声を失う位なら、手術せずに行ける所まで行こうと思いました 2012年にⅣ(IV)期の甲状腺がんが見つかった河内音頭・河内家菊水丸さん(52歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年12月
更新:2018年3月


自分が生まれた病院にいた名医

すると意外や意外、名医は身近な所にいた。大阪市にある大阪警察病院に甲状腺がんのエキスパートがいて、かなり進行したケースでも極力気管切除をせずに手術を行っていることを知ったのだ。

大阪警察病院は因縁浅からぬ病院だった。

昭和38年2月14日、菊水丸さんはこの病院で誕生しているのだ。しかも誕生の仕方が尋常でなかった。へその緒が体に3周半巻きついていたため産まれてきたときは仮死状態。泣くことも動くこともしなかった。それを1人の医師が、叩いたりお湯をかけたりして刺激を与えながら反応を待ったところ、25時間後に虫の息だった赤ん坊は元気に呼吸を始めたのである。

今度も警察病院で救世主のような医師に出会って声を失わずに手術を受けられるかもしれない――。そんな期待を胸に秘めて、菊水丸さんは同病院の内分泌外科を訪ね、甲状腺がんのエキスパートである鳥正幸医師の診察を受けることになった。

まず鳥医師は、菊水丸さんの画像資料を見ながら、がんが気管に巻きつき、中に入り込んでいることを指摘し、神戸の専門病院の医師が、気管切開が必要だと言ったのは妥当な判断だと思うと率直に語った。

「それでも気管切開はしたくないんですよね?」

鳥医師の問いに、菊水丸さんは強い口調で答えを返した。「ええ。したくないからここに来たのです。歌えなくなったら芸人として生きていけなくなりますから」

それを聞いた鳥医師は、「わかりました。何とか歌い続けられるよう最善を尽くします」と力強く言ってくれた。菊水丸さんはガッチリ握手を交わして、よろしくお願いしますと頭を下げた。

年末の仕事が一段落した12月21日、菊水丸さんは大阪警察病院に入院し、25日に手術を受けることになった。

手術を前に菊水丸さんが最も危惧したのは、がんが声帯深くまで浸潤し、声帯全摘が避けられなくなるケースだった。その可能性は低いと言われていたが、がんは手術してみないとわからない部分が多々あるので、そのような事態にならないことを願った。

手術は成功し、声帯は温存

手術は予定通り12月25日に行われ、甲状腺が全て摘出されたほか、転移が見られるリンパ節など周辺の組織も併せて切除された。要した時間は5時間半に及んだが、これはがんが気管に複雑に食い込んでいたため摘出に時間を要したからだ。しかし、鳥医師が慎重の上に慎重を期して手術を進めてくれたため、声帯をコントロールする反回神経に傷がつくようなこともなくがんを取り切ることに成功。声帯自体にもがんの浸潤は認められず、声も無事だった。

手術室で菊水丸さんが麻酔から覚めた��き、鳥医師が顔を近づけてきた。「とにかく声を出してみてください」

菊水丸さんはそれに応じて「アー、アー」と声を出したところ、手術室にいた10人程の医師や看護師から一斉に拍手が巻き起こった。この拍手で菊水丸さんは手術前と変わらぬ声が出たことを知り、つくづく自分は運に恵まれた男だと思った。

術後の経過もほぼ順調で、菊水丸さんは年が明けた1月に、無事退院となった。

歌うことへの恐怖

菊水丸さんは、その後しばらく自宅で静養してから、3月20日が初日の「吉本百年物語」の3月公演から復帰する腹づもりで、すでに2月半ばには公演に向けての稽古が予定されていた。しかし稽古が近づくにつれ、菊水丸さんは不安が募ってきた。

「話す分には声が出ていたのですが、歌うのは怖かったですね。高音を伸ばすときにちょっと喉が細くなる感じがあったし、高い声を伸ばしているとプツンと切れてしまうんじゃないかという恐怖心もありました」

不安を取り除くため、菊水丸さんは生まれて初めてカラオケボックスに行って、歌謡曲を次々に歌った。しかし、不安を解消するまでには至らなかった。

「歌声は出たことは出たのですが、河内音頭のようにこぶしを回すような歌はなく、不安は依然として残ったままでした」

不安を拭いきれなかった菊水丸さんは、3月公演の稽古を「ずっと寝てばかりいたので、まだフラフラするんですわ」と伝え、休むことにした。こうなると会社側も心配になってくる。3月公演のプロデューサーは、菊水丸さんが本当に歌えるのか試す必要があると思い一計を案じた。

2月公演の千秋楽は3月2日だったが、その前日、会社から菊水丸さんに電話が入り、「明日、なんばグランド花月に来て2月公演の出演者に花束を渡して下さい」という依頼があった。それを聞いた菊水丸さんは翌日、半年ぶりにお客さんの前に姿を見せた。お客さんに向かって病気になってご心配をおかけしました、と挨拶をしていると、司会者が「菊水丸さん、せっかくなので一節お願いします!」と言って、マイクをいきなり菊水丸さんに渡したのだ。すると、なぜかイントロも流れ始め、歌わざるを得ない状況になってしまった。

「いや~あれにはほんまにびっくりしました。マイクぼ~んと渡されましてね。でも、こぶしを回すところでもちゃんと声が出たし、声量も安定していたので、いっぺんに不安が吹き飛びました」

デビュー40周年に向けて

甲状腺がんの手術後、2013年3月の「吉本百年物語」の公演で見事仕事復帰した

これで自信を取り戻した菊水丸さんは「吉本百年物語」の3月公演から仕事に復帰。先々までびっしりスジュールが詰まった多忙な生活に戻ることになった。

今年(2015年)デビュー35周年。病気がわかったときは、「次の35周年はないな」と思ったという。

「こうして35周年を迎えられて、今年は記念楽曲も出させてもらって、本当にありがたいなと思います。次のデビュー40周年は、がんの手術をしてから7年目の年にあたります。病気としての区切りもありますし、次の40周年をこうして元気に迎えられたらと思っています」

大阪の文化、夏の文化でもある河内音頭。文化の灯を絶やさぬよう、菊水丸さんには是非これからも歌い続けていただきたい。

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