早期の大腸がんのはずが……術後の合併症にトコトン苦しみました がん手術、腸閉塞、人工肛門造設――。1年間に4度手術を経験した落語家・三遊亭歌笑さん(76歳)
合併症が起きなかった 3度目の手術
東京山手メディカルセンターのストーマ外来に行くと、専門の看護師が歌笑さんのストーマの状態を見てくれ、つけ方の指導を丁寧に行ってくれた。
「ストーマのことを知り尽くしたベテラン看護師さんが色々見て下さって、装具を私に1番合うものに換えてくれたんです。ストーマ外来には様々な装具が用意されていて、皮膚の状態や傷の治り具合を見ながら、その時点で1番適したものに換えていく方式をとっていました」
餅は餅屋に限るように、ストーマもストーマ外来に限る。そう痛感した歌笑さんは、手術を受けた総合病院に事情を話して了承を得た上で、東京山手メディカルセンターに転院することを決めた。
転院後は、総合病院でも言われていたように、癒着で腸に狭窄が起きている箇所があることが確認されたため、まず、その部位を切除する手術を受けることになった。
「通常、腸の直径は3~4㎝ほどあるらしいのですが、私の場合、腸が癒着し、1㎜程度しか空いていなかったそうです」
狭窄部分を切除する手術は2015年2月に行われ、癒着部分を含め18㎝の腸管が切除された。
前年の7月に同様の手術を受けたときは、術後の回復が悪く、塗炭の苦しみを味わっていたため、歌笑さんは祈る気持ちで、何も起きないことを願った。
それが通じたのか、今回は1週間、2週間と時が過ぎても術後合併症は起きず、1カ月ほどで無事退院できることとなった。
4度目の手術のあとは 終わりなき頻便
待ちに待ったストーマ閉鎖手術が行われたのは5月のことである。ストーマの出口に繋がれていた腸が元の位置に繋ぎ直されたとき、その証として出るのは、おならである。
「1年ぶりにおならが出ました。それは腸が元に戻ったことを喜ぶ祝砲でした。手を合わせて『ありがとう』と、拝みたい気持ちになりました」
食事を摂れるようになると便通も始まる。
「初めて肛門から排便したときも、嬉しかったですね。小指のように細い、ちんまりした便でしたが、自分の力で出たというのは本当に嬉しかったです」
しかし、これでハッピーエンドになったわけではない。そのあと歌笑さんは頻便に悩まされるようになる。
「トイレに行っても小指みたいな便しか出ないんだけど、トイレを終えてしばらくすると、またしたくなるんです。そのため1日に10回くらいトイレに行くようになりました。術後半年が経過した今も、その回数は減っていません」
しかし歌笑さんはそれと折り合いをつけながら、元気に高座に上がっている。
「仕事に支障が出ないように朝早く起きて、��事をするようにしています。そうすると昼ごろまでに出てしまうので、午後仕事があっても大丈夫です」
そう言ってのける歌笑さんの声は、張りがあって、76歳という年齢を全く感じさせない。並の人間ならその年齢になってから、立て続けに4回も手術を受けたら、気力が萎えて引退してしまうだろう。しかし歌笑さんは、どんなにつらいときでもギブアップしなかった。
「手術を立て続けに4回受けた程度のことで、いちいち落ち込んでいられません。もっとつらい経験をしていますから」
歌笑さんがそのような言い方をするのは、長い噺家人生で、2度大きな試練に見舞われながら乗り越えた実績があるからだ。
最初の試練は、名古屋での雌伏18年である。
「テレビにも出演して人気が出だしたころ、人間関係が上手くいかなくなったこともあり、活躍の場を名古屋に移さざるを得なくなったんです」
名古屋暮らしは18年に及び、その間歌笑さんは、高座に上がる傍ら、もぎり、場内掃除、開場の支度などを全て1人でこなした。そこで、古典落語の稽古に明け暮れたことが大きな財産になり、その後の飛躍につながった。
もう1つの試練は、東京に戻って仕事が軌道に乗り始めたころ、脳梗塞になり、ろれつが回らなくなったことだ。このピンチを乗り切るにはゆっくり話すしかない。しかし、そうすると客に間延びした印象を与える恐れがあるので、歌笑さんは間の取り方、声の調子、抑揚のつけ方などに工夫を凝らした。その結果、耳の肥えた客から「話に味が出てきた」と褒められるようになり、ファンが増えた。
このように歌笑さんは逆境をチャンスに変えてきた実績がある。今回の病との一連の闘いも、つらい思い出として消し去るのではなく、高座で笑いを取るネタとして活用するつもりだ。
何をどのように活用するのだろう? 興味のある方は、独演会に行って自分の耳で確かめてみたらいかがだろうか?

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