行司は声が命。命が助かっても、手術で声を失ったらおしまいなんです 2008年に食道がんの手術を経験した立行司第37代・木村庄之助さん(65歳)
手術時、胃に見つかった小さながんは原発性
その強い思いが通じたのだろう。10月27日に行われた手術では、反回神経を傷つけることなく病変部位を切除することができた。
もう1つ幸運だったのは、胃の一部を使って代用食道を作る際、胃に小さながんが見つかり、摘出されたことだ。これが転移だったら大変だが、原発性のがんだったので、早期のうちに摘出するだけでよかった。こうした想定外のことも起きたが、手術は手際よく進行し、7時間で終了した。
集中治療室で麻酔から覚めたときの気持ちは、どうだったのだろう?
「上から下まで、管だらけになっているのでびっくりしました。家族と話したら、主治医の先生が切除したがんを見せてくれたそうです。『ユリの花が咲いているみたいに綺麗だった』と言うので僕も見たくなり、先生に見せて欲しいとお願いしたのですが、もう既に研究用に保存してしまったそうで、ダメでした(笑)」
術後の痛みはどうだったのだろう?
「覚悟していましたが、強い痛みは出ませんでした。痛くなって看護師さんを呼んだ記憶もないです」
術後に、「念のため」ということで、再発予防として点滴による抗がん薬治療を行ったが、とくに副作用に悩まされることもなかった。その後も合併症など出ることもなく順調に回復し、予定通り11月末に退院する運びとなった。
体重20kg減の 激痩せした体で土俵に復帰
退院後、畠山さんはしばらく自宅で静養したあと、年明けの1月場所(初場所)から土俵に復帰した。
「以前は体重が76kgあったのですが、2カ月入院している間に20kg以上減ってしまい、風呂場の鏡に映る体は骸骨みたいでした。そこまでやせ細ってしまうと、土俵に上がっても、体の感じが以前と全然違うので、機敏に動けるかちょっと不安でした」
しかしいざ取り組みを裁くようになると自然に体が動き、もたつくことは1度もなかった。40年間の蓄積が、体力の低下をカバーしてくれたのである。
もう1つつらかったのは、大きな声を出したくても出せないことだった。
食道がんの手術では、術後の影響で肺活量が低下し、それに伴い声の音量も落ちてしまう。
声に少し力が戻ってきたのは半年くらい経ってからで、元のレベルに戻るまでには、さらに3~4年の歳月を要した。
退院後は地方場所があるとき以外は、月に1度のペースで大学病院で検診を受けたが、幸い何の異常も見つからないまま時が過ぎていった。
2013年には 最���位の木村庄之助を襲名
しかし、ずっと平穏な状態が続いたわけではない。
2012年1月場所では、把瑠都と若荒雄の対戦を裁いた際、送り倒された若荒雄の体をよけ切れずに土俵下に転落。後頭部を強打し、脳震盪を起こして気を失うアクシデントに見舞われた。
このときは土俵下に倒れたまま13分間気を失っていたため、館内が騒然となった。しかし脳波に異常が認められなかったため大事には至らず、翌日以降も土俵に上がり続けた。
食道がんの手術で大きなダメージを受けながらも、耐え凌いで土俵に立ち続けた行司魂が、正当に報われることになったのは2012年秋のことだ。立行司昇格が決まり、11月場所(九州場所)より39代 式守伊之助を襲名することになったのである。
式守伊之助として6場所、大過なく勤め上げた畠山さんは1年後の2013年秋、人生最良の時を迎えた。1つは 37代 木村庄之助襲名である。5月場所(夏場所)を以って36代が定年になったため、畠山さんが11月場所よりその後任を託されることになったのである。そして10月には、食道がん手術を受けてから満5年が経過し、食道がんとの闘いにも一区切りつくことができ、二重の喜びとなった。
3度死にかけたが 愚直にこつこつと精進を重ねた極め人

その後 畠山さんは9場所、木村庄之助として結びの一番を裁いた。そして今年3月の春場所をもって定年退職し、65年の名古屋場所(7月場所)から半世紀に及んだ角界生活に幕を下ろすことになった。
これまで3度ほど死にかけたと話す畠山さん。1度目は、21年前に、九州場所の最中に、タクシーを止めようとしたところ、バイクにはねられ大けがを負った。
2度目は、食道がん。体重は20㎏減って、「骸骨みたいな体になった」と笑いながら話すが、肝心の声は守ることができた。
そして3度目は、脳震盪だ。「(力士にぶつかってしまった)自分が1番悪い」と振り返る。
食道がんも含めて3度の〝死〟の恐怖を味わった畠山さんだが、愚直にこつこつと精進を重ね、行司の最高位である木村庄之助まで上り詰めた。口数は決して多くはないが、相撲と真摯に向き合う姿がひしひしと伝わってくる。そんな畠山さんの姿勢に、頭が下がる想いがした。
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