ホルモン薬でも副作用はある。ためらわないで、相談してもいいのだよ 乳がんホルモン療法の副作用でうつ状態も体験したと語るジャズピアニストの国府弘子さん(55歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年6月
更新:2019年8月


ホルモン薬の副作用で耐え難い疲労感に

乳がんが確定診断するとすぐにホルモン療法を始めた国府さんだが、最初に服用したのは、ノルバデックス(抗エストロゲン薬)だった。だが、薬を飲み始めて3日目位から、異変を感じるようになる。起きたときのだるさと疲労感は想像以上で、今まで普通にできていたことがスムーズにできなくなってしまったのだ。家の絨毯に寝転んで過ごす時間も多く、とにかく体がしんどい状態が続いた。ただ、それでもノルバデックスを止めようと思ったことはなかった。

「抗がん薬は大変ということは聞いてはいましたが、ホルモン薬でこんなにも大変ということは聞いたことがなくて、自分では我慢するしかないと思っていました」

それでも、決まっている仕事に穴を開けるわけにはいかない。家では、ほとんど横になっている状態だったが、仕事はこれまで通り行う日々が続いた。そんなとき、たまたまあるテレビ番組で、同じ乳がんのアグネス・チャンさんが、ホルモン療法の副作用について語っているのを聞いた。

「ああ、自分だけではないのだ、と涙が出ました。ホルモン療法に副作用はないと言われる中で、例えば芸能系の職種のような、大勢の人を相手にする、いわゆる〝気分をアップ〟させることが必要な人にとってはつらい治療なのかも、と勝手に共感して(笑)。何度も録画を再生し、励まされました」

周囲からは、「早期がんで良かったね」と励ましてくれる人もいたが、ありがたいとわかってはいたものの、そう言われるとかえって気持ちは落ち込んだ。早期のがんにも関わらず、薬がつらいのは「自分が甘いせいかも」という自己嫌悪につながった。しかし、決してそうではない、正直に自分の状態を主治医に報告し相談することは必要なこと、と思えるようになったという。

ノルバデックス=一般名タモキシフェン

ホルモン薬の種類を変更

ノルバデックスを飲み始めて1年後、国府さんは主治医に薬を替えたいと相談した。

「主治医の先生が1度コンサートに来て下さったことがあったのですが、ある日の診察のとき『舞台でモチベーションを上げるのは大変ですね』と言って下さったのです。そのとき、思い切って『この薬はちょっと私には合わないみたいなのですが、他の薬はあるのですか?』とうかがいました」

主治医は演奏家の国府さんがつらい思いをしていることに理解を示し、ホルモン薬をアリミデックス(アロマターゼ阻害薬)に変更してくれた。

「先生のお話では、アリミデックスを初めから使う選択肢もあったそうです。でもアリミデックスは副作用で関節痛が出る恐れがあるので、ピアニストの私には使わなかったと説明して下さいました」

服用を始めても、しばらく痛みは出なかった。しかし、続けているうちに徐々に痛みのようなものが出てきたので、国府さんは主治医と相談し、飲み始めて3年ほど経った13年10月、今度は薬をアロマシン(アロマターゼ阻害薬)に変更することになった。しかし、この薬は国府さんには全く合わず、結果的に副作用として激しいうつ症状が出ることになってしまう。

アリミデックス=一般名アナストロゾール アロマシン=一般名エキセメスタン

薬が合わず、うつ状態に

「アロマシンは体や関節よりも気持ちにきてしまったのです。朝起きた瞬間、すごい絶望感に襲われるのです。そのころは客観的に自分を見ることができませんでした」

アロマシンを飲み始めて1カ月後には、国府さんは心療内科に行って、うつ症状を改善する薬として抗うつ薬を処方してもらう。薬を飲むと、少しは症状が和らいだが、それほど効き目があるというわけではなかった。

とはいえ、そうした状況でも仕事は次々舞い込んでくる。穴を開けるわけにはいかなかった。

「コンサートは今振り返ってみると、ちゃんとしたレベルでやり遂げていたとは思います。ただ、家に帰ってくると、何か空っぽになってしまう感じで。自分なんかダメだ、自分のピアノなんかお金を払って聞きにくる価値がないと思っていました」

結局、その状況を主治医に説明したところ、10カ月ほどの服用でアロマシンをやめ、再びアリミデックスに薬を変更してもらうことになった。

治療も一区切り。創作活動にも意欲的

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最新アルバム「ピアノ一丁!」
8年ぶりとなる待望の新作は、国府さん自らが「響きに耳を傾け、音色に心を注いで〝自分のピアノ〟を奏でた」と語る、バラエティに富むピアノソロアルバム
2015年1月21日発売 VICJ-61708 / 3,000円+税

再びアリミデックスを飲み始めた国府さんだが、関節痛にそれほど悩まされることなく飲み続けることができ、2014年末に5年間にわたるホルモン療法が終了した。

ここまでつらい思いをしたホルモン療法だが、途中で薬を飲むのを止めようとは思わなかったのだろうか?

「もちろんありました。ただ、夫が『飲んだの?』と聞いてくるのです。『具合が悪いからもう飲むのをやめる』と言うと、『それで再発したらどうする。こんなに周囲に心配をかけた挙句、再発のリスクを自分で作ってどうする』と結構強く言われたりしました。『ちょうど更年期障害とダブルヘッダーなだけだよ』と軽く言われて大ゲンカしたりも(笑)。1カ月位飲まなかった時期もありますが、結局は5年間飲み続けました」

旦那さんには病気のことで随分救われた部分もあったようだ。

「夫は〝がん〟という響きが嫌な感じだと言って、ある日『これから家の中ではがんをポンと呼びます』と言い始めたのです。『がん』だと何か消耗する感じがするけど、『ポン』だとちょっと勝てそうな気がするでしょって言って。それから家では、乳がんのことを乳ポンと呼んでいます(笑)」

昨年(2014年)末に乳がん治療に一区切りついた国府さんだが、今年1月には早々と8年ぶりのオリジナルアルバムをリリース。創作活動にも意欲的だ。

「病気を経験して、お客様のことをより考えるようになり、いらして下さる方への感謝の気持ちもとても強くなりました。8年ぶりに出したオリジナルアルバムですが、これは『耳から効く薬』です。音楽には副作用がありませんから(笑)。そういう思いで新作を出しました」

アルバムには、国府さん自身、身体的に弱っているときに創ったピアノテラピーの曲が3曲含まれているという。

薬の副作用でうつまで経験した国府さん。だが、今振り返ってみると、結果的に音楽活動をする上でプラスになった部分もあったようだ。

「うつを経験したことで、ピアノの弾き方が根底から変わりました。自分の中で無神経な音は一音たりとも出したくないという思いが大きくなったのです。例えば大きな音も、ただ興奮して力んで弾く音なんて聞きたくない。客観的に見て、豊かで美しい音ではないといけないと強く思うようになりました」

病気を経験したからこそ、届けられる音色がある。ピアノの奏でる音色が聞く人に、深く、豊かに、幸せに届きますように……。国府さんの音楽にはそんな想いが詰まっている。

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