最後まで後悔しないように、前のめりで生きていきたい 2007年に大腸がんを経験した「ザ・ワイルドワンズ」の植田芳暁さん(67歳)
坐薬を使いながら、コンサートに復帰
不意に起こる腹直筋の痙攣は、入院中2~3回起こったという。しかし、病院にいる間はまだしも、退院後、とくにライブ中にこのような痙攣が起こったら大変なことになる。お客さんを目の前にして、ステージ上でうずくまり、演奏どころではなくなってしまう。
植田さんは退院後、そうならないために、医師からボルタレンの坐薬を5日分処方してもらうことにした。
「先生からは、ステージに立つときは、本番開始の30分前に使用するよう指示がありました」
その後、植田さんは予定通り4月9日に退院。すぐに休む間もなく仕事に復帰した植田さんだが、最初のステージとなったのは、3日後に行われた名古屋ドームでの「ザ・ワイルドワンズ」のコンサートだった。
植田さんは医師の指示に従い、本番開始30分前に坐薬を使用した。その甲斐あってか、ステージ上で腹直筋の痙攣は起きず、コンサートは無事終了。その後、13日にも中野サンプラザでコンサートがあったが、その際は坐薬を入れることなく、約1時間半にわたるライブを無事に乗り切ることができた。
ショックだった加瀬さんの死
「手術後、常に再発の恐れはあった」と話す植田さん。退院直後は、半年に1度は病院に通い、再発がないかを欠かさずチェック。その後、1度も異常が見つからないまま、3年が経ち、4年が過ぎた。
そして5年といういわゆる〝完治〟という1つのゴールが近づいてきた2012年、「ザ・ワイルドワンズ」はメンバー全員ががんになるという稀有な存在になった。メンバーで唯一がん未経験者であった島 英二さんに胃がんが見つかったのだ。
メンバー全員ががんになったことを受け、真っ先に「これからは、ザ・ワイルドがんズでいこう!」と、冗談めかしに言ったのは、リーダーの加瀬邦彦さんだった。
メンバー全員ががん経験者。しかも、がんを経験した後も、全員が精力的にステージに立ち続けている姿は、2人に1人ががんになる時代、多くの人の関心を集めた。
しかし、そんな加瀬さんが2015年4月、自ら命を絶ってしまう。1994年の食道がん克服後、今度は下咽頭がんを患い、闘病中の最中だった。突然訪れた加瀬さんの訃報に、植田さんは大変なショックを受けた。
「ここ1年程、加瀬さんは下咽頭がんの治療に専念するということで、メンバーから外れていたのですが、今年3、4月には復帰する予定でした。ですので、訃報を聞いたときは本当にショックでした。
ただ、加瀬さんは本当に沢山いい作品を残してくれました。もともとケンカはしない、仲の良いバンドなので、『ザ・ワイルドワンズ』として、これからは生きている僕らが後悔しないようにやれることをやっていこうよ、そのほうが加瀬さん自身も喜んでくれると、他のメンバーとも話をしています」
残された3人で新生「ザ・ワイルドワンズ」

植田さんら残された3人のメンバーは、ひとしきり悲しみに沈んだ後、3人が共同で葬儀委員長になって半世紀にわたり自分たちを引っ張ってくれたリーダーを天国に送り出した。
さらに6月には3人で加瀬さんを追悼するCDを新たに制作、銀座のライブハウス「ケネディハウス銀座」で追悼コンサートを行った。
「結成50周年ということもあり、今年12月13日には中野サンプラザで、コンサートを開くことが決まっています。このコンサートでは、第1部を加瀬さんが作った曲を中心に演奏し、加瀬さんへの追悼の意味を込めたいと思っています。そして第2部では、新生『ザ・ワイルドワンズ』として、それぞれが作った新しい曲を次々に披露する予定です」
「最後まで前のめりで生きていきたい」
植田さんの活動は、「ザ・ワイルドワンズ」だけにとどまらない。がんを経験した後は、とくに音楽制作への意欲が高まったという。
「がんを経験して少なからず〝死〟というものを意識しました。人間いつ死ぬかわからない。いつか僕も死ぬので、後悔したくない。だからこそ、『ザ・ワイルドワンズ』とはまた別に、自分のやりたい音楽を作品として残していきたいという想いが強くなりました」
2011年には新たに「植田芳暁・Mission Possible」を結成し、今年8月には3枚目のアルバム『……。…老人と虹』をリリースした。ジャズ、ケルト音楽、アイリッシュフォーク、ジプシー音楽など、ボーダレスな音楽で構成されていて、「ザ・ワイルドワンズ」とは全く違う世界観となっている。
「もちろん再発を恐れることはあります。でも、再発したらしたで、また闘うしかない。最後まで後悔しないように、前のめりで生きていきたいと思っています」
病気になったことが負けではない。がんになって、気持ちが負けてしまうことがダメなんだ──。植田さんはそう最後に力強く語ってくれた。
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