんです。『人間いつか死ぬんだよ。皆さんだってそうだよ』って。そしたらお客さんが『頑張れよ』と拍手をしてくれたんですよ。がんを茶化すのではなく、とはいえ変に暗くなってしまうのではなく、自分が経験したからこそできるコント、他の人ができないもっとタブーに切り込んでいくコントを、今後は行っていきたいです」
病気になったからといって、変に禁欲的、道徳的になる必要はない。抗がん薬の影響で、においに敏感になった城後さんだが、ストリップ劇場での女の香りはよかったと笑い飛ばす。
「がんになったからって、変に道徳的になるのではく、もっとがん患者だって色気が必要です! がん患者をストリップ劇場で集めて何かやるとか、そういったイベントがあってもいいと思っています(笑)」
4度のがんを経験して、価値観が大きく変わったと話す城後さん。趣味は「生きること!」と断言する。自らが経験したからこそできる強みを活かして、がんのタブーに切り込んだコントをこれからどんどん見せてくれることを期待したい。
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