行司は声が命。命が助かっても、手術で声を失ったらおしまいなんです 2008年に食道がんの手術を経験した立行司第37代・木村庄之助さん(65歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年7月
更新:2020年2月


手術時、胃に見つかった小さながんは原発性

その強い思いが通じたのだろう。10月27日に行われた手術では、反回神経を傷つけることなく病変部位を切除することができた。

もう1つ幸運だったのは、胃の一部を使って代用食道を作る際、胃に小さながんが見つかり、摘出されたことだ。これが転移だったら大変だが、原発性のがんだったので、早期のうちに摘出するだけでよかった。こうした想定外のことも起きたが、手術は手際よく進行し、7時間で終了した。

集中治療室で麻酔から覚めたときの気持ちは、どうだったのだろう?

「上から下まで、管だらけになっているのでびっくりしました。家族と話したら、主治医の先生が切除したがんを見せてくれたそうです。『ユリの花が咲いているみたいに綺麗だった』と言うので僕も見たくなり、先生に見せて欲しいとお願いしたのですが、もう既に研究用に保存してしまったそうで、ダメでした(笑)」

術後の痛みはどうだったのだろう?

「覚悟していましたが、強い痛みは出ませんでした。痛くなって看護師さんを呼んだ記憶もないです」

術後に、「念のため」ということで、再発予防として点滴による抗がん薬治療を行ったが、とくに副作用に悩まされることもなかった。その後も合併症など出ることもなく順調に回復し、予定通り11月末に退院する運びとなった。

体重20kg減の 激痩せした体で土俵に復帰

退院後、畠山さんはしばらく自宅で静養したあと、年明けの1月場所(初場所)から土俵に復帰した。

「以前は体重が76kgあったのですが、2カ月入院している間に20kg以上減ってしまい、風呂場の鏡に映る体は骸骨みたいでした。そこまでやせ細ってしまうと、土俵に上がっても、体の感じが以前と全然違うので、機敏に動けるかちょっと不安でした」

しかしいざ取り組みを裁くようになると自然に体が動き、もたつくことは1度もなかった。40年間の蓄積が、体力の低下をカバーしてくれたのである。

もう1つつらかったのは、大きな声を出したくても出せないことだった。

食道がんの手術では、術後の影響で肺活量が低下し、それに伴い声の音量も落ちてしまう。

声に少し力が戻ってきたのは半年くらい経ってからで、元のレベルに戻るまでには、さらに3~4年の歳月を要した。

退院後は地方場所があるとき以外は、月に1度のペースで大学病院で検診を受けたが、幸い何の異常も見つからないまま時が過ぎていった。

2013年には 最���位の木村庄之助を襲名

しかし、ずっと平穏な状態が続いたわけではない。

2012年1月場所では、把瑠都と若荒雄の対戦を裁いた際、送り倒された若荒雄の体をよけ切れずに土俵下に転落。後頭部を強打し、脳震盪を起こして気を失うアクシデントに見舞われた。

このときは土俵下に倒れたまま13分間気を失っていたため、館内が騒然となった。しかし脳波に異常が認められなかったため大事には至らず、翌日以降も土俵に上がり続けた。

食道がんの手術で大きなダメージを受けながらも、耐え凌いで土俵に立ち続けた行司魂が、正当に報われることになったのは2012年秋のことだ。立行司昇格が決まり、11月場所(九州場所)より39代 式守伊之助を襲名することになったのである。

式守伊之助として6場所、大過なく勤め上げた畠山さんは1年後の2013年秋、人生最良の時を迎えた。1つは 37代 木村庄之助襲名である。5月場所(夏場所)を以って36代が定年になったため、畠山さんが11月場所よりその後任を託されることになったのである。そして10月には、食道がん手術を受けてから満5年が経過し、食道がんとの闘いにも一区切りつくことができ、二重の喜びとなった。

3度死にかけたが 愚直にこつこつと精進を重ねた極め人

100㎏超の力士たちを相手に、50㎏をわずかに超えるほどの体重しかない畠山さんは軍配を握り続けた

その後 畠山さんは9場所、木村庄之助として結びの一番を裁いた。そして今年3月の春場所をもって定年退職し、65年の名古屋場所(7月場所)から半世紀に及んだ角界生活に幕を下ろすことになった。

これまで3度ほど死にかけたと話す畠山さん。1度目は、21年前に、九州場所の最中に、タクシーを止めようとしたところ、バイクにはねられ大けがを負った。

2度目は、食道がん。体重は20㎏減って、「骸骨みたいな体になった」と笑いながら話すが、肝心の声は守ることができた。

そして3度目は、脳震盪だ。「(力士にぶつかってしまった)自分が1番悪い」と振り返る。

食道がんも含めて3度の〝死〟の恐怖を味わった畠山さんだが、愚直にこつこつと精進を重ね、行司の最高位である木村庄之助まで上り詰めた。口数は決して多くはないが、相撲と真摯に向き合う姿がひしひしと伝わってくる。そんな畠山さんの姿勢に、頭が下がる想いがした。

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