胃がん・膵がんの疑い――。それでもレジェンドの挑戦は続く 胃に新たながんが発覚しつつも、今年5月の大会に出場した重量挙げの王者・三宅義信さん(75歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年11月
更新:2019年7月


検査の結果、膵がんではなかった

不安な状況の中、その年の9月、三宅さんは千葉県にある大学病院の分院を訪ねた。前年(2010年)に膵炎を起こしたときに診てくれた大学病院の医師が、本院から分院に移っていたからだ。

その医師は難しい膵臓の手術を数多く手がけているので、困難な状況を打破してくれるのではないか。三宅さんの中にはそんな期待があった。

期待は現実のものとなった。

膵管は、主膵管と副膵管とに分かれているが、三宅さんの場合、狭窄が起きているのは主膵管のほうだった。そうであるなら、副膵管の出口(乳頭部)から器具を入れられれば、その先に合流する主膵管に辿り着き、狭まった部分を広げられるし、細胞を採取してがんの有無を調べる検査もできるかもしれない――。

そう考えた医師は、三宅さんの膵管の形状に合うような特注のカテーテルを発注。そのカテーテルを用いて治療を進めていくと、期待通り、副膵管から主膵管のほうにカテーテルをうまく挿入することができ、そこにステントを置くことで、狭窄部分を広げることに成功。これで膵液の流れを良くすることができた。

さらに、膵液の細胞も採取が可能になり、採取した膵液はすぐに病理検査に回された。結果はすぐには出なかった。悪性か良性かの判断を下すのが難しく、結論が出るまで時間がかかったのだ。

そして、やっと結果が出る。幸い、「良性」との診断だった。

これで膵がんのことは心配しなくてもよくなった。しかし、しばらくは膵臓への負担を減らすため、絶食を強いられることになる。これが三宅さんにはとてもつらいものとなった。

33日間の絶食で体重が13㎏減少

三宅さんは33日間、一切食べ物を摂取できず、点滴で栄養補給を続けながら入院生活を送ることになる。

「絶食している間は1日12本か13本、点滴をしていました。それほど多いと片腕では足りず、両腕に点滴を打っていました」

この33日間の過酷な絶食生活で、10月に退院したとき60㎏近くあった体重は47㎏になっていた。

「入院中は足もやせ細り、立つことすらできなくなってしまいました。筋肉が落ちて、バランスが取れなくなったのです」

長年スポーツを通して鍛えてきた体。自分の体のことは自分がよく知っている。そんな三宅さんだが、「これは本当に自分の体なのか?」と疑うほど体力は落ち、精神的にも気力がなくなり、何に対してもどうでもよくなってしまったという。

「意識も朦朧としてしまい、これでは本当にダメになってしまうと思いました」

落ち込んだ状況から抜け出すため、三宅さんは入院3週間目から、点滴を付けたまま、歩く練習を始める。

「朝、昼、晩と、人がいない時間帯を見計らって、病院の階段を上る練習を始めました。慣れてくると、点滴を付けたまま病院の外に出て、往復2㎞ほど歩きました」

体重は13㎏減り、身体的にも精神的にもどん底まで落ちたものの、三宅さんは持ち前の精神力で何とか持ち直すことがきたという。

42年ぶりにレジェンド復活!

東京に続くメキシコ五輪でも金メダルを獲得。弟・義行さんは銅メダルを獲得し、兄弟で日の丸を掲げた

翌年の2013年9月、日本中が一斉に歓喜に包まれる出来事が起こった。ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まったのだ。

それを機に、三宅さんは何らかの形で、2020年東京オリンピックに貢献したいという気持ちが日増しに強くなっていた。そして2014年5月、42年ぶりに公式戦の場に姿を現す。重量挙げのマスターズ大会に出場したのだ。

入院中の絶食で13㎏減った体重はまだ完全には回復していなかった。しかし筋肉が甦らなくても三宅さんにはそれを補う頭脳と経験がある。得意のスナッチでは五輪連覇のころを彷彿とさせる美しいフォームで一気にバーベルを頭上に上げてみんなを驚かせた。

そして今年(2015年)5月、秋田県で開催された全日本マスターズ選手権に出場。56㎏級で日本新記録を一時更新する試技を披露した。

実はその1カ月前、三宅さんは医師から胃に新たながんがあることを言われていた。

「4年前、最初にがんが見つかった所とは別に、1㎝に満たない小さなものが見つかったのです。ただ、極めて早期だったので、それほど心配はせず、予定通り大会に出場して、それが終わってから手術をしました」

大会終了後、三宅さんは東京に戻って6日後には内視鏡による切除手術を受けた。今回も「早期の早期」で見つけることができたので、最小限のダメージで済み、「第2の現役生活」を続ける上で支障になるようなことはなかった。

今後もマスターズに出場し、2020年東京オリンピックを少しでも盛り上げていきたいと三宅さん。

「2020年の東京オリンピックのために、マスターズに出て、陰ながら少しでも力になれればと思っています。それに現在75歳ですが、日本は長寿国といってもベッドの上で寝たきりの人が多すぎると思います。薬に頼り過ぎず、自分なりに健康管理をしていくことが大切だと思っています」

来年(2016年)5月にはマスターズのワールドカップが日本で開催される。話がそれに及ぶと「そこで優勝しないとまずいよなぁ」と、笑いながら話す三宅さん。

がんを患いながらも、レジェンドの挑戦はまだまだ続いていく。

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